ハイデルベルクの精神病理学教室に呼ばれた。川向こうの新大学地域と違い、ここには産婦人科やら内科が、今でも旧大学地域の古い建物に残っている。そこの一角に、関連の施設や教室が集まっている。
そこの施設で、二十世紀初頭に精神療法の一環として、芸術活動が推進され実施された。450人以上の精神病患者の5000点に上る作品が、その主催者であったアシスタント医師で美学者のプリンツホルン氏によるコレクションとして世界中に知られている。この種のコレクションとして世界最大規模のものであるだけでなく、米国や日本からの作品も含まれており、第一次世界大戦前後の前衛芸術家に影響を与えた活動が具体化され記録されている。
ご多分に漏れずナチズム勃興期には、既に認知されていたこの活動は閉鎖されて、その多くの患者は無用者として処分されるが、戦後ベルン美術館のハラルド・スツェーマンなどに再発見される。そして1990年には世界中に紹介されて反響を呼ぶ。2001年になって初めて、精神病理学の教室が改造されて、これらのコレクションがそこで公開される事となった。地下の部屋には粘土細工などを主体に彫像が常設されており、上階は特別展示がテーマ毎に行なわれている。
今回の特別展示は、奇しくも昨年死去した上のスツェーマンを記念して、その関連の作品が時期を延長して展示されていた。ルネッサンスとなった1963年にベルンで開かれた展覧会の影響を受けた芸術家として、ニキ・ディ・サンファレやダニエル・スポエリ、ジャン・ティングェリイなどが挙がっている。おかしいのは、主催者のプリンツホルン自体は、フロイトの精神分析などを根拠として表現主義の傾向を奨めたと云うが、抽象と表現主義の狭間で新たな造形やフルクス、詩的具象、ポップアートやコンセプトアートヘとここでの作品傾向が広がっていた事実であろうか。
教授先生方の前で、何をすることも無く、これらの作品を鑑賞して、お互いにちらちらと様子を窺っていたりした。
参照:近代科学の限界に向合う [ アウトドーア・環境 ] / 2006-05-04
そこの施設で、二十世紀初頭に精神療法の一環として、芸術活動が推進され実施された。450人以上の精神病患者の5000点に上る作品が、その主催者であったアシスタント医師で美学者のプリンツホルン氏によるコレクションとして世界中に知られている。この種のコレクションとして世界最大規模のものであるだけでなく、米国や日本からの作品も含まれており、第一次世界大戦前後の前衛芸術家に影響を与えた活動が具体化され記録されている。
ご多分に漏れずナチズム勃興期には、既に認知されていたこの活動は閉鎖されて、その多くの患者は無用者として処分されるが、戦後ベルン美術館のハラルド・スツェーマンなどに再発見される。そして1990年には世界中に紹介されて反響を呼ぶ。2001年になって初めて、精神病理学の教室が改造されて、これらのコレクションがそこで公開される事となった。地下の部屋には粘土細工などを主体に彫像が常設されており、上階は特別展示がテーマ毎に行なわれている。
今回の特別展示は、奇しくも昨年死去した上のスツェーマンを記念して、その関連の作品が時期を延長して展示されていた。ルネッサンスとなった1963年にベルンで開かれた展覧会の影響を受けた芸術家として、ニキ・ディ・サンファレやダニエル・スポエリ、ジャン・ティングェリイなどが挙がっている。おかしいのは、主催者のプリンツホルン自体は、フロイトの精神分析などを根拠として表現主義の傾向を奨めたと云うが、抽象と表現主義の狭間で新たな造形やフルクス、詩的具象、ポップアートやコンセプトアートヘとここでの作品傾向が広がっていた事実であろうか。
教授先生方の前で、何をすることも無く、これらの作品を鑑賞して、お互いにちらちらと様子を窺っていたりした。
参照:近代科学の限界に向合う [ アウトドーア・環境 ] / 2006-05-04