Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

今言を以って古言を視る

2006-11-02 | 
断末摩の涙の日の様相より続く)古楽器による上演と云うのが、近代の終焉における芸術音楽としての回答である。謂わば 近 代 ルネッサンスの中で、その啓蒙思想を溯るような方向で注意深く試みられる音楽的文明批判である。

その遥か先に見る封建制と云う乗り越えてきた社会を顧みる場合、政治学者の丸山真男からの孫引きとして、福沢諭吉が明治人の利点として挙げる、「擬似封建制での自らの前半生の体験と近代西欧における過去の封建時代への時間的距離の差は大きい」とする見解を思い出す。また江戸時代の徂徠学の萩生徂徠が、原始儒教への復帰を主張する伊藤仁斎を批判して語る「今文を以って古文を視、今言を以って古言を視る」の困難性がある。それが、未だに近代文化を啓蒙するマエストロ・ムーティーの「モーツァルトのオペラにおけるイタリア語のレチタティーヴの尊重の主張」にも拘らず、その近代楽器を駆使する音楽性と演出などで、ほとんど評価を得なかった理由であるかもしれない。

ここで参考にした書物には、先の演奏会のバッハ芸術の本質に繋がる興味深い記述がある。比較文化論を展開しようとはことさら思わないが、それは身近なコンテクストで今言で行う翻訳のようなもので、異文化紹介の一方法でもある。これまた萩生徂徠の「訳文ぜんてい」での漢語理解への懐疑や福沢諭吉の西欧文化紹介における儒教用語の逆利用の方法である。

つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのふけふとは思はざりしを  在原業平

水戸光圀の支援を受けて『万葉集代匠記』を編した契沖(1640-1701)は、この歌の直裁を褒め称え、本居宣長(1730-1801)がこれをして大和魂と呼んだ。葉隠の思想などは、こうした不慮の事態に備えるための修行指南のようなものである。

これに対して契沖と宣長の中間の世代となるヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)は、1726年にカンタータ「我が終わりのだれぞ知らん」BWV27を初演している。その歌詞は、死期を待つ瀕死の無名作詞家のもので、赤裸々な命乞いのようでもあるが、自らの死の床自体が客観視されて、何時の間にやら自らの虚構の世界において既に天国への門を潜っている。そして、「もうここが天国だったらなあ」と仮定法的に綴られる。それは新約聖書ルカの福音書七章「やもめの息子を生き返らせる」に説明される死者の蘇りの情景である。

大バッハは、こうしたテキストに対して的確な作曲をしている。バッハ家の先人たちの主観的な感興に訴える音楽とは異なり、福音の世界観を明晰に音化しているのが比較すれば一目瞭然である。大バッハと云われるその偉大さはこうしたところに証明される。

プロテスタント的に死の突然の来訪を歓迎して、恐怖と不安をもってその死を顧みて、生の成就としての死を知る。それは、むしろ本居宣長の大和魂よりも潔い葉隠の生死感により近い。

去る月曜日の会はその曜日からか、または演奏者の一般的知名度や評価を示しているのか、一般発売席は大分余っていたようで八分の入りにも達していなかった。休憩無く一時間半以上繰り広げられた死への教会合同的ミサ礼拝は、更にバッハの二曲の曲を含めて演奏された。そこに居合わせた聴衆の感応度は高く、またしてもアルテオパーの巨大な演奏会場は、あたかもルター教会の会堂化したような趣であった。(終わり)
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