「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

第2位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 ネット予約 」

2016-08-18 06:01:29 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

     最近はオリンピックの結果と、
     暑さばかりが気になる每日であるが、
     今朝は曇って風が吹いていたので、
     少し涼しく感じたが、
     それでも、秋までまだまだである。
     そんな今日の順位は2位で、
     ラッキーポイントは、
      「 ネット予約 」 である。

     周囲から注目度がアップ
     夏の新アイテムで外出を・・・



北九州市八幡東区  「 ジャンケンポン協定 」  佐木隆三

2016-08-18 03:41:31 | 文学・文化・映画作品



コークスを燃やし昼夜問わず ” 鉄づくり ” に従事する工場









八幡東区の高炉台公園にある 「 復讐するは我にあり 」 の碑






佐木隆三は、八幡製鉄所在社中に書いた 『 ジャンケンポン協定 』
 ( 昭和38年、新日本文学に発表 ) で、
昭和38年に第3回新日本文学賞を受賞する。
翌年から文筆生活に入り、現実の犯罪事件や法律、
裁判の矛盾点を鋭く突いた作品を書き続けた。

『 ジャンケンポン協定 』 は、会社とダラ幹 ( だらけた組合幹部のこと ) が、
5万人の労働者同士にジャンケンをさせ、負けた方をクビにする協定を結び、
その協定実施に日に、行列を作っている労働者たちのやり取りを描いた短編小説である。

ジャンケンポンは工場別に行われ、会社代表の課長と
組合代表の支部長の立ち会いのもと行われた。
ジャンケン参加者1124人のストリップミル工場では、
約3時間半かかる見込みであるが、勝負はなかなかはかどらない。

「 監督さん、アタシはチョキを出します 」
「 じゃ、ぼくもチョキを・・・ 」
「 どうしてもっと早く、アイコでショの術を発見できなかったんだろ 」
このつぶやきで小説は終わる。
結局、みんなの知恵で協定を骨抜きにしたわけである。

佐木は八幡製鉄所の体験を素材に 『 ジャンケンポン協定 』 を書いているが、
内容はフィクションであり、場所も特定できない。


佐木隆三は、1937年広島県から
旧朝鮮咸鏡北道に渡った両親のもとに生まれる。
1941年 広島へ帰国、終戦後八幡市 ( 現・北九州市八幡東区・西区 ) に移住。
1956年 福岡県立八幡中央高校卒業後、八幡製鐵に就職し文筆活動を開始。
1963年 「 ジャンケンポン協定 」 で新日本文学賞受賞。
1964年に八幡製鐵を退社後、文筆業に専念。
1976年 「 復讐するは我にあり 」 で第74回直木賞を受賞。
1990年 「 身分帳 」 で第2回伊藤整文学賞を受賞。
法廷ルポルタージュを多く執筆し、 「 裁判傍聴業 」 を自称する。



福岡県宗像市  ・ ニューじのしま 「 地島からの帰り 」

2016-08-18 02:22:22 | 船 ・ フェリー ・ 港














「 筑前大島に行った 」 はるさんのブログに感化されて?
昨日、宗像市営渡船 「 ニューじのしま 」 に乗って、
筑前大島ではないが、
かねてから渡ってみたいと思っていた ” 地島 ” に行って来た。
その第一目的は、倉瀬灯台の撮影である。
何年か前に筑前大島に渡って、大島から撮ったことがあったが、
灯台が遠くて写し難かった事もあって、
 「 今度は地島から 」 と思っていた。

天気も良かったし、台風も来ないし、
午前中ならば高温で海が霞んでないだろうと思って渡ったが、
心配することもなく、青い海に浮んだ倉瀬の白い灯台を写すことが出来た。
だが、灯台が見える展望台まで往復45分の山道を
猛暑のなか、重いカメラを下げて歩かねばならなかった。

今回はあまりのキツさに、午後から予定していた相ノ島への渡航を断念したが、
これから気候のいい秋口にでも、
相ノ島から博多までの灯台めぐりをしたいと思っている。