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風花舞う日経新春杯で66.5キロを背負って先頭に立ったテンポイント
「 悲しい流れ星 」 テンポイント
栗色の貴公子は
人気の重さに耐えかねて
トモを落とした四コーナー
「 なんとしても再起を 」 と
全国のファンから
ガンバレ ガンバレと
願いが届く
額の流星は悲しい流れ星
無事を祈る我らが胸に
希望は失せた
昭和53年1月22日 京都競馬場 日経新春杯にて
左第三中足骨多開骨折ならびに第一趾骨複骨折
術後の闘病生活中 3月5日 衰弱のため死亡
海外遠征の壮行レースでもあった日経新春杯。
京都大賞典で63キロを背負って2着に8馬身差の快勝をしたテンポイントだったが、
この日はさらに上乗せされて、66.5キロの斤量を背負った。
この時、勝ったジンクエイトが52キロで、
2着のビクトリアシチーが50.5キロだったことを考えると、
いかにテンポイントが背負わされていたかが解るだろう。
それでも断然の一番人気だったし、無理をせずに勝てると誰もが思っていた。
メンバーは天皇賞馬エリモジョージをはじめ、
ホースメンホープ、タニノチェスターなどが顔を揃えていた。
杉本 清さんの実況で、 「 あたかもテンポイントの門出を祝うかのように
粉雪が舞う京都競馬場でテンポイントが先頭です。」 で、スタンド前を通過したが、
「 あっ!鹿戸騎手が後ろを見ている。
テンポイントがおかしい。テンポイントがおかしいぞ! 」 と、
3コーナー過ぎから下がりだしたときは、悪夢だと思っていた。
ただただ、 「 無事で・・・ 」 と祈るばかりであった。
そして4コーナーで立ち止まったテンポイントに
全力で走り寄る山田厩務員の姿が今も忘れられない。
そのシーンを思い出す度に涙があふれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/bc/609fdde1292ea531472f31a788189c94.jpg)
菊の花を持って訪れたテンポイントの墓
「 愛しき玩具 」 テンポイント
いつも いつも
その馬に期待を寄せていた
勝っても 勝っても
まだ勝って欲しいと
無理な願いをしていた
いつも いつも
そばに置いていたお気に入りの
ゼンマイ仕掛けの戦車
走っても 走っても
もっと速く走らせようと
ネジを巻き過ぎて
壊してしまった
あんなに好きだったのに
無理を強いた
愛 ( かな ) しき玩具よ