六地蔵とトンバイ塀
六地蔵の近くにある 「 唐臼跡 」
泉山の六地蔵は、死者が死後、
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道のいずれの道を辿っても、
魂を救済するために、墓地の入り口、村の辻で祀られたそうです。
六地蔵の製作時期や詳細は明確ではないが、
江戸中期以後、一体方式の六地蔵が六体方式の地蔵に変化したようです。
その当時頃から、
葬儀は、六地蔵の広場か、寺の境内で行なわれていたようである。
トンバイ塀
弁財天社の大いちょうから西へ、有田陶磁美術館までのなだらかな下りの細道には、
トンバイ塀があり、焼物の町らしい風情を醸し出しています。
トンバイとは、登り窯を築くのに使ったレンガのことです。
レンガは、窯がたかれるうちに薪の灰をかぶり高温を浴びて、
表面がガラス質に変化し、微妙な色合いになります。
このトンバイや使い捨ての窯道具のハマ・トチンを赤土で固めて、
築いた塀がトンバイ塀です。
江戸時代、商人が町すじに店を構えていたのに対し、
窯焼は本通りからはずれた人通りの少ない場所に住み、
屋敷と仕事場をトンバイ塀で囲み製陶技術の秘密を守ろうとしたのだそうです。