デビュー4戦目に行なわれたオール新人戦の特別選抜戦2着 ( 右 ・白の染め分け帽 )
甲子園競輪に初めて参加したのは、上の写真のデビュー4戦目に行なわれた新人戦であった。
同期生ばかりによる新人戦だが、デビュー3戦目の広島で行なわれた新人戦では逃げて優勝2着となり、
自信を持っての参戦であった。
参加選手上位9名によって争われた初日の特別選抜戦。
この日も先頭で風を切って逃げたが、卒業記念レースを優勝したチャンピオンHに捲くられた。
だが、後続の選手には抜かせず粘りに粘っての2着だった。
その時のレースのことを書いた新聞の切抜きを今も大事に取ってあるが、
記事を読んでいるとあの時のレースが今も鮮明に甦って来る。
続く2日目の準優勝戦は、中団の内に詰まって行き場を失い。
焦って強引に突っ込んで前を行く選手を落車させ、自らも落車する憂き目に遭った。
選手になって初めて落車したのは甲子園競輪場だった。
当時の甲子園と西宮に参加する選手の宿舎は西宮市小曾根町の武庫川沿いにあり、
そこからそれぞれの競輪場へバスで移動していたので、
治療が終わって擦過傷だらけの身体に絆創膏と包帯を巻いてバスに乗って宿舎まで帰ったのを
この日のレースのことよりも憶えている。
1年後には、各競輪場で優勝争覇級となって参加していたので、
2度目の参加の時は優勝4着。そして3度目の時は、 「 なんとか逃げ切った 」 と思って下りて来ると、
地元兵庫の先輩が、 「 お前のお蔭で優勝や! 」 と言ってタイヤを差し出したので、
「 あれ~、優勝したんは俺やろ! 」 って思いながら割り切れない気持ちでタイヤを受け取った。
しばらくして写真判定の結果が出て、タイヤ差の際どい勝負でボクが勝っていたので、
バツが悪そうな先輩にタイヤを戻しに行くと、
「 九州のお前が俺ら地元の選手を付けて気持ちよ~行ってくれたからな! 」 と言って、
新聞紙に包んだタイヤを押し返した。
「 それでは 」 ということで頂いたが、優勝した自分が貰うなんて何となく複雑な気持ちだった。
自転車を輪行バッグに詰め、着替えて空港へ向うタクシーを競輪場の通用門で待っていたら、
新聞記者から 「 良い誕生日になりましたね。 」 って言われてハッとした。
「 そうか。今日は俺の誕生日やったんか! 」 って・・・
それで新聞記者に「 レースのことしか考えとらんやったけん 」 と言って、タクシーに乗り込んだ。