我らが共同体の名物を紹介しよう。ワインでも無くて、豚の胃詰めで無くて、そのものチクリ新聞である。4月30日のヘクセンナハトに因んで、魔女団体がこれを発行している。もちろん秘密結社であって、そのメンバーリストは存在しない。今年はA4版28面がこのお遊びに費やされていて、印刷所は注文主の秘密を厳守する。
こうした伝統は、26年間続いている。この町にしかないようで南西ドイツ放送局のローカル番組で扱われている。地元のお店や料理屋などでカンパを募っており、結構な額が集まる。秘密結社なので、注文して買うことは出来ない。配られるのを待つしかないのだが、そこでチクラれている人物の手にはもちろんなかなか渡らない。
その内容は、かなり厳しく危ない。町の名士や政治家などの場合は当然としても、町で良く知られている個人がチクラれることも多い。そうした危険を察知して牽制のため、結社に聞こえるように嘗て批判をしたことがある。そして今回は前もって、本誌が手に入るように手配しておいた。魔女が屯する釜の煮えたぎる巌窟を知っているからである。
略十年ぶりに覘いた内容は、相変わらず攻撃目標は固定されていると言うものの、前書きに「建設的」と書いてあるように、幾分風刺とか、皮肉とか、パロディーとかの意識が強くなっている。メンバーに新たな書き手が加わったのであろうか。こうした修辞法では、ハンリッヒ・ハイネのパリ亡命中の書き物でも知認められるように、フランスが先進国に間違いないであろう。そのハイネが地元の自由主義革命に祝辞を寄せたからと言っても、このチクリは当然のことながらその水準には及ばない。
道路整備や自治事業にスーパーの移転誘致などローカルな政治や人事のことよりも、地元有名人のゴシップに興味が行ってしまうのが我乍ら情けない。以前は、町のシェリフこと私設保安官である「隠しカメラの事件」の肖像を「盗写」してスクープしていたが、流石に「肖像権侵害者」の肖像権に係わると杞憂したのか、そのような映像は影を潜めた。その代わり、彼ら有名人五人を連想させる名前が付けられた魔女による各々の仮装写真が大きく表紙を飾っている。魔女は、執念を持って決して手間を惜しまない。
ページを捲って見よう。あるページには、町へと入るラウンダァバウトの中にある将棋状の石のモニュメントが倒れている写真が掲載されている。そこには「町が墓石屋フォーグトと継続契約を結んだって本当か」と書かれている。本日現在その修復は作業は進んでいないのを確認。これにて、建造直後にポーランド人の暴走車によって木っ端微塵に打ち砕かれた一枚と合わせて、六つ在った将棋の駒がたった四つになっている。既に古代の巨石文化メンフィール化している。
またあるページには町の幾つかの建築物へのコメントが写真に付けられている。プレハブ増築には「共産主義とその建築はもはやトレンドでは無いと建築家に教えてやらなかったのか」と、また檻のような柵に対しては「これならインフルエンザで問題の鳥も飼える」と実際の建造物を揶揄している。
全ては小さな町の中の噂話なので、書かれる方も大変気に罹り、これ以上は紹介出来ない。別居生活中らしい世界的名門のご主人が、「緑の党の政治家とともに別居男性の同居人を求めている」という広告仕掛けの冗談にした何時もながらの内部告発の事実までも登場している。プライヴェートの事実まで暴くたれこみやチクリはやはり恐ろしい。
こうした活動をカーニヴァルの無礼講のようなガス抜きと見るか、それとも批判精神と見るか。魔女集団は、所謂ローカル政党を支持しながら攻撃するスタンスの、イデオロギーへとは発展しない、保守ローカリズムの典型である。しかし、ここで扱われるネタは、誰もが「おかしい」と思う現象の数々であるのも事実である。下位からの視点は、僻みや嫉みを超えて多くの場合、重要な役目を担っているようである。大衆週刊誌や大衆新聞が魔法の飲み物の毒を持っていないのは、それらこそが商業主義の賜物であるからだろう。
こうした伝統は、26年間続いている。この町にしかないようで南西ドイツ放送局のローカル番組で扱われている。地元のお店や料理屋などでカンパを募っており、結構な額が集まる。秘密結社なので、注文して買うことは出来ない。配られるのを待つしかないのだが、そこでチクラれている人物の手にはもちろんなかなか渡らない。
その内容は、かなり厳しく危ない。町の名士や政治家などの場合は当然としても、町で良く知られている個人がチクラれることも多い。そうした危険を察知して牽制のため、結社に聞こえるように嘗て批判をしたことがある。そして今回は前もって、本誌が手に入るように手配しておいた。魔女が屯する釜の煮えたぎる巌窟を知っているからである。
略十年ぶりに覘いた内容は、相変わらず攻撃目標は固定されていると言うものの、前書きに「建設的」と書いてあるように、幾分風刺とか、皮肉とか、パロディーとかの意識が強くなっている。メンバーに新たな書き手が加わったのであろうか。こうした修辞法では、ハンリッヒ・ハイネのパリ亡命中の書き物でも知認められるように、フランスが先進国に間違いないであろう。そのハイネが地元の自由主義革命に祝辞を寄せたからと言っても、このチクリは当然のことながらその水準には及ばない。
道路整備や自治事業にスーパーの移転誘致などローカルな政治や人事のことよりも、地元有名人のゴシップに興味が行ってしまうのが我乍ら情けない。以前は、町のシェリフこと私設保安官である「隠しカメラの事件」の肖像を「盗写」してスクープしていたが、流石に「肖像権侵害者」の肖像権に係わると杞憂したのか、そのような映像は影を潜めた。その代わり、彼ら有名人五人を連想させる名前が付けられた魔女による各々の仮装写真が大きく表紙を飾っている。魔女は、執念を持って決して手間を惜しまない。
ページを捲って見よう。あるページには、町へと入るラウンダァバウトの中にある将棋状の石のモニュメントが倒れている写真が掲載されている。そこには「町が墓石屋フォーグトと継続契約を結んだって本当か」と書かれている。本日現在その修復は作業は進んでいないのを確認。これにて、建造直後にポーランド人の暴走車によって木っ端微塵に打ち砕かれた一枚と合わせて、六つ在った将棋の駒がたった四つになっている。既に古代の巨石文化メンフィール化している。
またあるページには町の幾つかの建築物へのコメントが写真に付けられている。プレハブ増築には「共産主義とその建築はもはやトレンドでは無いと建築家に教えてやらなかったのか」と、また檻のような柵に対しては「これならインフルエンザで問題の鳥も飼える」と実際の建造物を揶揄している。
全ては小さな町の中の噂話なので、書かれる方も大変気に罹り、これ以上は紹介出来ない。別居生活中らしい世界的名門のご主人が、「緑の党の政治家とともに別居男性の同居人を求めている」という広告仕掛けの冗談にした何時もながらの内部告発の事実までも登場している。プライヴェートの事実まで暴くたれこみやチクリはやはり恐ろしい。
こうした活動をカーニヴァルの無礼講のようなガス抜きと見るか、それとも批判精神と見るか。魔女集団は、所謂ローカル政党を支持しながら攻撃するスタンスの、イデオロギーへとは発展しない、保守ローカリズムの典型である。しかし、ここで扱われるネタは、誰もが「おかしい」と思う現象の数々であるのも事実である。下位からの視点は、僻みや嫉みを超えて多くの場合、重要な役目を担っているようである。大衆週刊誌や大衆新聞が魔法の飲み物の毒を持っていないのは、それらこそが商業主義の賜物であるからだろう。