近所のGSに久々に行ってみた。昨年クルマを購入してから2度目だと思うが,機械洗車をしてしまうのである。ホントは避けたいけど,とにかく泥汚れがこびりついているし時間が足りない。ガラスコートのはずだけど,やっぱりネットの噂通りの耐久性だった。GSでのあのコーティングは避けたほうがいいヨ。ホント,汚れがWAXよりもこびりついて,落とすのに毎回ピッチクリーナーが必要なのだから。
そして拭き取りをしていると,横に外車がきた。なんか,サングラスをかけた嫌な感じのアンチャンだ。エンジンはかけっぱなしだし....。
しかし,しばらくすると,そのアンチャンが,
「オズマ君(もちろんここは本名だけど)じゃないの」
と言い出した。サングラスを外したら,そのアンチャンは僕も覚えているK君だった。
実に30年ぶりだろうか。中学3年のとき同級生で,高校は同じだったのだがクラスが違った。僕は地元に居ながらも,大学は田舎だったし,まあ,とにかく,昔からあまり人付き合いが広い方でもないので,僕が消息不明だった,というところだ。
K君は自営業を地元でやっているらしく,地元の友人のことに詳しいようだ。その昔,「内申点稼ぎのためにクラス委員になります!」といってなったぐらいだからね。不思議な魅力のあるやつだった。
そこで,飲み会があるというので参加することにしたが,そういう「縁」のようなものを感じたとき,僕は次の雑誌を思い出す。
釣りキチ三平特集号。
2006年6月号である。もう8年以上前のものである。それでも捨てないのは思い入れがあるから。僕が『釣りキチ三平』から「釣り」「自然」などのものの見方,究極は「有明海のムツゴロウ」での
「千修万練一尾不能,万人一人一振三百(せんしゅうばんれんいちびあたわず,まんにんいちにんいっしんさんびゃく)」
という,六浦のおやっさんの言葉は非常に大きな影響を受けている。つまり,ムツカケにかぎらず何事にも器用・天性といったものは作用するが,ことムツカケにおいては,素人がかけた1匹は300匹に相当する,という教えである。
この教え,仕事をしていると痛感する。バス釣りにおいても,「センスの違いとしかいいようがない部分があるのでは」と思わずに居られない部分があるのだ。
話がそれてしまったが,次は表題どおり,再会があったので,僕の好きなページも御覧ください。
三平ワールドの人々。その紹介。
とにかくいろいろな登場人物があった。僕にとって「ルアー」を知ったのは谷地坊主からであるが,「釣り」への基本的姿勢はやはり一平じいちゃんからだろう。
ゴミを捨てない,外道を殺さない。アタリマエのようなことだが,僕は小学生のときに,当時のヘラ師がアメリカザリガニを外道としてふみつぶしている姿が許せなかった。父も同じであり,「外道だって,命は同じ」ということで,クチボソでもクサフグでも,とりあえずそのとき用がないのであれば放流というのがごく普通だった。
表題からずいぶん話がとんだが,僕の「釣りへの姿勢」は『三平』に落ち着くのだ。そのための特集号保管。
それにしても30年経過しても「変わってない」のは,当時の「釣りキチ少年」が「釣りキチサラリーマン」になったからだろう。