Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

自尊心と公共心を駆逐

2006-11-28 | 雑感

(承前)食事会も終わり、帰りがけに立ち話をしていると、秘書研修をしている女性が、秘書の対人の接し方を学んで来たと話してくれた。敬語に絡んで一度話題にしたが、他者との位置関係を上下に別ける封建主義的な態度は、だれなりと個人的に接して仕事を進める事が出来る環境を阻害する。彼女が云うように、「研修を受けて世界有数の企業社長と普通に接する事が出来る様になった。」というのは正しくて、官公庁であっても命令系統は組織の中での役割でしかない。そうした基本的な姿勢が確立されていないと、組織の中で肩書きの権勢をもって、対人関係を築くことはハラスメントでしか無くなる。

前述の日本通の人は、「日本人ほど機械と合体している民族はいない」のではないかとして、「電車の中で両手で携帯電話を操作して、右から左へとデータを転送しているのを見た。」と云うのだ。なるほど、右手から右腕を通って、肩から脳へと回り、左肩から左へと情報が伝達されるのかもしれない。自己を他者とアシミレーションして滅却することが、組織の中で歯車として巧く機能するコツかに見えるが、そこまでこればチャップリンの映画「モダンタイムス」の域に達するにはもう一息である。

資本家が投機的に経済投資をするのは理解出来る。それでも、マンハイムのベンツ合資会社から、カール・ベンツは手をひいた。製造業者が、特に機械工作など分野においては、現在でも上場して広く資金を集めることなく世界に冠たる製造者として君臨するドイツ中堅企業の気概がここにある。投資家は、なにもハイエナと云われるようなファンド集団で無くとも、製品の品質よりも何よりも当然ながら利益率を追求する。つまり投資を集うことで、ヒューマニティーに基礎を置く物作りの精神は終わりを告げ、そこには自尊心も公共心も存在しない。

そうした効率や利潤の飽くなき追求が、教育や文化を駆逐して、本来あるべき豊かな繁栄は、バビルの塔の瓦礫の上に積み上げられる事になるのである。それでは、豊かな文化とは一体どういったものであろうか。(続く)


写真:合資会社はダイムラー社と合併して、上質で売れる車を作る続けた。アウトバーンが建設されて、高速で安定して走れる車が製造されていく。写真は、その第二世代となる1936年製造のカブリオーレである。
コメント (3)
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