Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

近代科学の限界に向合う

2006-05-04 | アウトドーア・環境
ハイデルベルクの旧新市街地ベルクハイムの建造物について調べた。この地域は、ハイデルべルク大学病院として発達して、現在はネッカー川向こうのノイエンハイマーフェルトへの移転が進められている。ハイデルベルク市が提出した都市計画の文書がネットにあり、その計画像が粗分かる。大まかに理解すると、現在ある歴史的建造物を残しながら、その中に比較的廉いアパートメントを建造して、都市部に近い緑の多い住宅地を作る様である。しかし精神病理学関連の病院などは移転が最も遅れる様である。

大学病院を歴史的に見ると、元々は修道所などを改築して使っていたのであるが、十九世紀の半ばには当時の保険衛生基準から新たな医療建造物が必要とされて、1869年から十年間に17棟の病院施設が建造されている。1875年には精神病理の施設が建造され、1882年の婦人科の増設、二十世紀初頭の隔離病棟、救急病院、その他眼科や耳科、皮膚科などの専門病院が第一次世界大戦までの期間増設されていく。

それらの研究医療施設は、当時のプロシア時代の基準からすると十分に土地の有効利用が出来ているらしい。現代の移転の理由が、建造物の老朽化だけで無く、集中化した医療効率の問題でもある事が何か医療の歴史などを物語っているのだろうか?

その点からすると、ザマリターハウスと云う建造物は、世界でも古い癌専門の施設の様で興味深い。粗百年前のことで、外科医チェルニーがこれを推し進めたとある。チェルニーは、ヴィーンで内科医として博士号を取得した後、これまた作曲家ブラームスの友人として高名なヴィーンの外科医ビルロート博士のアシスタントとなっている。そこからハイデルベルクの外科病院長となるが、すでに当時の外科は百二十床を有していたと云うから可なり大きいのではないだろうか。全身麻酔や無菌医療の実施の臨床での功績後、腫瘍の研究所を開設している。これが現在も続くドイツ癌中央研究所である。そこの医療施設が、このザマリターハウスで、47人の患者を術後の医療にまで一貫して扱っていたようだ。チェルニー自身は、1916年に放射線の照射による白血病で没したと云う。

この建物と向かい合った精神病の療養研究施設に関しては、その歴史はHPに詳しいが、後年のカール・シュナイダーやその部下達、所謂「死の医者」の戦後についても触れてある。医療施設としては、バーデンの前身から入れると19世紀初頭まで遡る様である。アルツハイマー博士の同僚でもあるエミール・クレッぺリンが重要な基礎を築いた様であるが、1903年にはミュンヘンへと栄転している。作業効率や消耗の研究絡みで、同じく精神障害から1903年に大学を退いた当時のハイデルベルクのサロン主催者マックス・ヴェーバーの社会学と関係している。そのメンバーで哲学者でもあるカール・ヤスパースは、ここで1910年には、後のノーベル医学賞のオットー・フリッツ・マイヤーホフらが開いたフロイト心理学研究会員として活動している。

始めに戻れば、環境行政を含む土地開発から社会学、精神病理学から哲学・芸術まで、非常に絡みあっており、そうした歴史を追う事も、現在の街づくりに役立つのではないか?公園と交通量が少ない事は、そのまま暮らし良く活気のある町を意味しない。そうした問いかけ自体が、現在の精神病の課題であって、既にマックス・ヴェーバーが問うた課題にも含まれているようだ。




参照:
心の鏡に映される風景 [ 音 ] / 2005-11-23
テューン湖畔の薫煙 [ 文学・思想 ] / 2006-01-19
コメント (2)
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