Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

市井の声を聞いて改良

2006-11-06 | アウトドーア・環境
遺伝子工学の実用でキリスト教社会同盟のゼーホファー経済相はディレンマに陥っている。伝えられるのは、先日地元のバイエルン州の修道会に招かれて、遺伝子工学の農業への効果を演説、地元の農業に従事する若者や支援者から痛烈な非難を受けたことである。

そのベネディクト修道会のグレゴール・マリア・ハンケ修道長は、教皇に教区アイヒシュテッテのビショップとなる指示を受けたばかりで、この政治家のブレーンである。そして、「聖なる父の領域を侵すことはならん。」と声明している。

経済相は、遺伝子工学推進者のメルケル首相の下、バイエルンの民にその効用を説明しようとしたようだが、逆効果であった。社会同盟は今後、緑の党が進める路線に便乗して行くしか方法がなくなってきているようである。言い替えれば、カトリックのバイエルンの農業従事者は、バイオ農業を推し進めることに将来の可能性を見ていて、心情的にも緑の党の推し進める環境政策に親近感と支持が集まっている事になる。

現在提案されているような、五年間のモラトリアム期間を設定して、且つ遺伝子工学によるクローンの農作地には二百メートルの干渉帯を義務付けるとしても、種子は飛びかい、具体的効果は薄い。北米大陸で行われたり、アジア大陸で実施される実用から欧州の植物植生環境を隔離することは不可能である。農産物の輸入禁止などでは防げない土壌汚染が、当然のこととして進行する。

遺伝子工学への漠然とした不安感は、原子力発電にも見られるようなもので、極自然な住民・農民心理であろう。近代の多くの期間を、化学薬品による農業に費やして来て、誰の何のためになったかを身を以って知っているからである。また簡単に安全性が保障されるようなところには、学術は無く営利が存在するだけで、また反対に未知のものがあるからこそ其処には学術がある。

そして、緑の党が言う様に、宗教・世界感が反映するような状況自体が可笑しいのであって、物理学や生物学でそうした問題として扱われる分野はある意味未知の研究部門であることから、遺伝子工学部門での実用化は未だにそれだけ理論的にも熟していないという事になる。

それにも拘らず、首相の進める様な政策は、たとえ彼女が言う様に「諸外国に負けないように遺伝子工学を進めて、技術立国を護り、いずれは化石資源に依存しない世界を作る。」としても、その学術研究と営利事業の融合を図ろうとするのはあまりに容易で浅墓な思考である。これは自分自身の学術コンプレックスか、原理主義プロテスタント精神かどうかは知らないが、公約としていたその政治的主張を引っ込め、他のエンジニアーリング部門とは異なる、基礎研究価値が残るであろうこの部門での産学一体の方針を修正する必要がある。

先月31日の宗教改革の日は過ぎたが、聖書を読めることで、民衆は教会の解釈と束縛から解き放たれ、聖書の中身を批判的に吟味出来るようになった。学術的自由が守られる前提をもって初めて可能となった、聖書の解釈学的審査は、そして啓蒙の時代を導いた。だからこそ、プロテスタントは大学を中心とした運動であった。

ギリシャ語の聖書を傍らに置いて、僅か十一週間で、ルターが訳した新約聖書は、必ずしも証言集でもなく、歴史的事実でも無いと言う視点から、解釈や批判が可能となる。また、ルター自身が、ドイツ語で理解するために翻訳した用語があり、そこにはFEUEREIFER、DENKZETTEL、HERZENSLUST、MORGENLAND等のドイツ語が含まれる。これらについてはいずれ改めて各々の用例を見て行きたい。

つまり、ルターは市井の人に聖書を読み聞かせて、その理解力に合わせて改良して行ったというのである。戦後、新科学技術を率先して導入、産業を発展させて来た伝統のカトリック社会同盟は、環境問題等には女子供の反応を重視して行くとしている。プロテスタントの女首相は、新たな言葉を見つけなければいけない。それは安物学者の詭弁であってはいけない。生兵法は大変危険である。

写真は、伝統的な品種改良のクローン「白リースリング」。
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