「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

選手軽視に怒れ!プロ野球選手会

2013-06-15 12:18:06 | 野球







今回の統一球の問題は、加藤コミッショナー始め執行部の “ 選手軽視 ” の何ものでもない。
「 飛ぶ、飛ばない 」 の問題は、投手にとっても打者にとっても死活問題である。
基準よりも飛ばなさ過ぎても問題だし、飛び過ぎても問題であろう。
基準よりも飛ばないボールと解っていながら2年間放置していたことは、 あまりにも甚だしい。
実際に手にしてプレーをする選手や監督に知らされていないこと自体が不自然であり、疑問である。
このことを踏まえ、選手会は一枚岩となって戦うべきである。

「 飛ぶ、飛ばない 」 のボールの調整は誰がどのような指示で行なわれたのか?
なぜ、選手会に知らされてなかったのか?なぜ、今の時期なのか?など、
今後疑惑解明に向けて第三者委員会による徹底した調査とその情報開示が望まれる。





鹿児島県鹿児島市 ・ 近代土木遺産 「 旧鹿児島興業館 」

2013-06-15 07:24:38 | 近代化産業遺産・土木遺産



異国を思わせる造りの興業館









どっしりとした本館に装飾を施したバルコニー








バルコニー部の連続したアーチ構成








重厚な柱頭にもデザインが施されている








高欄に透かしが入り、角に擬宝珠を施している








石橋を思わせるアーチと柱








階段の手すりにも直線と曲線が上手く使われている








切り石の長さでアクセントを付けたコーナー






所在地   /  鹿児島県鹿児島市城山
竣工    /  明治16年 ( 1883年 )
設計者  /  不詳
■  登録有形文化財



旧鹿児島興業館は素晴らしいと思う。驚くのはその建造時期である。
明治16年といえば鹿鳴館竣工の年、封建社会から解放され近代文化の美酒に人々が酔いしれた頃、
一地方の共進会にこれほどの建物が建てられている。
鹿鳴館は煉瓦だが興業館は鹿児島らしく地元の凝灰岩を使った石造である。
現在は存在しないが、建物の正面には庭と池があったという。これも鹿鳴館と変わらない。
さすがに見物客が絶えなかったというほど、明治の人々を驚かせた凝灰岩のビルディングであった。
そんな興業館は見る者に話しかけてくる建物である。

まずは石の使用と加工技術である。
鹿児島に薩摩藩時代から根付いていた石造文化はここで最高潮に達している。
変則的なアーチ構成、整然とした壁の石積み。基礎部の頑強さも特筆に値する。
バルコニーの高欄には透かしを施し、この建物を俄然楽しく彩っている。
そんな角には擬宝珠を配している様はまるで石橋のようである。
設計者は外国人だと伝わっているが、鹿児島に残る秀麗な石橋を見てその技術を細部に利用したと思われる。

明治にもたらされた西洋の建築文化と薩摩の地に育まれた職人の技、
そして火山の賜物である凝灰岩という素材がここに昇華している。
石造ビルディングが残り少ない九州にあって、興業館の持つ意義は計り知れない。


旧鹿児島興業館へのアクセス
旧鹿児島興業館へは、鹿児島中央駅前の市電で鹿児島駅行きに乗車し、「天文館通り」 にて下車。
そこから山側(左側)に歩いて行くと県立博物館がある。その裏の照国神社の鳥居の前になる。
駐車は、近くに有料駐車場が有る。
ちなみに市電の料金はどの区間でも、1回の乗車は同じ金額である。



北九州×クロス 『 浜中 俊 騎手 』

2013-06-15 07:15:30 | 競馬・ボート



デグラーティアで重賞初制覇となった小倉2歳ステークス















こっちを向いて手招き?












夕べNHK北九州が製作した 「 北九州Xクロス 」 という番組で、
小倉北区出身の浜中 俊 ( すぐる ) 騎手の特集が放送された。
その中で、 「 競馬で速い馬や強い馬に勝つにはある程度のリスクを覚悟した騎乗をしなければ
速い馬や強い馬には勝てない。 」 ということを言っていた。
彼の大胆な騎乗や計算された騎乗が、「 常に速い馬や強い馬に分があるわけではない 」 ということを証明していた。

ヴクトワールピサでドバイワールドカップを勝利したMデムーロ騎手の一気に押し上げた騎乗に触発されてか?
最近は日本の競馬でも大胆な騎乗が目に付くようになって来た。
確定板狙い(5着入線)の堅実なレースをするか、一か八かの頭狙い大胆なレースをするかは騎手の判断と技術。
そして勇気であろう。


浜中騎手は、故郷である福岡・小倉で乗馬を始め、2004年に競馬学校へ入学。
2007年栗東の坂口正大厩舎所属騎手としてデビュー。
同期には藤岡康太、宮崎北斗、丸田恭介らがいる。
同年4月7日に初勝利を挙げ、デビュー初年度は20勝を挙げ同期では藤岡康太の24勝に次ぐ成績を収める。
なお当初は平地競走・障害競走双方の免許を保持していたが、
のちに騎乗機会のないまま障害免許は返上している。

2008年9月7日、小倉2歳ステークスをデグラーティアで優勝、中央競馬の重賞初制覇。
このほか中京や地元・小倉などの西日本のローカル開催を中心に騎乗し、
前年度を大きく上回る73勝を挙げる。

2009年春に通算勝利数101勝をマークし自力で見習騎手を卒業。
同年10月には菊花賞をスリーロールスで制し、中央競馬のGI競走初制覇を達成している。

2012年9月22日には自身初の年間100勝を達成。
デビューから6年目での達成は、史上4位タイの記録である。
最終的に131勝をあげ武豊(1989年、当時20歳)・福永洋一(1970年、当時22歳)に次ぐ
24歳の若さで自身初の全国リーディングジョッキーを獲得。
また、グレード制導入以降で当該年GI未勝利リーディングジョッキーは岡部幸雄(1987年)、
柴田政人(1988年)以来24年ぶり3人目(浜中に関しては2着も0回)。
ただし、地方交流競走との合算勝利数では岩田康誠が上回ったため、
JRA賞最多勝利騎手の受賞はならなかった。

2013年1月23日、TCK女王盃をメーディアで大井競馬場初騎乗初勝利を果たす。

競輪の吉岡稔真が引退し、小倉の顔が無くなったと思っていたが、
これからは小倉男として全国に羽ばたいてもらいたい。




沖縄県本部町 「 渡久地港第四号灯浮標 」

2013-06-15 07:13:29 | 沖縄の灯台







灯台表番号 / 7109
ふりがな / とぐちこうだいよんごうとうふひょう
標識名称 / 渡久地港第四号灯浮標
所在地 / 渡久地港南防波堤灯台(沖縄県国頭郡本部町)の西方約1.7km
北緯  / 26-39-33 
東経  / 127-52-16
頭標 / 赤色円すい形頭標1個付
塗色 / 赤色
灯質 / 単閃赤光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度 45カンデラ
光達距離 / 4.0海里
水面上~灯火の高さ / 4.7m
業務開始年月日 / 昭和47年5月15日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)