Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

平均化を避ける意識

2006-05-08 | ワイン
フロイト生誕150周年は、土曜日であった。妻やその妹との生活、学生である娘へとの手紙交換などが紹介されていた。

ドイツ高級ワイン醸造所の団体VDPのお披露目会が催されている。通常の2005年度産ワインがこうして紹介される。幾つもの催しものが五月中に目白押しである。もともと、樽出し瓶詰めが完了する時期なのである。

お馴染の醸造所に出かけ年違いの物も含めて三十五種類のワインを試飲した。こうした形式には有料のものも、お得意さんやバイヤー向けのものもあり、軽食が賄われるものもある。今回のものは、無料であるが、地元の著名なワイン研究家博士やプレス関係も居たが、常連として招待されている顔ぶれも見えた。小さな一口パンと水だけで、目的がズレていないのに大変好感を持った。

オーナーは、「宣伝費も無駄なパーソナルも抑えているので、CPが高いというのはその表れだろう。」と、明確に回答してくれた。グローバル経済の中での戦略を伺って、「ワインの質とそれが平均化しないように差異を如何に保持出来るか」と云う文脈の中で、自然環境の変化や市場の動向によって易々と経済的ダメージを受けないような伝統ある醸造所の運営方針を確認出来た。その中で特別に魅力ある商品への希望が絶えず目前に掲げられるべきであろうと、その意を強くした。

醸造親方も36歳と若いのだが、フランスなどでの修行も実って、「ワインの皇帝」と呼ばれる米国人ロバート・M・パーカーの選んだ、最新の世界のワイン関係者36人に選ばれている。その選考理由は知らないが、昨年私が最も飲んだワインの醸造者である事実がそれを物語っていると云うと笑われるだろうか?

パーカー氏の「客観的点数システム」風のものにはここでも表明しているように全く興味がないのだが、親方との会話の中でも、「個人の趣味」と云う言葉が出て来た。所謂主観的評価となるだろう。これは、客観主義の点数システムから「平均化への道程」の反対側に存在する。所詮ワイン如きの事であるからどちらでも良いとは云えない。何故ならば嗜好品なればこその「意識下の主観」なのである。コカコーラしか飲まない人間はいるだろうが、サプリメントしか食べない人間はいないだろう。この辺りはフロイト博士の潜在意識の影響領域か。

経済効率を上げながら平均化を避け、大切なものを保持して行く。こうした発言をするから、超自己を基盤とした保守と見做されてしまう。こうして考えると、味覚の客観化と云うものが如何にまやかしであるかが想像出来る。



参照:
平均化とエリートの逆襲 [ 文学・思想 ] / 2005-11-06
歴史政治の遠近法 [ 歴史・時事 ] / 2005-04-17
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