琉球最初の王 「 舜天王の墓 」
「 舜天王と舜馬順熈王之墓 」 と刻まれた墓碑
墓の前にある「ナスの御嶽」の碑
仲順の集落のはずれから屋宜原へ向かう道路沿い、水道タンクの南側の杜がナスの御嶽である。
『 琉球国由来記 』 ( 1713年編集 ) によるとここに祀られている神は 「 ナスツカサ御イベ 」 で、
安谷屋ノロが祭祀を掌っていた。
仲順の集落はかつてこの御嶽一帯にあり、
御嶽を 「 腰当て 」 として南側に発展していったといわれる。
御嶽の中にある琉球石灰岩の大岩が御嶽の本体 ( イベ ) だと考えられる。
この岩の上には、舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓がある。
舜天王 ( 12世紀後葉 ) は、琉球最初の王と伝えられている。
三代目の義本王のとき、干ばつで大飢きんとなり、国の半数が餓死したという。
自分の力では世を治めることが出来なくなり、英祖王に王位を譲り身を隠し、
晩年は旧知の仲順大主に身を寄せ、没した。
その遺骨をひそかにナスの御嶽の西方約200mにある王妃墓に葬られたとか?
義本王の家臣は、舜天王と舜馬順熈の遺骨を抱いて人目を忍んで移動し、
ナスの御嶽に葬ったと伝えられている。
沖縄県北部にある辺戸の義本王の墓は、息子の浦添王子という説がある。
義本王の直系にあたるという花崎家には、元祖位牌を祀ってあり、
旧暦9月13日には、花崎門中や仲順の住民によって、
舜天王、義本王、仲順大主の例祭が行なわれている。
仲順の集落はかつてこの御嶽一帯にあり、
御嶽を「腰当て」として南側に発展していったといわれる。
平成7年6月16日に北中城村の史跡に指定された。