外来生物法が制定されているが水郷では何も変わらず釣りができている。なんと嬉しい地域だろう。地元の方々の寛容な心も本当に嬉しい。釣果はサッパリだが,それは自分の技術の問題である。
さて,標題につき関連本をご紹介しよう。左上から時計回りで。
①『外来水生生物事典』
この本の優れているところは,事実を客観的に書いているところである。「事典」と名乗るだけあって,移植の歴史など,非常に簡潔でありながらわかりやすく書いてある。
バスに対しての姿勢はたしかに批判的であるが,以下の秋月岩魚氏が書かれたような「感情論」に走っておらず,現実的であり理論的である。
また,何より,水生生物全体をマクロにとりあげているのがいい。
日本の水界生態系がどうなっているのか,本質的な理解はこの本なくして理解できず,とまでオズマは賞賛する。
②『警告! ブラックバス汚染』
③『ブラックバスがメダカを食う』
ともに秋月岩魚という「イワナキチガイバカ」が書いた本。
ただひたすらに,自分の渓流魚への偏愛を正当化する本。
そこに科学的考察はない。まったく評価できない。
①の本のように,水界生態系全体をマクロの視点で捉えることにことごとく欠如した本。
オズマもその昔,立教大学で講演があったときにでかけ,ご本人を見たが,正直ただの「イワナキチガイ」であった。
④『ブラックバス移植史』
ある意味「禁断の書」。それは,バスの移植放流がどのように行われたかを事細かく記していることによる。
これは,バスを擁護しようとする立場の人々にとって不利であるし,逆の立場の人間にとっては有利。
この本の存在がバス問題をややこしくしているとも言える。引用されることがあまりにも多い本。資料的価値はある。
⑤『ブラックバスがいじめられるホントの理由』
バス問題を①と同じく,マクロの視点で捉えた書。
とくに,象徴的な湖沼の例を挙げ,図版を用いて専門用語をできるだけわかりやすく解説しようという著者の意気込みを感じる。
もっとも評価できるのは,地域によってバスの受け止められ方が異なるということをしっかり書いていること。そしてそれが実際の取材に基づいていることだ。
⑥『魔魚狩り』
一見,バス擁護の本に見える。バサーが読むとスッキリするのかと思うと,実は全然すっきりしない不思議な書
水口憲哉氏自体の科学者としての精神は,直接講演を聞いたりするとわかりやすい。しかし,なぜか文章はわかりにくい。
この本には編集者が介在していないのだろうか
わかりやすく伝えることができないと,どんなに優れた内容でもダメ,という本。
オズマはバス釣りをする立場であるから擁護派....というわけでもない。
ただ言えるのは,水郷においてはバスは「必要な魚」になっていることがたしかであるということ。
地元の方々から文句を言われたことはたしかに昔はあったが,いまはもうない,とまで思えること。
バスが水界生態系に与えたダメージよりも,人間が与えたダメージが圧倒的であることだけははっきり言える。とくに,常陸川水門によって淡水化された霞ヶ浦水系の場合,そこに従来の生態系なるものを定義できない
それにしてもCOP10など,ホント茶番劇である。京都議定書に一貫してサインしない米国の気持ちがわからないわけでもない。そもそも二酸化炭素と温暖化は無関係だし,「生物多様性」という「響きのよい」コトバで「イキモノ取引」を決めるだけなのだから。
COP10の本質もお金である。ただそれだけだ。
絶滅・クニマス、西湖にいた…さかなクン大発見(読売新聞) - goo ニュース
何年か前,『釣りキチ三平 平成版』でこの「クニマス」についての悲劇が語られていた記憶がある。
今回のニュースは,「西湖で自然繁殖を繰り返していた」「それを有名人が確認した」ということに主眼が置かれてすぎているように思う。西湖には間違いなく「国内外来種」として持ち込んでいるのにもかかわらず,美談に過ぎてしまうのはいつもの報道のわるい癖だろう。
ボクも魚は好きだから,絶滅したはずのものがどこかで生き残っていたら,それは嬉しい。一種のロマンも感じる。しかし,放流以前に,玉川温泉の毒水を流したことによって田沢湖が死の湖になったことについて,マスコミは「人間の愚かさ」も同様に報じるべきではないか
この類の「絶滅したはずのものが実は!」,の報道には,人間の行為の愚かさへの反省が足りなさ過ぎる
さて,西湖で生息しているとなると,地下水脈でつながっているともいわれる富士五湖周辺,とくに実際放流された記録がある本栖湖などで繁殖している可能性はあるだろう。
さらには,忍野八海,芦ノ湖など,一見かなり離れた地域にも,地下水脈で移動したり,もしくは人間が「この黒いマスは面白そうだからほかの湖にも入れてみよう」などとして放流し,定着しているかもしれない。
冷静に考えると,この問題には「絶滅とされても,魚であるがゆえに,つまり,閉鎖水域でも繁殖が可能であれば繁殖すること」の可能性を示している。そしてそれは,他の魚種でも同様の可能性はあるのではないか,という期待も含ませる。
まあ,しかし,肝心の西湖では「クロマス」として捕獲していたのだから面白い。シーラカンスの発見の際も漁民が普通に捕っていたし,ヤンバルクイナもそうだった。
科学はやはりフィールドに帰す。あらためて感じた次第である。
気分が滅入ったとき,この本を読み返すことが多い。そしてこの言葉を思い出す。
「真実は孤独なり」。
重い。重厚な言葉だ。
かつて,いや,いままでも,オズマは,実社会でも,たかがバス釣りの方でもこの言葉を実感してきたことは多い。
とくに実社会。いかに訴えても最後は自分独り。どんなにそれが真実でも理解されないものはされない,と思っていた。
そう感じてはや数年。
時代が変わり始めたようだ。オズマが訴えていた改革策が,ようやく理解されはじめたようだ。だが,ここで,本当のオトコになるには「それはオズマが....」などといわないことだろう。でも,言いたくなる。何しろこの標題の言葉を噛み締めて,悔しさに耐えたものだから....。
マス・大山氏は偉大である。
とにかくこのゲームにははまった。
55万点,2周(4面×2周,とちょっと)が自己最高記録だったと思う。
とにかく腕が痛くなるゲームだったが,汗をかけるゲームというのはこれだったな。
あきれてものが言えない,とはこのことだ。あまりにも稚拙。あまりにも単純。「バスのせいにすれば一件落着」なのだ。
多摩川には,最下流の丸子堰から,最上流の羽村堰まで,おびただしい数の堰がある。そして,ダムとなっている中野島ダムなどなど,もはやそこに在来の生態系など考えることすらできない。その昔,洗剤のアワがプカプカ浮かんで「死の川」だった記憶はないのか?
いうなれば,多摩川は「漁業権の設定された水たまり」である。
そこに勝手に琵琶湖産のアユを放流する。国内外来種の放流である。もっと無着苦茶なのは,サケの幼魚放流である。南限とされる利根川よりはるか南,その川に,そして,人的変異がもっとも激しい川に放流する。その影響は考えもしないのだろう。
バスが増えているのなら,とっくに釣りに行っている,と東京のバサーはいうだろう。オズマも,クルマで数時間もかけて霞に行くより,自転車で1時間の川に行くはずだ。
しかし,多摩川でバス釣り,というのはあまりにも釣れない。荒川も同様で,オズマの技術ではさっぱりどうにもならない。20年以上前からバスがいるといわれた両河川だが,荒川では数匹釣れただけだし,多摩川ではバスの存在確認すらできていない。ネット上で情報は見るけれど,霞よりはるかに難しいと予想できる。
これは,また保証金問題だろう。琵琶湖の図式と同じだ。
多摩川という,極めて人為的改変著しい川。そこに漁業権があるからヤヤコシイだけ。
写真は,オズマが18歳当時すでに「ドリキン」といわれていた土屋圭一の『AE86クラブ』復刻版DVDである。断捨離を実行したときに,つい中古で購入してしまった。10年前にさんざん見たのに。500円だったからいいか。
さて。オズマは合宿免許で免許をとった。あれは大学1年の春休みである。
準備は小学生から始まっていた,とさえ思う。オズマの父運転するMT車のシフトレバーに手をあて,父に動かしてもらう。それだけで,なにかこうクルマを操作している楽しさがあった。また,高校生のとき,たまにバスで通学するときも,運転手の手足の動きを見て,「うむ,あれが半クラッチか」などと,手足の動きを真似しながらバスに乗っていた。
だが,本当の準備に必要だったのは,やはりお金であった。当時でも20万円はかかったのである。合宿ならまず延長はない,という判断から決めた。姉が通いながら何ヶ月もかかったものが2週間でとれる。ならば20万円は安いと思った。
バイトから始まった。ひたすらに働いたつもりだったが,溜まったのは13万円ほどだったと思う。ほかは一文無しだ。困った。困ったが,若者の特権「親から借金」で残額を調整した。
教習そのものは,よくいわれる「坂道発進」も「クランク」も「バック」も,どういうわけかうまく行った。仮免は100点で合格し,その証書もある。本免試験も問題なく,東京・東陽町の試験場でもあっというまに合格である。4/6のことだ。大学2年がバラ色に見えた。
だが,実際東京を走ってみると,あまりにも田舎と違った。誰も譲ってはくれない。高速道路は「流れ」にのらないと動けない。何より,最初の数年間,半年に一度はバックやらなにやらで壁やガードレールに擦りまくった。
そんなときでも,ずっと頭から離れなかったのが,当時すでに伝説化していたハチロクである。部活の先輩のレビン1600GTのカッコヨサにしびれた。それからである。とくに「1600GT」という言葉の響きが自分にとってかけがえのないものとなったのは。
それにしても。当時教官から言われたことが印象的だ。
「オズマ君は,技術はともかく,性格が運転に向いてないかも。気を付けろよ。」
その言葉を噛み締めるのは,EF9-VTECに乗ってからだった.....。クルマの性格は隠れた人格を浮き上がらせる.....。
気がつくと,運慶関係の書物ばかり集めていた。
読むたびに新発見がある。仏像に出会うたびに新しいものを感じる。
オズマは特定の宗教・宗派ではないが,運慶の仏像は大好きで,調べてみると9割以上のものに出会っている。インチキ出張,いやいや,効率的な関西出張が功を奏したのだろう。
仏像が好きだ,というと,「お寺巡り」「神社巡り」が好きなのかとよく誤解される。しかし,オズマは,ただひたすらに仏像を愛しているのだ。その仏像にかけられた願い,1000年分の人々の願い,廃仏毀釈に負けずに生き残った仏像の生命力。そういうものに,ただひたすら感動しているだけなのだ。
まだまだ道のりは遠い。運慶を理解するにはまだまだ時間もかかろう。だが,こうして写真を眺めているだけでも気分が落ちつくときもある。
バス釣りがほとんどOFFになる冬。さて,どこのお寺に行こうかな。
さっそくインストール。これで,土曜日出勤で聞けない番組もしっかり録音できるぞ。
そしていま,『宮川賢のパカパカ行進曲』を,録音したものを聞きながらこの記事を書いている。
最高だ。AMフアンは,とりあえず,このサイト(http://www18.atpages.jp/tetsu477/)でダウンロードして使ってみてほしい。
インチキ世論調査にどこまで翻弄されるのか。
民主党の極悪さは,たしかに報道を見ていれば「植えつけられる」。しかし,それは事実か? 真実か? 世論調査のいいかげんさ,そして何より「世論」のいいかげんさを,自民党も知っているはずだ。「みんなの党」がいいかって? そこに居る人間を考えないとコワイ。「世論」で動くのは危険である。
とにかく,民主党だとか自民党だとか,そういう内輪もめをしている時期ではないだろう。とにかく外交問題を軸に「ぶれない」内閣を期待したい。田母神俊雄氏が総理に,なんてことは期待しても無理だが,都知事選挙に出てくれれば期待はする。
まあ,とにかく選挙には行く。自分の思想と少しでも近い候補者に投票する。どんなに一票の格差があろうとも,税金をとられている以上,国民の権利を放棄する必要はないし,したくない。
中華思想。中国が世界の中心で,世界は中国を中心に廻ると考えるもの。その典型がこの「孔子平和賞」だろう。
もともと設けていたものであるのならば文句は言わない。それぞれのお国の事情,と解釈もしよう。
しかし,この受賞者が「台湾」の人であるところに,中国共産党の「台湾独立を認めず」という恣意も感ずる。あまりにも絶妙なタイミングだ。
まあ,中国は所詮こんな国。こんな国がこれから世界の覇者なる,などといまだに言っている人が多数いるが,日本車のような確固たる信頼を得ることはできないだろう。モノマネ国家だから。
日本人は卑屈になりすぎた。やはり15年前の村山談話の影響は計り知れない。
2年前。オズマは正義を訴えて追放された。罷免された。力なき正義だった,とも解釈できる。
いま,オズマの正義に力はあるか。
あえて答えずにいよう。
そして,ルアーBOXを整理した。一番多いものは何だろう.....。
われながら唖然とした。整理した結果がこの写真のとおり。
BOX1個をギッシリ埋めているのは,CB-100・200・250。
これでも,釣れないカラー(個人的にはライムチャートがとくに成績不良)を厳選し,過去に釣れたものやこれからも使えるものだけに厳選したのだ。
さすがはオズマの代名詞,というところだろうか。
それにしても。都心某所ではこのルアーが680円もしていた。かと思うと,近所では315円である。当然近所で購入することになる。
集め始めて,おそらく10年ほど。現役バリバリカラーの「マグマ」,真夏の「サバカラー」,基本の「FTカラー」,意外にアピールする「アユカラー」,などなど,本当によく釣れているルアー達だ。
しかし。このCB。真冬にはまったく釣れた記憶がない。いや,投げていると気分がなぜか沈んでくるぐらいだ。釣れないというよりは,はるかに釣りにくいのだろう。ムーンサルトしちゃったら冬のバスは追えないからなあ。
また来年,3月下旬ぐらいから活躍するだろう。ハードルアーはこうして観ていても飽きないから不思議だ。
制服ならぬ「制携帯」 生徒に配布、トラブル防止学ぶ(朝日新聞) - goo ニュース
本当に生徒のことを思うのなら,こんな西洋医学のようなワクチンもどきを仕込むより,危険なサイトでどのように被害に会うか,被害者の方々の話でも生で聞かせてみてはどうだろうか。
そもそも,ネットを酷使する自分は,たしかにウィルス対策を行っているが,それはあらかじめ「みかじめ料」と割り切っているからだ。したがって,そうした防備が不十分な携帯でのネット利用は一切行わない。PCだからこそかなりの対策をつぎ込めるし,自分の勉強になる。実社会で使えるようになる。
「制携帯」なるインチキワクチンもどきで得られるのは,この電話をもたせる学校と携帯電話会社の間での莫大な利益である。学校は携帯を指定する。指定した会社からしか購入できない。そして会社から学校へバックマージン。
この図式,近々暴かれるであろう。週刊誌にガッツリと。
本質は,メールやら携帯にうつつを抜かすより勉強しろ,の一言で済む話である。
これは,教育という名の商売がうまい学校法人の話である。
当時弟子であった有明省吾君が語っている....。
「正義のない力は暴力にすぎない.....かといって正義もそれを守りぬく力がなければ意味がない....か。」
「聞けば聞くほど.....真理だ!」
ウィキリークスのアサンジュ氏は,この「正義と力」を兼ね備えた人物ではなかろうか。
サイバーテロともいわれる暴露がきっかけとなり,ウィキリークスと取引停止したカード会社や検察などが,逆に続々とサイバー攻撃を受けている。正義を語るなら,自分の力を増強しないでどうするのだと,あえていいたい。
情報流出以前に,もう,彼を支援するパワーは世界中を駆け巡り,こうした事態になっている。
ウィキリークス事件をきっかけに,標題のコトバを思い出したこの夜。
今日12/8は,開戦記念日とも言われる。
欧米に支配されていたアジア諸国を解放するための聖戦だった,とも言われる。
反対に,日本終焉の日の始まりだという解釈もある。
だが,とにかくアジアの島国が立ち上がったのは事実。
負けることは最初からわかっていたはず。軍の暴挙ともいわれる。
だが。だが。解釈異なっても,この日を忘れてはいけない。
ハワイでは毎年大騒ぎ。日本が侵略してきたと。
歴史は解釈学である。その本質からみて,ハワイの米国人もまた三国人同様,都合のいい解釈をしているだけなのだ。
まずは事実を客観的に捉えること。そこから始まるのではないか。『ウィキリークス』にまたネタを投稿されるぞ。米国にもマトモな人たちは居ますからね。