苗代大比屋の屋敷跡は南城市佐敷町の集落後方の丘にあり、小公園を左折すると、
舗装道の左手に舗装のない坂小道を登ると左手に 「 苗代大比屋の屋敷跡 」 の路標が立っている。
コンクリート建ての神殿内に位牌があり、 「 尚思紹王霊位、妻思真満金 」 と記されており、
もうひとつの位牌には 「 尚巴志王ウナザラヌメー妻 」 と記されている。
向って左に火ヌ神を祀る。
苗代大比屋は本名を思紹 ( ししょう ) と言い、父である鮫川大主 ( さめかわうふしゅ ) が当時、
一帯の勢力を持っていた大城按司 ( うふぐすくあじ ) に認められて按司の娘を貰い、
二人の間に産まれた子が思紹であった。
思紹は鮫川大主の跡を継ぎ佐敷按司となりました。
思紹は美里の子を妻にしてこの地に住んでいたと伝わっている。
その後は息子の巴志が産まれ、巴志が育つと彼に按司を任せて隠居の身となったが、
祖父の大城按司が隣の大里 ( うふざと ) グスクの大里按司との戦いに敗れると
息子と共に兵を挙げて大里グスクを攻略して大里按司を討ちます。
息子の巴志は当時の王であった武寧 ( ぶねい ) を討ち思紹は1406年に中山王に即位した。
在位期間中は30回の交易を行い、息子である巴志の琉球統一の為の国力となった。