「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

熊本県天草市  ・  近代文化遺産と石橋の 【 祗園橋 】

2012-12-27 00:07:44 | 近代化産業遺産・土木遺産



本渡 「 祗園橋 」

























































かつてこの祗園橋のたもとに 「 南蛮えのき 」 があった。












国指定重要文化財(指定年月 平成9年12月3日)

所在地 / 熊本県天草市中央新町・船の尾町
架橋  / 天保3年 ( 1832年 )
石工  / 石屋辰右エ門
長さ   /   28.6m   幅   /  3.35m
拱矢  /   2.9m   径間  /  不明



連続した桁を使った石橋は、鹿児島市慈眼寺公園内にある
五径間桁橋を見たことがあるが、これだけの規模の石組みの桁橋を見たのは初めてである。


この石橋は、天保3年(1832年)町山口村庄屋大谷建之助が発起し架設したもので、
祇園神社の前にあることから、 「 祗園橋 」 と呼ばれています。
石造桁橋では日本最大で、長さ28.6m幅3.35mあり、
45脚の石柱により支えられている。
下浦村(現下浦町)石屋の辰右衛門により建造され、地元の砂岩が使用されている。


祗園橋は、本渡市街地の中心を流れる町山口川に架けられており、
多脚式円弧型(正式には桁梁円弧型多脚柱付大石橋)という構造で、この形式では日本最大という。
これだけの脚 ( 5本9列=45脚 ) を持っていて、水害でよく流されないものだと思う。
理にかなった橋なのであろう。
一見雑に組まれているようだが、緩やかにアーチを描いており、優雅で美的な橋であり絵になる。

祇園橋が架かっているここは、案内板にもあるように天草の乱で激戦地となったところだが、
当時はこの橋はなかった。
橋が架かったのは乱から約200年後である。







祗園橋の付近は、寛永14年(1637年)11月 天草の乱で、
天草四郎の率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所である。
両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられている。
毎年、10月の第4日曜日には殉教祭が催され、宗派を超えて御霊の供養が行われている。



熊本県天草市  ・  祗園橋にある 「 橋本徳寿の歌碑 」

2012-12-27 00:06:05 | 文学・文化・映画作品
















祗園橋の袂にある橋本徳寿の歌碑には、

「 町山口川の
 流れせきとめし
 殉教者の
 むくろ数百千にして
 名をばとゞめず 」



と、ある。

本渡市内の町山口川の流れを堰き止めるほど、
数え切れないほど多くの殉教者の死体であふれていた。
それも誰が誰だか名前も分からないほど変わり果てていた。
そんな状況を詠った碑である。


橋本徳寿 ( はしもと とくじゅ )

1894-1989 大正-昭和時代の歌人。
明治27年9月10日生まれ。木造船技師をつとめる。
大正7年土岐善麿(とき-ぜんまろ)の選で第1歌集「船大工」を刊行。
のち古泉千樫(こいずみ-ちかし)に師事,昭和2年歌誌「青垣」の創刊に参加した。
平成元年1月15日死去。94歳。神奈川県出身。
工学院卒。歌集に「ララン草房」「日本列島」など。


熊本県有明町   ・ タコが入る 「 蛸 壺 」

2012-12-27 00:01:46 | 探訪 ・ ドライブ







天草の港に行くとタコで売り出しているだけあって、
蛸壺が置かれているのを見かけるが、
タコが住む場所だから “ タコ部屋 ” ならぬ 「 蛸つぼ 」 である。