南風原按司と花城親方の墓
南風原按司の墓
花城親方の墓
国道331号線を具志頭ドライブインから右に入った所に墓がある。
動画も写真も南風原按司守忠 ( はえばるあじ もりただ ) と
その子花城親方守知 ( はなしろうぇーかた もりとも ) の墓である。
墓は那宇島から当地に移したと言われている。
神屋 ( かみやー ) は、具志頭グスクに上る右手角の瓦葺き屋である。
南風原按司守忠は南山王他魯前の弟で、八重瀬グスクの南山王統最後の城主といわれている。
尚巴志が南山を攻めた時、親交のあった具志頭の安里大親の身を隠し難を逃れた。
しかし、ここは危険とみて与那原から舟で久志村汀間 ( 名護市久志汀間 ) に逃れた。
後年、安里大親の身が気がかりでこっそりと帰って来た。
その後、安里大親の娘 ( 次女 ) との間に子をもうけた。その子が後の花城親方守知である。
守知は具志頭花城村の地頭職をつとめ、花城親方を名乗り、
具志頭村の屋富祖大屋子の娘をめとって、一女をなす。
その孫娘が尚 真王の夫人 ( 華后 ) となり、尚清王を産んだ。
よって花城親方守知は、第二尚氏第三代王尚真王の養父を努めた人物である。
子孫は阿氏前川殿内で、
安里大親の長女?の子孫は具志頭に住む屋号 「 謝嘉比 」 仲間家といわれている。