「 御花 」 の船乗り場
福永武彦は昭和17年 ( 1942年 ) から、
中村真一郎、加藤周一らと新しい文学グループ 「 マチネ・ポエティク 」 を結成し、
昭和22年 ( 1947年 ) に 「 1946文学的考察 」 を発表し、
戦後の荒廃した社会に新世代による新たな芸術至上主義を宣言し、脚光を浴びる。
『 廢 止 』 は、昭和34年 ( 1959年 ) に、雑誌 「 婦人之友 」 に発表。
福永が41歳の時の作品である。
物語は大学生の 「 僕 」 が、卒業論文を書くためにこの地の旧家を訪れ、ひと夏を過ごす。
旧家の姉妹である郁代、安子、旧家の養子・直之と 「 僕 」 との間で揺れ動く
複雑で微妙な恋愛感情を描いたものである。
「 この古びた町の趣は、舟の上から見るとまた一段とすぐれてゐた。
白い土蔵や白壁が夕陽を受けて赤々と輝き、
それが青黒い波に映って見事な調和を示していた。
小舟が横にそれて割り堀にはひると、
水の上に藻がはびこって、その緑色が蒼い水の上に漂ふさまが夢のやうだった 」 と、
水郷柳川の描写をしている。
柳川の川下りは、全長約4キロのコースで、
西鉄柳川駅近くの乗船場からドンコ舟に乗り込み、
赤レンガの並蔵や「御花」のなまこ壁の蔵などを通って沖端まで下る。
そんな詩情あふれる風情を求めて四季を通じて観光客が訪れる。
福永 武彦は、大正7年(1918年)
福岡県筑紫郡二日市町(現・筑紫野市二日市)に生まれる。
1941年、東京帝国大学文学部仏文科を卒業する。
1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、
帯広中学校の英語教師として赴任する。
その年に処女作 「 塔 」 を発表する。
1954年の長編小説 『 草の花 』 で作家としての地位を確立し、
人間心理の深奥をさぐる多くの長編小説を発表した。
また、中村真一郎・堀田善衛とともに
映画 『 モスラ 』 の原作となる 『 発光妖精とモスラ 』 を執筆、
中村真一郎・丸谷才一と組んで、
西洋推理小説をめぐるエッセイ 『 深夜の散歩 』 を刊行し、
さらに加田伶太郎の名前で推理小説を書いた。
同人仲間の原條あき子(詩人、2003年没)と1944年に結婚したが、
1950年に離婚。二人の間に作家・池澤夏樹がおり、
更にその娘が声優・池澤春菜である。