「氷水かぶり」の“あり・なし”を問題視するのは日本だけ?(All About) - goo ニュース
僕は,この問題から発展する「原理主義」について考えたい。
僕自身,「日本製品原理主義」が最たるもので困っている。だが,他人に強要はしないようにしている。アドバイスはするが,「結局は好みの問題です」というのがオトナの対応ではないかと思うからだ。氷水かぶりも,「非難しているあなたは,それで根性はどこにあるのですか」ともお伺いしたいのだ。
さて,原理主義の怖さは,おそらく本人が自覚していないことが多いと思われること。僕のようなものはたぶん違うのだろう。「至上」主義とでもいうのだろうか。「日本製品”至上”主義」。ウン,ピッタリだ。
そしてまた,自分の考えがすべてだと「押し付ける」のが原理主義の特徴。たとえば歴史「観」。朝日新聞の慰安婦捏造問題のその後の対応(新聞社の対応だけでなく政府も;河野洋平・村山富市の証人喚問さえ進まないことなど)には僕も腹立たしいが,だからといって週刊誌が「それみたことか,だからダメなんだ」って,オイオイ,何度も名誉毀損してきたような版元がいってもそれは説得力ないよねえ?
また,「表現の自由」は日本国憲法でしばしば解釈が分かれる。つまりは「科学」ではない。あくまで「感覚」が入るもの。となれば,ひとそれぞれにとって違う「表現の自由」がある。たとえば「わいせつ」なんて抽象的な概念,どうするんだろう? 本屋には,18歳未満の子供が購入できる「エロコメ」があふれている。そちらの表現が「わいせつ」でなくて,3Dだとわいせつだとか,わけがわからないよね。
そこで振り返ってみると,バス釣りでもそんな部分がかなりある(バス”フィッシング”と言わないと先輩から怒られる時代さえあった程)。たとえば,大昔からの「TOP至上主義」,「ワームはエサ釣りだ非難」,「ハードルアーの方が偉い」意見。どれもこれも,「釣り」なんだからいいじゃないかと僕は思っている。たしかに僕がハードベイトを使うのは事実だけど,八郎潟みたいに「今日はワームだな」となれば,それでいいということ。「釣れなくて」 威張るより,「どんなに小さくても釣った」方が僕は好きだなあ。だって,せっかくの休みの釣りじゃないですか。競っているわけじゃないのだから,楽しくやろうよ。
まあ,しかし,八郎潟はゴミ問題が水郷と同等にあると思った。事実,毎日数個のルアーやイトを回収したしね。PEがあるのがいかにも,という違いでしたけど。でも,僕は自分で拾わなくても「自分が捨てなければいい」と思う。イトはどうしようもなく切れるときもあるからしょうがない。ワームなんて簡単にちぎれる。グラブは数匹も釣るとテールが切れる。でも,意図的じゃないよねえ。そこまで気にせずに「ああ,ゴミがあった。邪魔だから回収しちゃおう」でいいんじゃないかな。実は,ゴミを回収すると,たしかにバスが釣れるようになったりするので,僕のは下心アリアリなんですけどね。
最後に,日本の原理主義は戦争にならないから実はどうでもいいのかな?