身体障害者がエヴェレストに登頂して、頂上直下の動けない他の登山者を見殺しにしたと批判されている。批判しているのが初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿で、批判の矢面に立たされているのも同じニュージーランド人の男性である。
似たような不条理は頻繁に発生しているだろうが、今回の例は、亡くなった英国人にはお気の毒であるが、現代の娯楽社会を顕著に映し出している。また、アルピニズムスと云うような古の概念が存在していた半世紀前の証人が、こうした現状に当惑して発するその苦言に、我々は目を覚まされる。
ヒラリー卿の活躍時代は、ヒマラヤにおける第三の極地征服が従来のアルピニズムスの「鉄の時代」の延長線上にあって、その課題はヒマラヤの奥深くに存在していた。世界の最高峰エヴェレストなどに挑戦するのは、云わば登山界のエリートであって、一般大衆ではなかった。この変遷は、ヒマラヤに於ける課題が殆ど無くなったここ四半世紀の間により一層顕著になった。現地の入山料稼ぎのため許可数の増大と多くの事業主による高峰頂上ツアーが盛んになって、アルプス並みに観光化が進んだ。
「そういうツアーに参加すれば、高年齢でも普通の条件の時には公募隊によってエヴェレストの頂上に立たせてくれるようになった。…登山は商売になり、…快適登山になった。…」と、紹介済みの書籍「山-西洋人のアンソロジー」に触れられている通りである。
そしてそれでは何が変わったのか。登山行為がアルピニズムスに別離するとき、それはスポーツでも無く、少々物好きな娯楽となる。人々は、パンフレットに定めてあったような支払った額に見合う「見返り」を受け取る事を目的とする。
自己の満足や投資の前には、他人の不幸などはどちらでも良いのである。そのような輩を責めるには及ばない。彼らは地下鉄のホームに溢れる群集そのもので、誰かがプラットホームから落ちようがどうでも良いのである。亡くなった登山者の母親が語る通りである。彼らは、「手助けしようがしまいが」、自らに問うた自らの責任感で行動するだけである。賞賛される行いなどは一切考えず、賞賛されるようなモラルなども持ち合わせないのである。当然のことである。求める方が間違いだ。
それでは、登山が全て大衆の観光登山になったかと云うと必ずしもそうではない。今日でも僅かながらでも、エリート登山家やプロフェッショナルまたスポーツ精神に漲った活動が存在する。今回の身障者の行為もそういった視点から混同して報じられたのが、ヒラリー卿の逆鱗に触れたのだろう。
例えば現在最も注目される女流登山家であるゲルリンデ・カルテンブルナー嬢は、所謂アルペンスタイルによる酸素吸入無しの登山を志している。昨年度のエヴェレスト北壁の日本クロワールを登攀中に同行の竹内洋岳氏が脳水腫に見舞われ、看護婦である彼女の徹夜の看護で一命を取り留め下山をしている。
こうしたエリートの先鋭的な行為にこそモラルを見るのは偶然であろうか。オーストリア・アルペンスキーのナショナル・ジュニアチームにいた時、その仲間たちの競争に失望したという彼女に云わせれば、「…友の命を救うためにエヴェレストから引き返して来て、私たちはまたもう一つ豊かな気持になる。」となる。それどころか、「酸素吸入をしてエヴェレストに登攀するのは6500メートル峰へ登るのと変わらない」と主張する、彼女の8000M峰における無酸素での行動が、医学的に新たな女性の高度順応の可能性を示す期待さえ存在する。こうして田部井淳子さんなどの女流登山の歴史を推し進めている。
身体障害者の肉体的な活動が評価される時、必ずやそのモラルが賞賛される。精神的な活動こそが求められている。その点からすると、登山ガイド舟橋健氏の嘗ての活動は、如何に当時から三十年ほど先を見据えていたかが分かる。しかし氏の活動は、その当時の故長谷川恒夫氏などの活動と比べると我々「アマチュアー」には十分に理解されなかった。まだ日本国内で最大規模の岩壁のルート開拓や冬季単独の連続登攀が話題となっていた時代が終わったばかりだからである。フリークライミングは、依然曙の時にあった。
そうした先鋭的な環境に居た舟橋氏であったからこそ、欧州修行中に「今更、夏の三大北壁を登るでも無し」とまだ幾らかは続いていた神風アルプス登山を尻目に、まだ当時十分に社会認知されていなかった山岳ガイドへの活動を始めている。
特に障害者を「チャレンジド」と呼んで、氏の「山が唯一 冒 険 の代名詞だった時代は過ぎている。」とのモットーを、バリアフリーの概念に広義のアウトドーア活動として先鋭的に実践している。つまり、今日見られるようなセンセーショナルな活字として踊るような「成果」ではなくて、その行為の内容と過程こそを、チャレンジャー各々に問うている様である。
奇しくもこの精神こそが嘗てのアルピニズムの中核であって、モラルでありスプリットであった。今日、「なぜにこうも我々の精神が蝕まれているのか?」、さもなくばアルピニズムを生み出したような「土壌にこそ、こうした矛盾の萌芽が存在したのではないか?」と、歴史や文化背景を紐解きながら引き続き考えてみたい。
参照:
恥の意識のモラール [ 文化一般 ] / 2006-05-21
81年後の初演(ベルリン、2004年12月9日)[ 音 ] / 2005-01-15
似たような不条理は頻繁に発生しているだろうが、今回の例は、亡くなった英国人にはお気の毒であるが、現代の娯楽社会を顕著に映し出している。また、アルピニズムスと云うような古の概念が存在していた半世紀前の証人が、こうした現状に当惑して発するその苦言に、我々は目を覚まされる。
ヒラリー卿の活躍時代は、ヒマラヤにおける第三の極地征服が従来のアルピニズムスの「鉄の時代」の延長線上にあって、その課題はヒマラヤの奥深くに存在していた。世界の最高峰エヴェレストなどに挑戦するのは、云わば登山界のエリートであって、一般大衆ではなかった。この変遷は、ヒマラヤに於ける課題が殆ど無くなったここ四半世紀の間により一層顕著になった。現地の入山料稼ぎのため許可数の増大と多くの事業主による高峰頂上ツアーが盛んになって、アルプス並みに観光化が進んだ。
「そういうツアーに参加すれば、高年齢でも普通の条件の時には公募隊によってエヴェレストの頂上に立たせてくれるようになった。…登山は商売になり、…快適登山になった。…」と、紹介済みの書籍「山-西洋人のアンソロジー」に触れられている通りである。
そしてそれでは何が変わったのか。登山行為がアルピニズムスに別離するとき、それはスポーツでも無く、少々物好きな娯楽となる。人々は、パンフレットに定めてあったような支払った額に見合う「見返り」を受け取る事を目的とする。
自己の満足や投資の前には、他人の不幸などはどちらでも良いのである。そのような輩を責めるには及ばない。彼らは地下鉄のホームに溢れる群集そのもので、誰かがプラットホームから落ちようがどうでも良いのである。亡くなった登山者の母親が語る通りである。彼らは、「手助けしようがしまいが」、自らに問うた自らの責任感で行動するだけである。賞賛される行いなどは一切考えず、賞賛されるようなモラルなども持ち合わせないのである。当然のことである。求める方が間違いだ。
それでは、登山が全て大衆の観光登山になったかと云うと必ずしもそうではない。今日でも僅かながらでも、エリート登山家やプロフェッショナルまたスポーツ精神に漲った活動が存在する。今回の身障者の行為もそういった視点から混同して報じられたのが、ヒラリー卿の逆鱗に触れたのだろう。
例えば現在最も注目される女流登山家であるゲルリンデ・カルテンブルナー嬢は、所謂アルペンスタイルによる酸素吸入無しの登山を志している。昨年度のエヴェレスト北壁の日本クロワールを登攀中に同行の竹内洋岳氏が脳水腫に見舞われ、看護婦である彼女の徹夜の看護で一命を取り留め下山をしている。
こうしたエリートの先鋭的な行為にこそモラルを見るのは偶然であろうか。オーストリア・アルペンスキーのナショナル・ジュニアチームにいた時、その仲間たちの競争に失望したという彼女に云わせれば、「…友の命を救うためにエヴェレストから引き返して来て、私たちはまたもう一つ豊かな気持になる。」となる。それどころか、「酸素吸入をしてエヴェレストに登攀するのは6500メートル峰へ登るのと変わらない」と主張する、彼女の8000M峰における無酸素での行動が、医学的に新たな女性の高度順応の可能性を示す期待さえ存在する。こうして田部井淳子さんなどの女流登山の歴史を推し進めている。
身体障害者の肉体的な活動が評価される時、必ずやそのモラルが賞賛される。精神的な活動こそが求められている。その点からすると、登山ガイド舟橋健氏の嘗ての活動は、如何に当時から三十年ほど先を見据えていたかが分かる。しかし氏の活動は、その当時の故長谷川恒夫氏などの活動と比べると我々「アマチュアー」には十分に理解されなかった。まだ日本国内で最大規模の岩壁のルート開拓や冬季単独の連続登攀が話題となっていた時代が終わったばかりだからである。フリークライミングは、依然曙の時にあった。
そうした先鋭的な環境に居た舟橋氏であったからこそ、欧州修行中に「今更、夏の三大北壁を登るでも無し」とまだ幾らかは続いていた神風アルプス登山を尻目に、まだ当時十分に社会認知されていなかった山岳ガイドへの活動を始めている。
特に障害者を「チャレンジド」と呼んで、氏の「山が唯一 冒 険 の代名詞だった時代は過ぎている。」とのモットーを、バリアフリーの概念に広義のアウトドーア活動として先鋭的に実践している。つまり、今日見られるようなセンセーショナルな活字として踊るような「成果」ではなくて、その行為の内容と過程こそを、チャレンジャー各々に問うている様である。
奇しくもこの精神こそが嘗てのアルピニズムの中核であって、モラルでありスプリットであった。今日、「なぜにこうも我々の精神が蝕まれているのか?」、さもなくばアルピニズムを生み出したような「土壌にこそ、こうした矛盾の萌芽が存在したのではないか?」と、歴史や文化背景を紐解きながら引き続き考えてみたい。
参照:
恥の意識のモラール [ 文化一般 ] / 2006-05-21
81年後の初演(ベルリン、2004年12月9日)[ 音 ] / 2005-01-15