Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

求められる明快な宇宙観

2006-05-25 | マスメディア批評
オプス・デイについて調べる。ダ・ヴィンチ・コードで有名になったカトリック教団の団体である。今回の映画化にあたり、その描かれ方から最もソニーグループに食いついたセクトである。

興味を持たれるのはその秘密結社ぶりであり、原理主義者でありかつ、マキャブリズム的な政治力である。あるサイトには、スペインフランコ政権での多数の大臣参加など、その反マルキズムスの教義とともに、極右勢力として注意されている。南米チリでの政治介入やヴァチカンでの勢力も事実であろう。先の法王の身辺どころか当時のラッティンガー大司教とは、確かに良く結びつく。ドイツにおけるヴァイカーハイムでの青少年へのセミナーなどが極右への道を開いているとの批判が存在する。

先日の映画公開の機会に記者発表をしたが、オプス・デイのサイトにも詳しく主張が掲載されている。発表のコメントを受けて、FAZ新聞はこの問題を取り扱う。端的に言えば、「架空の物語にて実在と偶々一致した」と言う宗教セクトが「架空オプス・ディ」の断り書きをソニーに求めた訳であるが、実際のオプス・ディが生きる「世界の神聖化への道」の実世界が存在するのかと言う問いになっている。

つまり、受益型文化の典型として挙がる作品「ダ・ヴィンチ・コード」にたとえオプス・ディの願い通り「架空として額縁」が嵌められても、実際のオプス・ディが世界に存在する時、彼らが掲げる「生命の統一」、「日常生活における完成」に、神聖ともども文化と言う包みで人間性を統括できるかと問われる。あるいは文化の中なら神聖なものを小さくプレパラートの上に取り出して標本とするような「文化的形態」としてではなく、ダン・ブラウンに「小商いの組織」として描かれたオプス・ディの姿は、事実と離れずで決して驚きでもなんでもないのだとしている。

その実体は、CNNのジョン・アラン特派員の研究に詳しいと言う。そして、こうした宗教原理主義的な傾向は、文化と言う文脈において決して宗教的世界観には限らないと考えるのが妥当では無いだろうか?同様な例を社会や思想、政治における「俗物主義」と「理想主義」の世界観の相違として見る事が出来る。

後者を机上の理想主義として一笑するものは前者の主義に知らぬ間に毒されていて、現実主義と言う金科玉条をもとに果てしなく暗い世界に投影される影を現実と認識している洞窟の住人である。

前者を俗物の大衆主義として上位から見下す後者の主張を唱えるのは、架空の理想に夢見る 知 識 人 で、宗教者と隔たりが無い。彼らは、彼らの思惑とは別に俗物が議会制民主主義に則って現実世界を構築して行くことに留意しない。

どちらも他方を補っている二元論の世界観の中に存在していて、これらの議論から自然の標本を採取して、分析的に覗き見る事は不可能なのである。そもそも、こうしたディヴェートとかの言葉に代表される文化的洗脳が民主主義の虚構を形成している。

顕微鏡を覗いてガラスとガラスの間に挟まる薄い小宇宙の見本を観察するためには、その基礎となる明快な宇宙観が必要になると言うお話である。



参照:
脱資本主義へのモラール [ 歴史・時事 ] / 2006-05-16
国際法における共謀罪 [ 歴史・時事 ] / 2006-05-23
土耳古系人の信条告白 [ 歴史・時事 ] / 2006-05-01
権力抗争と自浄作用 [ 文学・思想 ] / 2005-11-03
多数連合と少数の不可侵権 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-12
平均化とエリートの逆襲 [ 文学・思想 ] / 2005-11-06
BLOG 対 旧マスメディア [ 歴史・時事 ] / 2005-06-07
コメント (2)
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