「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

今日は何の日? 「 路面電車の日 」

2013-06-10 20:16:27 | 今日は何の日?



鹿児島市電 ( 高見馬場付近? )







長崎の路面電車 ( 大浦天主堂下 )







長崎の路面電車






長崎市役所下の 「 桜 町 」 電停







長崎の路面電車








熊本の路面電車 ( 通り町付近 )






熊本の路面電車 ( 熊本駅前付近 )







札幌の路面電車






札幌の路面電車






札幌の路面電車






岡山の路面電車







鹿児島の路面電車 ( 鹿児島中央駅付近 )















鹿児島市電 ( 水族館口電停 )







鹿児島の路面電車 ( 天文館電停 )







鹿児島中央駅電停







動画は長崎市電の賑橋→西浜町




何気に撮った各地の路面電車の写真であるが、
こうして改めて見るといいものである。

6月10日の今日は6の路と10テンが転訛してデンと読ませて、
ロデン ( 路電 ) の語呂合せで路面電車の日らしい。
何となく無理矢理コジツケタ感もしないでもないが、
まぁ、愛嬌として受け取りたい。




ふたたび 「 国吉グスク 」

2013-06-10 06:09:08 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスク内部の主郭広場








保存よく残されている石垣







グスク内の拝所







グスクの城門







国吉グスクの説明板





国吉グスクは、南山城の西、約700mのところにある石灰岩の丘陵地に築かれたグスクである。
グスク頂上には広場があり、野面積みの石垣が残っている。
このグスクも八重瀬グスク・照屋グスクとともに、南山城の防禦の砦として配置された城である。
城主は、国吉比屋 ( クニヨシヒヤー ) だといわれている。
また、護佐丸の遺子、盛親 ( もりちか ) の面倒を見たともいわれている。


『 国吉比屋の予言 』
金屏風とカデシ川の交換を終えて、
得意満顔になって他魯毎王 ( たるみーおう ) に報告する与座大主 ( よざうふぬし ) に、
「 この交換は将来禍根を残す事になる 」 と国吉比屋は忠告したが、
大主はいっこうに聞き入れようとはせずに、逆に謹慎を申し付けた。
与座大主にお供して、金屏風を受け取りに行ったときの尚巴志の容貌、堂々とした態度と見事なまでの雄弁、
どれを見ても将来大きな事を成す人に思えた国吉比屋は 「 交換された金屏風は尚巴志に返し、
カデシ川を取り戻さなければ、後日憂いを招くことがあるだろう、
そして尚巴志は地頭も按司も望まないというけれど、南山を打ち滅ぼさんと画策しているのは必定であり、
ここで尚巴志に心を許してしまえば、南山はおろか三山までも滅ぼされてしまう 」 と忠告したが、
聞き入れようとはしなかった。
ことは比屋の予言したとおりになり、南山城は尚巴志によって滅ぼされてしまう。


国吉グスクへのアクセス
国吉グスクへは、国道331号線を糸満ロータリーから左折し、
県道77号線の照屋交差点を右折して県道7号線に出る。
そして道路脇の高嶺小学校から右折して南山城を過ぎて700mほど行った坂の頂上を過ぎて
すぐ右に入った所にある。
駐車は、周りが畑なので邪魔にならないように停めれば十分に駐車できる。



興南高校野球部 「 国吉大陸 」

2013-06-10 06:07:54 | 野球




















春夏の甲子園連覇で沖縄はもとより、全国を沸かせた興南高校野球部。
そのチームの1番バッターとして活躍した国吉大陸。
彼がバッターボックスに立つと甲子園のスタンドから、彼の名にちなんで 『 情熱大陸 』 が流れた。
双子の彼は同じ野球部に所属する 「 大将 」 ともども国吉比屋の血を受け継いだひとりであろう。


西原中学校から興南高校へ進み、そして明治大学へと進んだ。
だが、あれほど全国を熱狂させた野球への道を進まず会計士を目指して頑張っているらしい。
どの道に進んでも厳しさは付きまとうと思うが、
厳しい練習に耐え、プレッシャーのかかる場面で戦って来た強い精神力があれば、
自分の夢をカタチに出来ると思う。
頑張れ!情熱、国吉大陸!



沖縄県那覇市 ・ 忠義の人 「 国吉比屋の墓 」

2013-06-10 06:06:09 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



国吉比屋の墓




















国吉比屋の墓は、以前に紹介した 儀間真常の墓 の近くにあり、
亀甲墓が多い沖縄にあって家屋造りの珍しい墓で、
国吉家の家紋の丸に二本帯が入っている。

始祖は忠義の士・国吉比屋 ( クニヨシヒヤー ) 。
阿麻和利の軍勢に取り囲まれて護佐丸は、妻、長男、次男、ともども自害して果てる。
この時、三男の盛親一人が、乳母に抱かれて城から逃れた。
無事に落ち延びた先が、島尻の高嶺間切国吉・真栄里。
そこで、盛親は、気骨のある人物に会い、一命を救われた。
この気骨ある人物というのが、国吉比屋 ( クニヨシヒヤー ) で、
那覇士族、査姓の始祖・国吉真元であった。
護佐丸に劣らぬ 「 忠義心の持ち主 」 で、
その気骨ある人柄は、いまだに子孫達の間で、熱っぽく語られている。
沖縄の組踊りにも 「 情けに厚い人物 」 として 「 二童敵討 」 にも登場する。
又、 「 義臣物語 」 では、 「 国吉比屋の忠義心 」 がテーマである。
現在、那覇市松山を中心に子孫の数は、三万人にも及ぶといわれる。
同門中の特色は、そのほとんどが、 「 国吉 」 の姓を名乗っていることである。