・・・エッセイの本を読んでいた。 その中で、古代史に関わる、私には面白い話が出ていた。
私の実家に近い大阪府の高槻市に「安満」と云う名の弥生時代の遺跡がある。 その本には、地元の高校の先生が、この遺跡の花粉化石を調べて、次のようなことを突き止めたと書いてあった。
BC300~AC100の間の花粉化石を調べると、このころ、この遺跡の付近では照葉樹林の森が伐採や火災で破壊され、赤松の林に替わっていったことが分かったとある。
そして、弥生時代、以来、戦前まで、人は赤松林の下草や柴などを刈って生活してきたので、赤松林は良い状態に保たれてきた。
話は飛ぶが、マッタケはご存じのように赤松の根に寄生して生えるので、人々はづっと赤松の恵みのマッタケを食べてきたのです。
幼少の頃に、私は父に連れられて、高槻市の山にマッタケ狩りに云った記憶があるので、その話は余計に感慨深かかった。 今はその場所も赤松の生える山は無くなって、大阪のベッドタウンの住宅地になっている。
今日の話は、私の思い出と、最近、読んだ本の話が、混ざって判りにくかったと思うが、要約すると、
日本は弥生時代の頃まで、照葉樹林の森で覆われている場所が多かったが、人が木を伐採して、窯で焼き物を作り始めたころから、赤松が日本に生え始めたらしい。 従って弥生時代の頃から、人がマッタケを食べ始めたと考えられる。