マイリビングダイアりぃ

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わが町の駅(和歌山市駅編)

2009-01-25 | カルチャー 見聞

土曜の夕刊シリーズ「ぷらっと沿線紀行」記事に、なんとわが町の私鉄の玄関駅「南海 和歌山市駅」が掲載されていました。


前回に続き、馴染みの駅が載って嬉しかったです。読み進むうちに今回も「へ~~~っ」を何回押したことか・・・(笑)


では少し紹介しますね(以下は朝日新聞夕刊より)


      


・・・どっしりとしたレンガ張りの土台と、茶褐色の鉄組の橋は百年以上前から変わらぬ姿で「紀の川」に架かりレールを支えている・・・で驚き、読み進むと、保守管理担当者たちの巧みな技で守られた橋は、専門家による最新の調査でも「東南海 南海地震」を想定した揺れでも問題がないと裏付けられたそうです。(和歌山の皆さんご存知でした~~


写真の左側の橋が1903年に完成、19年後に右側の橋が完成したそうです。


紀州徳川家の城下町で栄えた明治初期は、6万人ほどの人口を抱えて全国で9番目の大都市だったそうで、難波~~和歌山市まで海路で5時間掛かっていたのが当時は急行で1時間50分になり、大阪からの観光客や、出荷される「みかん」がこの橋の上を行き交ったようですね。


豪華な急行が登場したのは1924年で、特等室や喫茶室を備え、翌年には国内初とされる、「車内ラジオ放送」もあったようです。


更に国内初の冷房車を一部導入したりアピールされたようですが、沿線開発などで、国鉄和歌山駅(愛称 和駅)に乗降客数で1974年逆転されたそうです。


  


和歌山市駅から南にいくと、この地の金物商の次男として生まれ、世界的な博物学者となった「南方熊楠」の銅像があり、更に進むと「和歌山城」、近くの高台に8台将軍・吉宗が築いた、鐘で時刻や、火災の発生を知らせた、「岡山の時鐘堂」があります。


右の写真は1909年に和歌山市駅と市中心部や、海南市を結んで営業されていた路面電車です。1971年全線廃止され、当時の車両は地図の「岡公園」や海南市の「室山団地公園」に一両ずつ展示されています。(岡公園はよく息子達をつれて、遊びに行きました。懐かしい~~)


他に53両は「有田市」や、「白浜町」の沖に沈められ漁礁にされているそうです。


この「和歌山市駅」、乗降客も今では最盛期(乗降客5万4千人)の4割に減ったとかで、掲載されてた写真も、人もまばらなほんとに静かそうな昼間の「駅ビル」でした。


地図に「ぶらくり丁」とあるのは和歌山髄一の商店街なんですが、町の誕生は江戸後期だそうで、間口が狭い店が多くて衣服や、雑貨等の商品を軒先にぶら下げていたのが名前の由来だそうです。


此処もかつては数百メートル四方の通りはまっすぐ歩けないほど混雑していたそうですが、市駅の衰退や、郊外店の進出で賑わいは薄れ、今では270店舗のうち4分の一がシャッターを下ろしているとか。


商店会の皆さんが活性化に尽力されているようで、最近人通りが少し増えたようですが、「市駅周辺が輝きを取り戻せるだろうか。10年、20年後に又歩きたい」と記事にあったように輝きを取り戻して欲しいと思いました。


 


 


 

コメント (4)
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