スク内にある岩
新里村遺跡に立つ路標
東新里村遺跡の全景
牛が自由に放し飼いされていたスク内
石垣島の真正面にお盆を伏せたように浮かぶ竹富島に、
人間の集団が定住して歴史を織り成すようになったのかは定かではない。
だが、竹富島には多くの神口(かんふつ・祝詞)が伝承され、
島の歴史の始まりを想像することの出来る材料が残されている。
そんな島の遺跡や神口によって島の歴史を紐解いて行けたらと思っている。
まずは、新里村遺跡の路標東側にある 【 東新里村遺跡 】 である。
竹富島最古の遺跡とされる「カイジ浜貝塚」からは、
大量のシャコ貝やタカセ貝が発見されている。
この貝塚は11世紀から12世紀のものだと考えられるが、
そのカイジ浜貝塚よりも後の時代に属する【 新里村遺跡 】 は二つの村落跡を含み、
ハナックンガー(花城井戸)を挟んで、
東側の集落遺跡は12世紀から13世紀にかけてのものだとみなされている。
スク跡からは、掘立柱の建物一棟、玉縁の白磁椀、須恵器の壷などの他に、
新里村式土器などが発掘されている。
新里村に居住している人々は、すでに農業を中心とする生活に入っていたと思われるが、
時代の異なる東西の集落はどのような関係にあったのかは遺跡だけでは解明できない。
東新里村遺跡へのアクセス
東新里村遺跡へは、石垣島より竹富島までフェリーで渡り、
竹富港の裏にある「竹富島ゆがふ館」の裏の道を右に
約300mほど歩いて行ったところに目印になる路標と花城井戸がある。
島内での移動は自転車になるので、
すぐに利用したい場合は、 「 竹富島ゆがふ館 」 裏にある
「 嶺本レンタサイクル 」 が近くて便利である。