アンゲラ・メルケル女史が語る、リヒャルト・ヴァーグナーとバイロイトとなると無視出来ない。FAZ紙は、文化欄二面を費やして彼女を丸裸にする。次期首相候補の政治家に、選挙を控えての非常にグロテスクな企画でもあるだけに、独占インタヴューを受けた彼女を評価したい。結論から言うと、これは図らずも共産圏からやって来たプロテスタント牧師の娘の真実の姿を白日の下に曝した。しかし、これがこの政治家の魅力でもある。
例年のように聞かされる、個人的なヴァーグナーの舞台作品に対する見解も良しとしよう。しかし、女史がパルシファルのクンドリーの「奉仕」を是とするのに挑発されて記事を読み進む。それもその三幕の其れを意味するのではなくて、フリードリッヒ大王の其れとなると読み手は思わず体を堅くするだろう。如何も政治戦略を変えて来ている事に気が付く。野生の女は飼い馴らされて、最後には男の足を恍惚のなかに洗礼する。そして女史は、其れを軍国主義や古い美徳の否定的な意味ではなく、プロシア文化の肯定的面と言うと、それがこの政治家の姿勢を語っているとして驚かされる。そして、シュリンゲンジフ演出のパリシファルを行き過ぎたものと捉える時、「若い観衆は、その演出の過剰な情報も容易に処理出来るのだが」と、それと同じようにルフトハンザの搭乗口でのBGMを不愉快と述懐するのは、一人の年老いた女性か。
ヴァーグナー芸術のナチ化を認めると共に、弁証法的な解釈を批判して、これもその芸術の悪用と断定する。1991年からご主人に連れられて通っての経験から、初日と他の公演日の観衆の質の違いを示す。ここでザルツブルクとバーデンバーデンとバイロイトの違いに話題を振られて、更に旧東独の「夏の文化行楽」へ話題が及ぶ。ハリー・クッパーの活躍などを挙げて、東独は他の東欧と違った事を強調する。
さていよいよ補助金を通しての文化政策について、特に連邦によるバイロイト助成の是非を問われると、バイロイトとベルリンの場合とを比較させながら進行する。バイロイトにおける許容を認め、また東独におけるプロイセン遺産の共産党国家による徴収のウンター・デン・リンデンとその他を分ける。つまり現在においては、遷都後も連邦政府の問題でなくてベルリン州の問題であり三歌劇場合弁は経済的問題が先経つとして、最終的な削減消滅の危険性を挙げながらもこれを優先させる意見を言明する。
正書法についての極端な連邦主義を、何処の子供も同じように読める紙面が大事だとして、当新聞を暗示しながら諌める。しかし其れは州の文化政策でもあり多様性を重要視すべきとする。
今年のバイロイトのスキャンダルの可能性について聞かれると、様式への好みがはっきり多様化してきているので、行く・行かない、拍手・ブーイングが初めから決まっているのではないかと、ブルックナー・マーラー・シェ-ンベルグのファン層に喩えて分ける。21世紀にも拘らず、19世紀末の音楽を愛好しているのは滑稽なのだが、ヴァーグナーの同時代と違って現代音楽に問題があるのではないかとする。こうして、どうしてもドイツ啓蒙主義へと視点が流れる。
「屋根のヴァイオリン弾き」を自己の最初の「オペラ」とする女史は、職業教育やE-、U-MUSIKの差異に配慮しながらも、多声のコラールの伝統などがメディアの洪水に流されるのを憂慮する。
ロンドンでのテロを受けて欧州文化の保守を義務付けられていると言い、だからこそ自らの文化を知る必要があると説く。旧東独と違い自由があるにも拘らず、宗教レヴェルにおいても、発言の自由が生き埋めになっていると分析する。
教育(BILDUNG)は、国の使命であり、其れが支出出来るようにしていかねばならないと言う。プロイセンの教育理念をそのまま継承しようとは思わないが、ドイツでは、ドイツ人には高貴な目標であると考える。土地資源のないドイツは、人とアイデアで生きていかなければいけない。詩や神話や節、第四・五節を知らないドイツ人は、持久力のある恒久的な知識に欠けると言うのだ。ユグノー(カルバン)に手を差し伸べたように、自己批判出来たように、プロシア文化は開かれていたので、これをグローバリズムに適用しようと言う。
こうして要約すると分かるように、50年代の教育を受けたという女史は、過去へ其れもプロシア啓蒙主義に視線を向けている。先日の車の中でのラジオの文化波で、左翼はマルクス主義でなくとも理論的ブレーンの人物像が必要になるが、保守派は実務家であれば良いので其れは必要ないという。しかし、「あなた方は、社会主義を知らない」と警告する女史は、60年代の社会変動の影響を受けていない事から、西側の人々とは大きく異なる。こうして扱われると、原理主義者と言われても致し方ない政治理念を明白にして来ており、その政治手法とは異なり、かなり厳しい評価を受けるかもしれない。「物理化学博士のアンゲラさん、あまり難しい話しをすると酷い目に会いますよ」と、自戒を込めて忠告したいのだ。
因みに女史が最も感動した上演は、ハイナー・ミュラー演出の1993年のトリスタンの二幕と言う。ロ-エングリーンのエルザでなくて良かったと言うべきか。
参照:
バイロイトの打ち水の涼しさ [ 生活・暦 ] / 2005-07-24
トンカツの色の明暗 [ 生活・暦 ] / 2005-07-11
正書法のフェデラリズム [ 歴史・時事 ] / 2005-07-20
破壊された偶像 [ 文学・思想 ] / 2005-07-05
黒タイツの女子行員 [ 女 ] / 2005-04-10
伝統という古着と素材の肌触り [ 文化一般 ] / 2004-12-03
デューラーの兎とボイスの兎 [ 文化一般 ] / 2004-12-03
例年のように聞かされる、個人的なヴァーグナーの舞台作品に対する見解も良しとしよう。しかし、女史がパルシファルのクンドリーの「奉仕」を是とするのに挑発されて記事を読み進む。それもその三幕の其れを意味するのではなくて、フリードリッヒ大王の其れとなると読み手は思わず体を堅くするだろう。如何も政治戦略を変えて来ている事に気が付く。野生の女は飼い馴らされて、最後には男の足を恍惚のなかに洗礼する。そして女史は、其れを軍国主義や古い美徳の否定的な意味ではなく、プロシア文化の肯定的面と言うと、それがこの政治家の姿勢を語っているとして驚かされる。そして、シュリンゲンジフ演出のパリシファルを行き過ぎたものと捉える時、「若い観衆は、その演出の過剰な情報も容易に処理出来るのだが」と、それと同じようにルフトハンザの搭乗口でのBGMを不愉快と述懐するのは、一人の年老いた女性か。
ヴァーグナー芸術のナチ化を認めると共に、弁証法的な解釈を批判して、これもその芸術の悪用と断定する。1991年からご主人に連れられて通っての経験から、初日と他の公演日の観衆の質の違いを示す。ここでザルツブルクとバーデンバーデンとバイロイトの違いに話題を振られて、更に旧東独の「夏の文化行楽」へ話題が及ぶ。ハリー・クッパーの活躍などを挙げて、東独は他の東欧と違った事を強調する。
さていよいよ補助金を通しての文化政策について、特に連邦によるバイロイト助成の是非を問われると、バイロイトとベルリンの場合とを比較させながら進行する。バイロイトにおける許容を認め、また東独におけるプロイセン遺産の共産党国家による徴収のウンター・デン・リンデンとその他を分ける。つまり現在においては、遷都後も連邦政府の問題でなくてベルリン州の問題であり三歌劇場合弁は経済的問題が先経つとして、最終的な削減消滅の危険性を挙げながらもこれを優先させる意見を言明する。
正書法についての極端な連邦主義を、何処の子供も同じように読める紙面が大事だとして、当新聞を暗示しながら諌める。しかし其れは州の文化政策でもあり多様性を重要視すべきとする。
今年のバイロイトのスキャンダルの可能性について聞かれると、様式への好みがはっきり多様化してきているので、行く・行かない、拍手・ブーイングが初めから決まっているのではないかと、ブルックナー・マーラー・シェ-ンベルグのファン層に喩えて分ける。21世紀にも拘らず、19世紀末の音楽を愛好しているのは滑稽なのだが、ヴァーグナーの同時代と違って現代音楽に問題があるのではないかとする。こうして、どうしてもドイツ啓蒙主義へと視点が流れる。
「屋根のヴァイオリン弾き」を自己の最初の「オペラ」とする女史は、職業教育やE-、U-MUSIKの差異に配慮しながらも、多声のコラールの伝統などがメディアの洪水に流されるのを憂慮する。
ロンドンでのテロを受けて欧州文化の保守を義務付けられていると言い、だからこそ自らの文化を知る必要があると説く。旧東独と違い自由があるにも拘らず、宗教レヴェルにおいても、発言の自由が生き埋めになっていると分析する。
教育(BILDUNG)は、国の使命であり、其れが支出出来るようにしていかねばならないと言う。プロイセンの教育理念をそのまま継承しようとは思わないが、ドイツでは、ドイツ人には高貴な目標であると考える。土地資源のないドイツは、人とアイデアで生きていかなければいけない。詩や神話や節、第四・五節を知らないドイツ人は、持久力のある恒久的な知識に欠けると言うのだ。ユグノー(カルバン)に手を差し伸べたように、自己批判出来たように、プロシア文化は開かれていたので、これをグローバリズムに適用しようと言う。
こうして要約すると分かるように、50年代の教育を受けたという女史は、過去へ其れもプロシア啓蒙主義に視線を向けている。先日の車の中でのラジオの文化波で、左翼はマルクス主義でなくとも理論的ブレーンの人物像が必要になるが、保守派は実務家であれば良いので其れは必要ないという。しかし、「あなた方は、社会主義を知らない」と警告する女史は、60年代の社会変動の影響を受けていない事から、西側の人々とは大きく異なる。こうして扱われると、原理主義者と言われても致し方ない政治理念を明白にして来ており、その政治手法とは異なり、かなり厳しい評価を受けるかもしれない。「物理化学博士のアンゲラさん、あまり難しい話しをすると酷い目に会いますよ」と、自戒を込めて忠告したいのだ。
因みに女史が最も感動した上演は、ハイナー・ミュラー演出の1993年のトリスタンの二幕と言う。ロ-エングリーンのエルザでなくて良かったと言うべきか。
参照:
バイロイトの打ち水の涼しさ [ 生活・暦 ] / 2005-07-24
トンカツの色の明暗 [ 生活・暦 ] / 2005-07-11
正書法のフェデラリズム [ 歴史・時事 ] / 2005-07-20
破壊された偶像 [ 文学・思想 ] / 2005-07-05
黒タイツの女子行員 [ 女 ] / 2005-04-10
伝統という古着と素材の肌触り [ 文化一般 ] / 2004-12-03
デューラーの兎とボイスの兎 [ 文化一般 ] / 2004-12-03