コークスを燃やし昼夜問わず ” 鉄づくり ” に従事する工場
八幡東区の高炉台公園にある 「 復讐するは我にあり 」 の碑
佐木隆三は、八幡製鉄所在社中に書いた 『 ジャンケンポン協定 』
( 昭和38年、新日本文学に発表 ) で、
昭和38年に第3回新日本文学賞を受賞する。
翌年から文筆生活に入り、現実の犯罪事件や法律、
裁判の矛盾点を鋭く突いた作品を書き続けた。
『 ジャンケンポン協定 』 は、会社とダラ幹 ( だらけた組合幹部のこと ) が、
5万人の労働者同士にジャンケンをさせ、負けた方をクビにする協定を結び、
その協定実施に日に、行列を作っている労働者たちのやり取りを描いた短編小説である。
ジャンケンポンは工場別に行われ、会社代表の課長と
組合代表の支部長の立ち会いのもと行われた。
ジャンケン参加者1124人のストリップミル工場では、
約3時間半かかる見込みであるが、勝負はなかなかはかどらない。
「 監督さん、アタシはチョキを出します 」
「 じゃ、ぼくもチョキを・・・ 」
「 どうしてもっと早く、アイコでショの術を発見できなかったんだろ 」
このつぶやきで小説は終わる。
結局、みんなの知恵で協定を骨抜きにしたわけである。
佐木は八幡製鉄所の体験を素材に 『 ジャンケンポン協定 』 を書いているが、
内容はフィクションであり、場所も特定できない。
佐木隆三は、1937年広島県から
旧朝鮮咸鏡北道に渡った両親のもとに生まれる。
1941年 広島へ帰国、終戦後八幡市 ( 現・北九州市八幡東区・西区 ) に移住。
1956年 福岡県立八幡中央高校卒業後、八幡製鐵に就職し文筆活動を開始。
1963年 「 ジャンケンポン協定 」 で新日本文学賞受賞。
1964年に八幡製鐵を退社後、文筆業に専念。
1976年 「 復讐するは我にあり 」 で第74回直木賞を受賞。
1990年 「 身分帳 」 で第2回伊藤整文学賞を受賞。
法廷ルポルタージュを多く執筆し、 「 裁判傍聴業 」 を自称する。