「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

稀勢の里 「 念願の優勝おめでとう! 」

2017-01-21 18:18:52 | 相撲



初優勝を成し遂げた稀勢の里








貴ノ岩が白鵬を破った瞬間に座布団が乱れ飛んだ








白鵬を破った貴ノ岩の勝ち名乗り







優勝インタビューで右の頬を涙がつたった







腰高と言われた稀勢の里は、ただひたすらにすり足を繰り返す





 「 長い冬のあとに・・・ 」  稀勢の里 寛 



  長い冬のあとに
  雪解けがあるように
  優勝の呪縛が解けていった

  日本人力士で
  一番 優勝に近く
  そして横綱に近い
  そう言われ続けて5年以上
  その間に
  琴奨菊が優勝し
  豪栄道も優勝して抜いていった

  悔しい思いもしただろう
  焦りもあっただろう
  だけど寒い冬を耐えたからこそ
  春の喜びも大きい

  いっぱい いっぱい耐えた
  牛久の萩原 寛が 
  故郷に錦を飾る




平成29年初場所14日目より


今までずっと応援してきたから、
優勝が決まった瞬間に涙が出た。
本当に良かった。おめでとう稀勢の里

福岡県朝倉市  『 綾の鼓 』  後藤明生

2017-01-21 13:31:04 | 文学・文化・映画作品



謡曲 「 綾の鼓 」 の悲恋の地、桂の池跡碑








桂の池跡にある 「 綾の鼓 」 の説明板







桂の池跡に建つ「 綾鼓演能記念 」







桂の池跡は公園になっている





後藤明生は、戦後に朝鮮半島北部の永興から福岡に引き揚げ、
高校卒業まで甘木で暮らした。
早稲田大学在学中の昭和30年 ( 1955年 ) に、
『 赤と黒の記憶 』 で学生小説コンクールに入選、
その後、創作活動を続けた。

後藤明生の作品には 「 朝倉物 」 と呼ばれるいくつかの作品がある。
その一つの 「 綾の鼓 」 は、謡曲が好きだった父と、
父の故郷を振り返る作品で、昭和53年 ( 1978年 ) に、
文芸誌 「 海 」 に発表された。
本籍地は朝倉郡朝倉町だが、
そこに一度も住んだことがない 「 わたし 」 が、
父の友人からの手紙をきっかけに朝倉を訪れる。
そこで朝倉の伝説をもとにした謡曲 「 綾鼓 」 の存在を知った 「 わたし 」 の、
父への回想が主題となっている。


「 昔、百済の国を援けるために九州に向かわれた斉明天皇という女の天子様は、
ヨソンシュク ( 現・恵蘇宿 ) の仮御所でお亡くなりになった。
それで、その子の天智天皇様はヨソンシュクの山に木の丸殿を造って、
そこに籠もられ喪に服された 」


謡曲 「 綾鼓 」 は、世阿弥作で、
斉明天皇のころ、筑前の国木の丸御殿の庭掃きの源太老人が、
女御の御姿を見て恋慕の情に悩んでいた。
この老人に、廷臣が女御の言葉を伝えると、
それは、池辺の桂木に掛けた鼓を打って、
その音が御殿まで聞こえたら今一度会ってやろうと云う条件だった。

源太老人はその鼓を見つめ、打って音が出るならば、
そのときこそ恋心の乱れを静めることができるのだと、
唯一筋に心をこめて鼓を打ってみるが一向に鳴らない。
元より鼓は綾を張ったものなので鳴り響かないのは当然であった。
なぶられたと知った老人は、いたく嘆き悲しんだ末、
池に身を投げて恨んで死ぬ。

まもなく、女御の様子がおかしくなると、
老人の怨霊が髪を振り乱し、すさまじい形相で現れ、
今度はかえって女御に綾の鼓を打ちたまえと責めさいなむ。
そのために女御は物狂わしくなり、
そして、亡霊は無限の恨みを残したまま、再び池の中に消え失せたのだった。



後藤 明生(ごとう めいせい、1932年4月4日 - 1999年8月2日)本名は明正。

朝鮮咸鏡南道永興郡生まれ。
生家は植民地朝鮮の元山市で商店を営んでいたが、
彼が中学に入学した年に敗戦となり、日本に帰国した。
その引き揚げの途中で父と祖母を失った。
旧制福岡県立朝倉中学校に転入し、早稲田大学第二文学部露文学科を卒業。
大学在学中の1955年に『赤と黒の記録』で「文藝」の全国学生小説コンクールに入選。
博報堂を経て平凡出版(現・マガジンハウス)に勤務。
1962年に『関係』で文藝賞佳作。
1967年、「文學界」に発表した『人間の病気』で芥川賞候補となる。
1968年には『S温泉からの報告』と『私的生活』で候補となり、退社。
1969年に『笑い地獄』で4度目の芥川賞候補となるが、受賞はしなかった。
1977年に『夢かたり』で平林たい子文学賞、
1981年に『吉野大夫』で谷崎潤一郎賞、
1990年に『首塚の上のアドバルーン』で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。


福岡県朝倉市  「 源太の墓 と 地蔵尊 」

2017-01-21 08:01:37 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



源太老人の供養のために建てられた 「 陰陽地蔵尊 」









源太の墓







源太の墓と地蔵尊の説明板







源太の墓と地蔵尊がある 「 福成バス停 」





今から約1300年前、斉明天皇が朝倉橘広庭宮に遷られた頃、
天皇にお供してきた女官に、庭掃きの 「 源太老人 」 が思いを寄せていた。
しかし、身分の違いからこの恋は実らず、
源太老人は 「 桂の池 」 に身を投げて自殺してしまった。

一方女官は、毎晩源太老人の亡霊になやまされ、
とうとう気が狂い池に身を投げてしまったのである。
そこで、源太老人の供養のためにこの陰陽地蔵尊が建てられ、
隣には源太の墓が建てられたのである。



第11位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 博物館 」

2017-01-21 07:00:19 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

昨日あれだけ吹雪いた風も収まり、
今朝は静かな朝だった。

昨日は朝の散歩の時はそうでもなかったが、
時間が経つに連れて風が強くなり、
午後から吹雪いて気温が下がり寒さが増してきた。
朝のうちは 「 大寒 」 をナメていたが、
暦は正確なもので、それなりの気候になってきた。
これから2月4日の立春まで寒さが続くのだろうな。
そんなことを思う今日の順位は11位で、
ラッキーポイントは、
「 博物館 」 である。

ささいなことでケンカに?
柔らかい言葉選びが重要になるぞ。


想い出の東海ステークス  「 13番人気 」  ヤマトマリオン

2017-01-21 00:59:44 | 馬の詩 ・ それぞれ...

 「 13番人気 」  ヤマトマリオン



   直線に入って
   叩き合う馬群から
   どの馬が抜けるのか分からなかった
   そんな叩き合いを制して
   アタマに抜けた
   13番人気のヤマトマリオン
   約2年ぶりの勝利に
   驚いたのは配当だけではなく
   ファンも調教師も
   この馬の快挙に驚かされた






父 オペラハウス
母 ヤマトプリティ
主な勝ち鞍 フローラステークス

第25回 東海ステークスより