「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

年賀ハガキの3等 「 お年玉切手シート 」

2017-01-16 16:16:16 | 日記 ・ イベント



今年の干支の ” 酉 ” がデザインされた切手シート








3等の当選番号 「 45と51 」












毎年、年賀ハガキを出すのも来るのも少なくなってきている。
競輪選手と町議会議員と建設業の 「 三足のわらじ 」 時代は、
三〇〇枚くらいの年賀状を書いていたが、
今年は個人的なハガキは24枚だった。
その24枚から4枚の切手シートが当たった。
3等とは言え、当選確率は6分の1の高い確率での的中である。
年末ジャンボは外れたが、額は違うものの当選はウレシイものである。


以下、当選番号

1等
各組共通 下6けた  293633

2等
各組共通 下4けた  6470

3等
各組共通 下2けた  51  45


鹿児島県奄美市笠利町  「 大島奉行所跡 」

2017-01-16 12:23:26 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣
























琉球王朝から薩摩藩の直轄地となって
大島全体の行政機構がここに置かれた。
慶長18年(1613年)寛永10年(1635年)の22年間
大島統治の拠点となった。
現在は石垣だけがその名残をとどめている。
敷地内に入ると案内板の通り石垣に囲まれた空地が残っている。

薩藩治下の中央組織は、代官1人、横目1人(後2人)、
附役2人(後3人)、書役数名であり、
書役以外は藩庁から派遣された。
代官は13代までは奉行と呼ばれていた。



第12位 みずがめ座 今日のラッキーパーソン 「 手が大きな人 」

2017-01-16 06:02:34 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

今朝は山から冷たい風が吹いてよく冷えた。
西南西へ移動した月はキャッツアイへと変化して、
高い位置から煌々と照らしていた。

昨日吹雪いた雪は積もることもなく、
その姿さえ見えなかった。
そんな今日の順位は12位で、
ラッキーパーソンは、
「 手が大きな人 」

何をやっても上手く行かずブルー・・・
気を抜かず確認しながら作業しよう!


沖縄県竹富島  「 東新里村遺跡 」

2017-01-16 00:58:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



スク内にある岩








新里村遺跡に立つ路標







東新里村遺跡の全景







牛が自由に放し飼いされていたスク内





石垣島の真正面にお盆を伏せたように浮かぶ竹富島に、
人間の集団が定住して歴史を織り成すようになったのかは定かではない。
だが、竹富島には多くの神口(かんふつ・祝詞)が伝承され、
島の歴史の始まりを想像することの出来る材料が残されている。
そんな島の遺跡や神口によって島の歴史を紐解いて行けたらと思っている。


まずは、新里村遺跡の路標東側にある 【 東新里村遺跡 】 である。

竹富島最古の遺跡とされる「カイジ浜貝塚」からは、
大量のシャコ貝やタカセ貝が発見されている。
この貝塚は11世紀から12世紀のものだと考えられるが、
そのカイジ浜貝塚よりも後の時代に属する【 新里村遺跡 】 は二つの村落跡を含み、
ハナックンガー(花城井戸)を挟んで、
東側の集落遺跡は12世紀から13世紀にかけてのものだとみなされている。

スク跡からは、掘立柱の建物一棟、玉縁の白磁椀、須恵器の壷などの他に、
新里村式土器などが発掘されている。

新里村に居住している人々は、すでに農業を中心とする生活に入っていたと思われるが、
時代の異なる東西の集落はどのような関係にあったのかは遺跡だけでは解明できない。


東新里村遺跡へのアクセス
東新里村遺跡へは、石垣島より竹富島までフェリーで渡り、
竹富港の裏にある「竹富島ゆがふ館」の裏の道を右に
約300mほど歩いて行ったところに目印になる路標と花城井戸がある。
島内での移動は自転車になるので、
すぐに利用したい場合は、 「 竹富島ゆがふ館 」 裏にある
「 嶺本レンタサイクル 」 が近くて便利である。