「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県本部町  「 瀬底大橋 」

2013-06-01 00:05:43 | 沖縄の橋



橋の下から見た「 瀬底大橋 」















伊江島へ向うフェリーから見た 「 瀬底大橋 」











 

瀬底大橋が架かる沖縄県道172号瀬底健堅線は、
沖縄県国頭郡本部町の瀬底島と沖縄本島の健堅とを結ぶ一般県道である。

路線データ
起点:国頭郡本部町字瀬底(瀬底島)
終点:国頭郡本部町字健堅(国道449号)
総延長:2.77km(実延長も同じ)

1974年(昭和49年)に瀬底島への架橋を県道として建設することになり、路線が指定される。
1985年(昭和60年)2月に瀬底大橋が開通し、全長762mは当時沖縄県内では最長の橋だった。
瀬底大橋開通前は対岸の本部港から1日10往復の定期船が就航していた(所要時間はたった6分)。



沖縄県北中城村   「 舜天王と舜馬順熈の墓 」

2013-06-01 00:02:03 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



琉球最初の王 「 舜天王の墓 」




















「 舜天王と舜馬順熈王之墓 」 と刻まれた墓碑







墓の前にある「ナスの御嶽」の碑


















仲順の集落のはずれから屋宜原へ向かう道路沿い、水道タンクの南側の杜がナスの御嶽である。
『 琉球国由来記 』 ( 1713年編集 ) によるとここに祀られている神は 「 ナスツカサ御イベ 」 で、
安谷屋ノロが祭祀を掌っていた。
仲順の集落はかつてこの御嶽一帯にあり、
御嶽を 「 腰当て 」 として南側に発展していったといわれる。

御嶽の中にある琉球石灰岩の大岩が御嶽の本体 ( イベ ) だと考えられる。
この岩の上には、舜天・舜馬順熈・義本の三王を葬ったとされる墓がある。
舜天王 ( 12世紀後葉 ) は、琉球最初の王と伝えられている。

三代目の義本王のとき、干ばつで大飢きんとなり、国の半数が餓死したという。
自分の力では世を治めることが出来なくなり、英祖王に王位を譲り身を隠し、
晩年は旧知の仲順大主に身を寄せ、没した。
その遺骨をひそかにナスの御嶽の西方約200mにある王妃墓に葬られたとか?
義本王の家臣は、舜天王と舜馬順熈の遺骨を抱いて人目を忍んで移動し、
ナスの御嶽に葬ったと伝えられている。
沖縄県北部にある辺戸の義本王の墓は、息子の浦添王子という説がある。
義本王の直系にあたるという花崎家には、元祖位牌を祀ってあり、
旧暦9月13日には、花崎門中や仲順の住民によって、
舜天王、義本王、仲順大主の例祭が行なわれている。

仲順の集落はかつてこの御嶽一帯にあり、
御嶽を「腰当て」として南側に発展していったといわれる。
平成7年6月16日に北中城村の史跡に指定された。