Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

破壊された偶像

2005-07-05 | 文学・思想
クリプタの壁画がある教会の外壁の戸口の上にかかるプレートである。場所は、ハイデルブルクとマンハイムの間のネッカー河畔に位置するローマ時代に栄えた町、ケルト語に源を発するラーデンブルクである。

1566年の反宗教改革のアウグスブルクの公会議後も、プァルツ伯フリードリッヒ三世は宗教改革派の諸侯の後押しで、カルビニズム化を強く推し進める。こうして、ハイデルベルク大学は今日に至るカルビニズムの思想的メッカを形成して、その大学の規模を一挙に拡大する。

それでは、フリードリッヒ三世のカルビニズムは、その書「ハイデルベルク公会問答」が示すように文化的に彩られたものだったのだろうか?その反証として上の写真が挙がる。旧約モーゼの章20.4における「偶像崇拝の禁止」への戒律に激しく答えたカルビニズムは、こうして破壊行為を繰り返した。さらに警察力によって市民に宗教的生活を徹底させた。現代におけるアフガニスタンのタリバン政権を想起させる。

フリードリッヒ三世の死後、1576年にハイデルベルクを含む殆んどの領地を継承したルートヴィッヒ六世は父の遺言に従わずルター派へと変更する。大学の要望でカルビニズムは残ったが、こうして神学部は閉鎖される。解雇された教授陣は、ノイシュタットからカイザースラウテンにいたるライン河畔を相続したプファルツラウテルン公国のヨハンカシミールが開いたワイン街道のアカデミーに移る。

その後、ルートヴィッヒ六世の死後、ヨハンカシミールは幼少の甥をカルビニズムの王子として教育するなどして、再びノイシュタットからハイデルベルクへとカルビニズムは戻る。その王子が、後にフリードリッヒ四世としてマンハイムに官邸を開く事になる。



参照:
聖フランシスの壁画 [歴史・時事] / 2005-07-04
魔除けの見下ろす教会塔 [文化一般] / 2005-07-06
弓矢の先端とその恍惚 [歴史・時事] / 2005-07-07
踏み付けられた巨人 [歴史・時事] / 2005-07-08
世界最古のガレージ [歴史・時事] / 2005-07-09
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