「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

北九州市戸畑区  ・ 旧松本家住宅で聴く 「 ホワイト クリスマス 」 と ツリー

2012-12-24 00:05:50 | 日記 ・ イベント



旧松本家住宅のクリスマスツリー







































上に飾られているツリーは松本家住宅内で飾られているツリーである。
他にもたくさんツリーがあったが、写真に撮ったものだけを掲載することにした。

1階広間ではミニコンサートが行なわれていて、
その中で 「 ホワイトクリスマス 」 を演奏していた。

この夜は、眼と耳でクリスマスを味わせて頂いた。




熊本県天草市指定文化財 「 御領神社 二の鳥居 」

2012-12-24 00:04:14 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣











「 願主 長岡五郎 三郎源興就 」 と彫られている








「天保十一庚子年」と彫られている











この鳥居は、御領組大庄屋の長岡興就 ( おきなり ) により、
天保11年 ( 1840年 ) に奉納された鳥居である。
長岡家は肥後藩主の細川家の出自、
開祖の長岡興秋は細川忠興公とガラシャ夫人 ( 明智光秀の娘 ) との間に生まれた子とされており、
興就は11代目の大庄屋の役を継ぐ。

興就は農民救済のため、弘化2年に当時はご法度である越訴 ( おっそ ) を行い、
「 天草百姓相続方仕法 」 再発布を懇願した人である。
翌年、待望の 「 天草百姓相続方仕法 」 は発布されたが、興就は越訴の罪に問われ入牢した。

その後、一時帰宅を許されるが、相続方仕法の内容と入牢に対する不満により、
弘化4年 ( 1847年 ) 「弘化の大一揆」へと繋がって行く。
その一揆の後、首謀者である古江村庄屋の永田隆三郎と共に捕らえられ、
再び入牢の罪を受けけ、4年後には大庄屋役を没収された。

その後、興就は佐伊津村の中村家に預けられ明治2年に没し、墓地は芳證寺境内にある。
この鳥居は、越訴の7年前に建立されたもので、
柱に 「 願主 長岡五郎三郎源興就 」 とあり、
興就の悲願の程が窺える。



所在地 / 熊本県天草市五和町御領6846 ( 御領神社 )





栗毛列伝 ⑨  ミスターブランディー

2012-12-24 00:02:24 | 競馬・ボート






「 酔いしれて 」  ミスターブランディー



昭和六十二年の暮れ
有馬記念のゴール前
思いもよらぬ馬たちに
スタンドが一瞬 『 ワーッ 』 と沸いた
ミスターブランディにハシケンエルド
どちらも東西の伏兵として扱われ
ノーマークの気楽さに
気分よくスイスイと走る

あれから一年八カ月
忘れた頃の快走は
新潟のファンを酔わせる逃げっ切り
八才ながら気持ちは若い




ミスターブランディー
父 ディクタス
母 シャダイプレテエ