ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

ハワイにきました

2014年05月08日 18時06分28秒 | 

・・・久しぶりに、海外にきました。  ハワイは私は五度目です。 と云っても前回来たのは10年も前です。 時差はマイナス15時間です。  今は5月の8日の午後6時です。 日本時間では5月9日の午後一時かと思います。 昨日は飛行機の中で眠れなかったので、今日は1日眠いです。

   

   午前中ホテルに12時にチェックインして、一時間ほどWi-Fiを接続するのに格闘していて、今は快適につながっています。  上の写真はホテルの部屋のラナイから、ワイキキの浜に向かって、今撮った写真です。 
  また、報告します。

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弥生人はマッタケを食べていた

2014年05月08日 07時08分48秒 | 日記

・・・エッセイの本を読んでいた。  その中で、古代史に関わる、私には面白い話が出ていた。

  私の実家に近い大阪府の高槻市に「安満」と云う名の弥生時代の遺跡がある。  その本には、地元の高校の先生が、この遺跡の花粉化石を調べて、次のようなことを突き止めたと書いてあった。 
  BC300~AC100の間の花粉化石を調べると、このころ、この遺跡の付近では照葉樹林の森が伐採や火災で破壊され、赤松の林に替わっていったことが分かったとある。
   そして、弥生時代、以来、戦前まで、人は赤松林の下草や柴などを刈って生活してきたので、赤松林は良い状態に保たれてきた。
  話は飛ぶが、マッタケはご存じのように赤松の根に寄生して生えるので、人々はづっと赤松の恵みのマッタケを食べてきたのです。
  幼少の頃に、私は父に連れられて、高槻市の山にマッタケ狩りに云った記憶があるので、その話は余計に感慨深かかった。  今はその場所も赤松の生える山は無くなって、大阪のベッドタウンの住宅地になっている。

  今日の話は、私の思い出と、最近、読んだ本の話が、混ざって判りにくかったと思うが、要約すると、
  日本は弥生時代の頃まで、照葉樹林の森で覆われている場所が多かったが、人が木を伐採して、窯で焼き物を作り始めたころから、赤松が日本に生え始めたらしい。  従って弥生時代の頃から、人がマッタケを食べ始めたと考えられる。

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