ハーグの国際刑事裁判所を承認する国際刑事法の存在は重い。昨今の米政府への公的な非難はここに集約されるのかも知れない。CIAを代表とするテロリスト諜報活動やイラク人捕虜に対する非人道的犯罪は、その政治的イデオロギーの正否や国際的秩序維持における政治軍事力の優劣を超えて、ひっきりなしに国際的な場において議論される。
集団虐殺や人道に対する罪、戦争犯罪や侵略戦争は、国際刑事法によって裁かれる。このような考えが持ち上がったのは、ヴェルサイユ条約時の第一次世界大戦時の敗戦国ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム二世の身柄搬送要求と書かれている。結局、オランダ人の反対で法廷へと呼び出されることは無かった。
その後のニュルンベルク軍事法廷や東京軍事法廷における勝者の正義は、未だに論争となる。こうした影響を、過去の視点を交えて2003年にザールブリュッケン州の「第三回慶応デェー」にて講演「東京軍事法廷とその日本における受容」したフィリップ・オステン氏の原稿が同地の法学部のサイトにある。首相ミュラーが名誉博士号を慶応大学から授与された記念だろうか。
こうした過去の軍事法廷への判断は、実はどちらでも良いのだが、これこそが国際刑事法が否定される裏の原因ともなっていると言うのである。つまり、国際法の正当性を認めることは、表向きの理由である国内刑事法上との整合だけではなくて、半世紀以上前の軍事法廷における「戦争犯罪追及の理」を認めることにもなると言うのである。
逐一深入りはしたくないが、戦争への共謀罪が問われた事に対して「頭を残して尻尾を切った」、慣れぬ英米法に法廷における「国家弁護」の弁護方針などの叙述とともに、その東京裁判への法学上の議論が世論とともに纏められている。つまり、大日本帝国は、1907年のハーグ条約や1929年のジュネーブ協定に「署名していながら、批准していなかった」と言う、その後の意志的な展開を証明するような記述も面白い。
そして1998年成立の国際刑法裁判所への国際刑事法の署名や批准への日本国法務省の否定的な態度が説明されている。ローマ規約と言われる会議に代表もしくは見学者として参加した専門家が1998年12月の「法律家」特別号に寄稿していて、記述的な抽象論に終始していて、具体的な国内法との調整に一切踏み込んでいないと言う。
2000年のバンベルクでのシンポジウムで西原春夫は、「国際刑事法は、超国家的組織の不備によってまだ時期的に十分に熟していない」と言い、「兵器のリストに核兵器が記されていないのは、日本からみるとおかしい」と刑事法学的に決まりが悪いと否定的とある。また西原氏の立場は、否定的な反応を続け、東京裁判の評価へと繋がると危惧を示す法務当局の態度に一致しているとする。
平川宗信名大名誉教授はこれとは逆に、国際刑事法への流れの中で両軍事法廷の果した役割を積極的に評価しているようである。法務当局の言う国内法改正の必要の検討などに対して、国際刑事法の国内法への移植どころか日本国憲法九条が十分にこれを抱合していると言う考えらしい。また安藤泰子博士は2002年の学位論文の中で、国際刑事法が国内刑事法を補完する意味での、裁判権のテリトリーについても考慮している。
しかしそれとは別に日本国憲法九条との兼ね合いもあるようだ。防衛や秩序維持のための軍事介入に備えての基本的な考え方が、この国際刑事法の根拠となるローマ規約に違いないからである。しかし、国連との組織的融合の具体的時期は未定のままである。
こうして自主的な国家の枠組みを超えて、集団的防衛体制を超えて、国際刑事法廷へと権限を委譲して行く。勝てば官軍の軍事的な権力の移管が予め国際法に定まるのは正しい。こうする事によって、国際テロリズムや戦争犯罪における責任はそれがビン・ラーディンであろうと、ホワイトハウスの住人であろうとも、共謀や侵略性があればそのように同じように裁かれる機構が必要であろう。
そうすると、ナチズム下のヒットラー暗殺計画共謀も歴史の中で復権の根拠が出来、今日から見たフランス革命の評価も変わってくるのだろう。
さらに推し進めると議会制民主主義の機構の中で、各々が選択した過程を文書化して(投票用紙のコピーのような)記録して、責任の免除を証明する必要があると考えると可笑しいだろうか?これは、コソヴォ紛争介入で学んだ事でもある。そのように議会制民主主義の発展への様々な可能性が存在する。
集団虐殺や人道に対する罪、戦争犯罪や侵略戦争は、国際刑事法によって裁かれる。このような考えが持ち上がったのは、ヴェルサイユ条約時の第一次世界大戦時の敗戦国ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム二世の身柄搬送要求と書かれている。結局、オランダ人の反対で法廷へと呼び出されることは無かった。
その後のニュルンベルク軍事法廷や東京軍事法廷における勝者の正義は、未だに論争となる。こうした影響を、過去の視点を交えて2003年にザールブリュッケン州の「第三回慶応デェー」にて講演「東京軍事法廷とその日本における受容」したフィリップ・オステン氏の原稿が同地の法学部のサイトにある。首相ミュラーが名誉博士号を慶応大学から授与された記念だろうか。
こうした過去の軍事法廷への判断は、実はどちらでも良いのだが、これこそが国際刑事法が否定される裏の原因ともなっていると言うのである。つまり、国際法の正当性を認めることは、表向きの理由である国内刑事法上との整合だけではなくて、半世紀以上前の軍事法廷における「戦争犯罪追及の理」を認めることにもなると言うのである。
逐一深入りはしたくないが、戦争への共謀罪が問われた事に対して「頭を残して尻尾を切った」、慣れぬ英米法に法廷における「国家弁護」の弁護方針などの叙述とともに、その東京裁判への法学上の議論が世論とともに纏められている。つまり、大日本帝国は、1907年のハーグ条約や1929年のジュネーブ協定に「署名していながら、批准していなかった」と言う、その後の意志的な展開を証明するような記述も面白い。
そして1998年成立の国際刑法裁判所への国際刑事法の署名や批准への日本国法務省の否定的な態度が説明されている。ローマ規約と言われる会議に代表もしくは見学者として参加した専門家が1998年12月の「法律家」特別号に寄稿していて、記述的な抽象論に終始していて、具体的な国内法との調整に一切踏み込んでいないと言う。
2000年のバンベルクでのシンポジウムで西原春夫は、「国際刑事法は、超国家的組織の不備によってまだ時期的に十分に熟していない」と言い、「兵器のリストに核兵器が記されていないのは、日本からみるとおかしい」と刑事法学的に決まりが悪いと否定的とある。また西原氏の立場は、否定的な反応を続け、東京裁判の評価へと繋がると危惧を示す法務当局の態度に一致しているとする。
平川宗信名大名誉教授はこれとは逆に、国際刑事法への流れの中で両軍事法廷の果した役割を積極的に評価しているようである。法務当局の言う国内法改正の必要の検討などに対して、国際刑事法の国内法への移植どころか日本国憲法九条が十分にこれを抱合していると言う考えらしい。また安藤泰子博士は2002年の学位論文の中で、国際刑事法が国内刑事法を補完する意味での、裁判権のテリトリーについても考慮している。
しかしそれとは別に日本国憲法九条との兼ね合いもあるようだ。防衛や秩序維持のための軍事介入に備えての基本的な考え方が、この国際刑事法の根拠となるローマ規約に違いないからである。しかし、国連との組織的融合の具体的時期は未定のままである。
こうして自主的な国家の枠組みを超えて、集団的防衛体制を超えて、国際刑事法廷へと権限を委譲して行く。勝てば官軍の軍事的な権力の移管が予め国際法に定まるのは正しい。こうする事によって、国際テロリズムや戦争犯罪における責任はそれがビン・ラーディンであろうと、ホワイトハウスの住人であろうとも、共謀や侵略性があればそのように同じように裁かれる機構が必要であろう。
そうすると、ナチズム下のヒットラー暗殺計画共謀も歴史の中で復権の根拠が出来、今日から見たフランス革命の評価も変わってくるのだろう。
さらに推し進めると議会制民主主義の機構の中で、各々が選択した過程を文書化して(投票用紙のコピーのような)記録して、責任の免除を証明する必要があると考えると可笑しいだろうか?これは、コソヴォ紛争介入で学んだ事でもある。そのように議会制民主主義の発展への様々な可能性が存在する。