本渡 「 祗園橋 」
かつてこの祗園橋のたもとに 「 南蛮えのき 」 があった。
国指定重要文化財(指定年月 平成9年12月3日)
所在地 / 熊本県天草市中央新町・船の尾町
架橋 / 天保3年 ( 1832年 )
石工 / 石屋辰右エ門
長さ / 28.6m 幅 / 3.35m
拱矢 / 2.9m 径間 / 不明
連続した桁を使った石橋は、鹿児島市慈眼寺公園内にある
五径間桁橋を見たことがあるが、これだけの規模の石組みの桁橋を見たのは初めてである。
この石橋は、天保3年(1832年)町山口村庄屋大谷建之助が発起し架設したもので、
祇園神社の前にあることから、 「 祗園橋 」 と呼ばれています。
石造桁橋では日本最大で、長さ28.6m幅3.35mあり、
45脚の石柱により支えられている。
下浦村(現下浦町)石屋の辰右衛門により建造され、地元の砂岩が使用されている。
祗園橋は、本渡市街地の中心を流れる町山口川に架けられており、
多脚式円弧型(正式には桁梁円弧型多脚柱付大石橋)という構造で、この形式では日本最大という。
これだけの脚 ( 5本9列=45脚 ) を持っていて、水害でよく流されないものだと思う。
理にかなった橋なのであろう。
一見雑に組まれているようだが、緩やかにアーチを描いており、優雅で美的な橋であり絵になる。
祇園橋が架かっているここは、案内板にもあるように天草の乱で激戦地となったところだが、
当時はこの橋はなかった。
橋が架かったのは乱から約200年後である。
祗園橋の付近は、寛永14年(1637年)11月 天草の乱で、
天草四郎の率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所である。
両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられている。
毎年、10月の第4日曜日には殉教祭が催され、宗派を超えて御霊の供養が行われている。