・・・当家の狭い庭にも、毎日、何回か、二羽で訪れてくれる野鳥がいます。
我が家の庭木に止まるヒヨドリ
鳥の名前が分からないので、ネットで調べました。
ネットで見ると、庭にくる鳥を撮影している人がいます。
我が家にくる、野鳥の名はヒヨドリと云う事が分かりました。
良く見ていると、我が家の木蓮の木の新芽を食べにくるようです。
・・・当家の狭い庭にも、毎日、何回か、二羽で訪れてくれる野鳥がいます。
我が家の庭木に止まるヒヨドリ
鳥の名前が分からないので、ネットで調べました。
ネットで見ると、庭にくる鳥を撮影している人がいます。
我が家にくる、野鳥の名はヒヨドリと云う事が分かりました。
良く見ていると、我が家の木蓮の木の新芽を食べにくるようです。
・・・今日、走った道の周りの畑では、今は、玉ねぎのみです。
黒い除草シートに穴をあけ、植えてある玉ねぎの畑が広がっています。
植えられた苗は、まだ細くて、収穫は5月ごろらしいです。
この地方は、玉ねぎの産地でもあります。 収穫期には、あっちこっちで、山となった玉ねぎの収穫を見れます。
・・・両親の墓参りからの戻りの高速道路の風景。
何時も、ジョギングの時は遠くから、鈴鹿の山を見ていますが、伊勢湾岸高速道路を走っていると、海越しに鈴鹿の山が、何時もより大きく見えます。
伊勢湾の湾岸には車の輸出埠頭があり、自動車用鋼板を作る製鉄所の煙も見え、伊勢湾をまたぐ橋上を車を積んだトラックが走っているのも愛知県ならではの風景です。
最近の高速道路の最新のトイレに入ると個室の上にランプがついていました。
ランプの色を見ると、個室を使用中か否か、一目瞭然です。
・・・昨年のブログを見ると全く同じ日に堺市にある、妻の両親の墓参りに行っていました。
今年も、同じように車で、新名神を使って、名古屋から、大阪へ向かいました。
行く途中の新名神のサービスエリアには、雪が積もっていました。
人が歩くところ以外は10センチ以上の雪が積もっていました。
この、サービスエリアでは外国人の人がバスで立ち寄っているのを、良く見るので、台湾などの南国の人は雪を喜ぶのではと思いました。
・・・他県の知り合いが、我が家を訪れ、時間があったので、我が家の近くの遺跡と云う事で、桶狭間の古戦場公園を訪ねた。
今日、訪れたのは名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園です。
私が、以前に訪れた時に比べて、公園は織田信長と今川義元の銅像も新しく建って、とても立派に整備中でした。
・・・面白い言葉が気になった。
その言葉は「NEAT」と「メッツ」と新聞の記事に載っていた。
NEATは「Non-Exercise Activety Thermogeesis」「非運動性熱生産」と詳しく書いても、又、翻訳しても分からない言葉ですが、簡単に言うと、人が何げなく体を動かした時の消費エネルギーを指すらしいです。
普通の生活で、人が消費するエネルギーの内訳を上のグラフに載せてあるが、何もしないで、じっと横たわっている時に必要な基礎代謝が全体の約六割を占めていて、ほかに、食べたもを体内に取り入れるために必要な食事誘発性熱生産がやく8%と残りが「NEAT」と意識して運動する消費エネルギーです。
「NEAT」と意識してやる運動の消費エネルギー度合いを表にまとめたのが上の図で、私の場合、日常している「ゆっくりのジョギング』は子どもと遊んだり、スコップの雪かきと同じ、消費エネルギーらしい。
表の真ん中に書いてある、数値は「ジッと寝ている時の基礎代謝エネルギー」を1と比べた消費エネルギーの数値です。
私が習慣としてやっている、景色を眺めながら、家の周りを走る、「ゆっくりのジョギング』は6.0でかなりエネルギーを消費していることが分かる。
…愛知県の弥生遺跡と云うと、今までは清須市の朝日遺跡が有名で、弥生時代の環濠集落として、逆茂木を立てた環濠で村を防備していたことの説明例として、よく、引用される。
今回、新聞発表のあった若宮・酒井遺跡は弥生時代後期の環濠集落の遺跡である。
朝日遺跡に次いで県内二例目で、三河湾に面した港の集落だった可能性がある。
そういう意味では、全国的に見ても、特徴のある弥生時代の港を有する環濠集落の可能性がある。
今後の詳しい研究成果の発表が待たれる。
・・・以下は、新聞を読んで、気づいた、大したことはない話です。
「英雄たちの選択 吉田松陰の黒船密航」 と、新聞の見出しに、書いてあったのですが、
それを、斜め読みした私は「 英雄 吉田松陰の密航」 と読んで、理解した文章の意味の間違いに、気づいたのですが・・・。
どうして、そう読み取ったのか、色々、考えてみるに、簡単な文章なので、きちんと読んでいなくて、「英雄」、「吉田松陰」、「黒船密航」と云う三つの単語のみを読んで後は、勝手に、その文章の意味を考えていた為らしいと気づきました。
知らない間に、私たちはそういう理解の仕方を話の中だったり、新聞を読んだりの生活で行っているようです。
何故、そう云う事に気づいたかと、云うと、英語の文章を聞いている時に、文章中の細かい単語を一つづつ理解しないで、主な単語を聞きながら、文章を理解していて、日本語として考えるとき、後で、正確な日本語と照らし合わせると、ずいぶん細かいところで、いい加減に理解して、聞いていることに気付く、経験があるからです。
日本語の場合でも、知らず知らずのうちに、英語のリスニングと同じように、主な単語のみ読み取って、いい加減に自分で頭で組み立てて理解しているようです。
日常生活では、それくらいのいい加減さで、十分、問題はないようです。
・・・テレビや新聞などの中国や韓国の現状の報道を見ていて、何年か前の日本と何が同じであろうかと考える。
平均年収を見ると韓国は日本の二分の一、中国は日本の三分の一らしい。
従って、ほとんど、生活程度は同じと考えてよいだろう。
車の所有や住宅の所有もほぼ同じ程度らしい。
しかし、自由な発言や、報道、出版は日本より遅れているらしい。
半世紀前の日本と同じ平均年収を考えるとインドネシアやタイなどの場合が同じらしい。
その時期と云うのは、私たちが、ほぼ学校を卒業した時期である。
そう考えると、日本が五十年かけて歩んできた、生活水準の向上の努力は、アジアの年収が増えるスピードを考えるとこれから10年くらいで、インドネシアは中国に追いつくと思う。
従って、これらの国の生活レベル向上速度は、日本が歩んできた給料上昇の速度などの生活レベルに比べて約五倍の速度と計算出来る。
そうなると、生活レベルは上がるが、社会環境や国の文化などが追い付いていかない状況となる。
これから、先はどうなるのだろうか。
人の後を追う時は真似すればよいのですが、近くまで追いつくと基本的には、マネ出来なくなり、日本の過去を見ればわかるが、これ以上、追いつけないと思います。
ある段階からの国の発展の程度を判断するには、社会の仕組み、国民の基本能力、保有資源などの総合力で決まっていくと思う。
それらを考えると、中国、韓国は、早急には、日本とは、同じにはならないと思う。
・・・還暦は60歳を変えた人たちを祝う長寿の祝いですが、その他にも長寿の祝いはたくさんあるようです。
長寿の祝いを還暦から、多い順に、年齢と共に列挙すると、
60歳は還暦で赤色で祝う、66歳は緑寿(最近できたらしい)で緑色、70歳は古希で紫色、77歳は喜寿で紫色、80歳は傘寿で金色、81歳は半寿(盤寿)で金色、88歳は米寿は金色、90歳は卒寿は金色、99歳は白寿で白色、108歳は茶寿は金茶色、111歳は川寿は金茶色。
古くは40歳から、10歳づつ年齢が増えるのに、お祝いしたそうですが、近年、寿命も延びて還暦、古希、喜寿、米寿の祝いが多いようです。
しかし、それなりに、尤もらしい理由があるのは還暦、古希、で、それ以外の祝いは字面からの語呂合わせになっている。
因みに、
還暦は良く知られているように、古来、干支は60を一つの単位として、暦を数えていたので、暦が元に戻る60年を節目として還暦と呼んだのである。
古希は唐時代の詩人杜甫が「曲江詩」の中で「人生七十古来稀なり」から、70歳と云う年齢は、長寿を祝うに値すると云うところから来たらしい。
・・・防災関連の歴史本を読んでいて、感じたのであるが、今の町の防災マップを見ていると、防災の避難所は公民館、学校などの公共施設が多い、 しかし、歴史的に見ると、防災に強いのは長く生き残ってきた歴史的建造物であることが分かる。
特に、津波災害に関しては、古くからある、高台の神社は間違いなく、何百年の間、災害を潜り抜けてきたのである。
従って、実証的に考えれば、何の検証もされていない、公共施設より、長い年月かけて、検証されてきた、神社の方が、より安全であるように思う。
避難所の選定には、ぜひ、このことを考慮したいものである。
・・・我が家のウッドデッキは全部私の自作である。
私がいつも居る部屋の前のウッドデッキの一部の木材が腐ってきた。
植物の鉢を置いてあった場所が局所的に、根太と一部上板が腐ってきたらしい、腐った基礎支柱と上板を張り換えた。
上の写真の手前部分が修理前のウッドデッキの状態です。
ウッドデッキのサイドに付けていた柵が取り払い、修理する時にサイドの柵を外してみると、何時も見ている庭の景色が広く見えたので、柵をなくすことにした。
ウッドデッキの基礎支柱と上板を取り換え、修理が終わった状態です。
塗料も塗り替えると元通りに甦りそうです。
・・・正月になって、初めての気持ちの良い天気でした。
風もなく、空は快晴で午前中、ジョギングしてきました。
冬の間だけ、且つ月に一度くらい、名古屋の南から見られる南アルプスの山です。
とても空気が澄んでいて、雨の後の快晴の時に、見れます。
今日は、正月三日と云う事で、畑には人が見かけないので、のんびりとした50匹以上のカラスが刈り取った後の田んぼに居ました。
私を見つけ、飛び上がりました。
・・・日本映画の「ハヤブサ」を見て、日本技術の独特の良さ感じた感想です。
映画「ハヤブサ」を録画ビデオで見ました。
衛星のはやぶさが帰還した劇的なドラマはその時々の新聞の報道やテレビで、詳しく読んだり見たりして知っていたが、改めて映画で見て、その内容が少し前の素晴らしい日本らしさを感じた。
特に、アメリカのNASA などに比べて、日本は予算や衛星規模の貧弱さ、ほとんどがボランティア的な取り組みで推進されている事などに日本らしさを感じた。
失敗しながらも、個人のそ情熱と組織で成功した、その結果もまた、日本的素晴らしさが見えてきた。
その象徴ともいえる技術が衛星の推進エンジンの故障を担当技術者の「組織を超えた個人の情熱と創意工夫」で解決したことです。
特に、イオンエンジン四基すべてがダメになった時に、四つのエンジンの各機能を組み合わせて、一つのエンジンを復活させた衛星帰還に結びつけたこと。
しかも、それは一担当者のルール破りの余計な回路変更によってなされた結果であったことであった。
私の経験と考えからも、日本の技術の素晴らしさは「組織と個人の情熱と創意工夫」が素晴らしいことです。
世界の他国の技術を見ると、他人の領域を侵さない「組織を超えた論理とルール」が支配しているように思える。
今、日本では、グローバル化し、個人の能力と考え方は世界の他国並みになってきて、「組織を超えた情熱と創意工夫による仕事」がなされなくなってきているように不安を感じるのです。
・・・元旦に約60枚の年賀状が来た。 親戚、友達、同級生、会社時代、その他と、付き合い範囲が分かれる。
頂いた賀状のうち、表・裏面とも、味気のない通り一遍の印刷であって、尚且つ、賀状の通信面を見ても、其の方の近況も推測できない年賀状がある、明らかに、賀状を投函するのを止めることを躊躇し、だし続けている感じがする。
私自身の年齢から考えて、そろそろ、何となく出している年賀状も整理する時が来たかと思ってしまいました。
特に、会社時代に始まった、仕事上の付き合いから始まった年賀状は通り一遍の印刷以外の添え書きは少ない。
この際、来年からは出す先を整理する必要を感じた。
それには、来年になってからでなく、今年、賀状を貰った今、来年に賀状を、出す相手の名簿を作ろうと思いました。