ピアニスト・アルフレード・ブレンデルは、この十年間で無かったほど、元気そうであった。ミスタッチの有る無しではなくその気力と云い、その集中度は充実振りを示していた。当年七十五歳であるから、現代では高齢とは云えないが、体調によって大分違ってくるのだろう。
ハイドンのニ長調のHob.XVI42ソナタは、チェンバロではなくピアノのために作曲されているとされる。ニコラウス伯に嫁いだエステルハージ家の王女に献呈された二楽章三曲の曲集である。
テーマと変奏に、月並みならば和音が積み木崩しのように潰されるアルペジオが、通奏低音のように繰り返されるでもなく、累積される響きで塗りつぶされるでもない。左手から右手へと受け渡されてかけ合うのは、空間的な音楽的視界の動きを表わす以上に、そのフレーズの繋がり具合からあたかも小枝が風に揺らぎ枯れ葉が舞い上がるような純音楽的な精神の飛翔そのものである。また終楽章の半音階列がプレリュード紛いのように無為を示す事もない。あくまでも音楽を、その動機の扱いと特徴を個性として尊び、明確に奏されるこの繊細さは如何ほどのものであろうか。この曲は、その成功から弦楽三重奏曲としても出版されている。
それは、また後年のイングリッシュソナタの一品ハ長調Hob.XVI52の曲において、ヴィーン古典派の突出を示しているかのようである。つまり、その後の西洋近代音楽の伝統となるソナタ形式における各々の部分のキャラクター付けは、ここでの動機の展開や発展における妙味であり、調性的律動的探索の時であり、ユーモアに富み且つ知的な遊び心に満ちた、ヘーゲル的止揚であり、そして精神の飛翔と智の遊戯からの帰還である。疾風怒濤の嵐を越えて啓蒙精神は、ビーダーマイヤー風の生活感に引き継がれ、ブルジョワージーの教養となっていく。
それにしても、作曲家ハイドンのデリカシーと職人的な技巧の秀逸、趣味の良さとその知的な振る舞いは、聴き上手の貴族に半生をお抱えされた最後の巨匠のそれである。この父ハイドンを継承する者が絶えたのは近代の社会や歴史に証明される。
例えば、この夜休憩前に演奏されたシューベルトのト長調D894のソナタでは、そうした客観から主観へと音楽的視点が大きく移動していて、物理自然の中に存在していた素材があたかもどこかから作曲家の指を通して編み出されたかのような文字通り人文的な姿態を見せる。その精神と形態こそが作曲家兼評論家のロベルト・シューマンがこの曲をしてファンタジーソナタと名づけるロマンティックである。そこでは、大きなダイナミックスの中に音や響きの肌触りが認識されて、既にオーストリア交響文化の粋を現実化している。そこに継承される音楽こそが芸術音楽でそのものある。民謡風な歌心や趣に、若くして世を去った作曲家シューベルトの面影を見る事も出来るが、その庶民的な滾々と湧き出る感性と肥大化された楽曲を思うと、さらに長生きをしていたらと惜しまれる。深深として且つ引き締まったバスの響きに硬質な旋律線を対応させ、弱音の薄い響きにまろやかな高音を這わせたりと、手練手管な最高域のピアニズム的演奏実践をもって、シューベルトの音楽は一点の曇りも無いロマン的心像風景となる。
休憩後にモーツァルトの晩年の作品が取り上げられた。ハイドンセットを書き上げた当時のファンタジーハ短調と、後年友人の死に際して書き上げられたイ短調のロンドである。ある種裏寂れたと云うか、天才少年が大人になり、その時代の難しさにバロックなどを研究しながら、純音楽的な時代の変化に対応しようとあがいてた時期であったのかもしれない。すくなくともここにあるのは、高貴に飛翔した精神の芸術ではなく、地に這い蹲るような大変主情的な世界である。成果を上げる舞台音楽での情感の吐露の深みに至らなかったこの作曲家の数多の作品は、上の偉大な芸術の系譜には含まれない。そして、予期されたように若くして長い芸術家の寿命を終える。
既に故人となったヴィーン出身のピアニスト、フリードリッヒ・グルダがこの曲を得意としていたが、演奏前に「ある種の感情は音楽でしか表わされないものであって、時代や国境を越えて伝達される」と演説している。音楽文化の伝統の知的な部分への反発から、感性の世界で活動を試みた嫌いもあるこの演奏家がこうした発言をして、ジャズとのコラボレーションを試みたのは理解出来る。しかし、そうした主知的な要素である形態と素材無しに音楽美は存在しない。オーストリア交響文化はそれでは成立しなかった。アーノルド・シェーンベルクの云うような「ドイツ音楽の優位」は存在しなかった。
アルフレッド・ブレンデルの楽器は、こうして継承されたオーストリア音楽文化を、明確なアーティクレーションやペダルを使った弱音や共鳴する響きで、現代の大ホール(今回は、数え切れない氏の演奏会体験の中でも音響的に最も精緻を極めた演奏会であったことを特記しておく。)の隅々の聴衆にまで漏れなく伝達する。明晰な和音の底辺を響かせたり多声的に 扱ったり、自由闊達で奔放ながら小節のテンポを維持しながら、上声部の驚くべき微妙なタッチとフーレージングの妙味に、その音楽文化の真髄を聞かせる。ハイドンの作品におけるここに来ての特筆すべき演奏実践は、現代欧州の第一人者である音楽家の辿り着いた境地でもある。
それは、近代精神としてのヒューマニズムの中欧における音楽的発露である。ユーモアの表現として、技法を越えてそれが音楽的に具象化される時、オーストリアの交響文化を中心とする近代音楽が商業化されてその終焉にある今日を如実に反射して映し出す。
参照:
ハイドンのユーモア
音楽の「言語性」とは?(9)
音楽の「言語性」とは?(10)
音楽の「言語性」とは?(11)
音楽の「言語性」とは?(12)
(Musikant/komponistより)
そのもののために輝く [ 生活 ] / 2006-11-13
2005年シラー・イヤーに寄せて [ 文学・思想 ] / 2005-01-17
ハイドンのニ長調のHob.XVI42ソナタは、チェンバロではなくピアノのために作曲されているとされる。ニコラウス伯に嫁いだエステルハージ家の王女に献呈された二楽章三曲の曲集である。
テーマと変奏に、月並みならば和音が積み木崩しのように潰されるアルペジオが、通奏低音のように繰り返されるでもなく、累積される響きで塗りつぶされるでもない。左手から右手へと受け渡されてかけ合うのは、空間的な音楽的視界の動きを表わす以上に、そのフレーズの繋がり具合からあたかも小枝が風に揺らぎ枯れ葉が舞い上がるような純音楽的な精神の飛翔そのものである。また終楽章の半音階列がプレリュード紛いのように無為を示す事もない。あくまでも音楽を、その動機の扱いと特徴を個性として尊び、明確に奏されるこの繊細さは如何ほどのものであろうか。この曲は、その成功から弦楽三重奏曲としても出版されている。
それは、また後年のイングリッシュソナタの一品ハ長調Hob.XVI52の曲において、ヴィーン古典派の突出を示しているかのようである。つまり、その後の西洋近代音楽の伝統となるソナタ形式における各々の部分のキャラクター付けは、ここでの動機の展開や発展における妙味であり、調性的律動的探索の時であり、ユーモアに富み且つ知的な遊び心に満ちた、ヘーゲル的止揚であり、そして精神の飛翔と智の遊戯からの帰還である。疾風怒濤の嵐を越えて啓蒙精神は、ビーダーマイヤー風の生活感に引き継がれ、ブルジョワージーの教養となっていく。
それにしても、作曲家ハイドンのデリカシーと職人的な技巧の秀逸、趣味の良さとその知的な振る舞いは、聴き上手の貴族に半生をお抱えされた最後の巨匠のそれである。この父ハイドンを継承する者が絶えたのは近代の社会や歴史に証明される。
例えば、この夜休憩前に演奏されたシューベルトのト長調D894のソナタでは、そうした客観から主観へと音楽的視点が大きく移動していて、物理自然の中に存在していた素材があたかもどこかから作曲家の指を通して編み出されたかのような文字通り人文的な姿態を見せる。その精神と形態こそが作曲家兼評論家のロベルト・シューマンがこの曲をしてファンタジーソナタと名づけるロマンティックである。そこでは、大きなダイナミックスの中に音や響きの肌触りが認識されて、既にオーストリア交響文化の粋を現実化している。そこに継承される音楽こそが芸術音楽でそのものある。民謡風な歌心や趣に、若くして世を去った作曲家シューベルトの面影を見る事も出来るが、その庶民的な滾々と湧き出る感性と肥大化された楽曲を思うと、さらに長生きをしていたらと惜しまれる。深深として且つ引き締まったバスの響きに硬質な旋律線を対応させ、弱音の薄い響きにまろやかな高音を這わせたりと、手練手管な最高域のピアニズム的演奏実践をもって、シューベルトの音楽は一点の曇りも無いロマン的心像風景となる。
休憩後にモーツァルトの晩年の作品が取り上げられた。ハイドンセットを書き上げた当時のファンタジーハ短調と、後年友人の死に際して書き上げられたイ短調のロンドである。ある種裏寂れたと云うか、天才少年が大人になり、その時代の難しさにバロックなどを研究しながら、純音楽的な時代の変化に対応しようとあがいてた時期であったのかもしれない。すくなくともここにあるのは、高貴に飛翔した精神の芸術ではなく、地に這い蹲るような大変主情的な世界である。成果を上げる舞台音楽での情感の吐露の深みに至らなかったこの作曲家の数多の作品は、上の偉大な芸術の系譜には含まれない。そして、予期されたように若くして長い芸術家の寿命を終える。
既に故人となったヴィーン出身のピアニスト、フリードリッヒ・グルダがこの曲を得意としていたが、演奏前に「ある種の感情は音楽でしか表わされないものであって、時代や国境を越えて伝達される」と演説している。音楽文化の伝統の知的な部分への反発から、感性の世界で活動を試みた嫌いもあるこの演奏家がこうした発言をして、ジャズとのコラボレーションを試みたのは理解出来る。しかし、そうした主知的な要素である形態と素材無しに音楽美は存在しない。オーストリア交響文化はそれでは成立しなかった。アーノルド・シェーンベルクの云うような「ドイツ音楽の優位」は存在しなかった。
アルフレッド・ブレンデルの楽器は、こうして継承されたオーストリア音楽文化を、明確なアーティクレーションやペダルを使った弱音や共鳴する響きで、現代の大ホール(今回は、数え切れない氏の演奏会体験の中でも音響的に最も精緻を極めた演奏会であったことを特記しておく。)の隅々の聴衆にまで漏れなく伝達する。明晰な和音の底辺を響かせたり多声的に 扱ったり、自由闊達で奔放ながら小節のテンポを維持しながら、上声部の驚くべき微妙なタッチとフーレージングの妙味に、その音楽文化の真髄を聞かせる。ハイドンの作品におけるここに来ての特筆すべき演奏実践は、現代欧州の第一人者である音楽家の辿り着いた境地でもある。
それは、近代精神としてのヒューマニズムの中欧における音楽的発露である。ユーモアの表現として、技法を越えてそれが音楽的に具象化される時、オーストリアの交響文化を中心とする近代音楽が商業化されてその終焉にある今日を如実に反射して映し出す。
参照:
ハイドンのユーモア
音楽の「言語性」とは?(9)
音楽の「言語性」とは?(10)
音楽の「言語性」とは?(11)
音楽の「言語性」とは?(12)
(Musikant/komponistより)
そのもののために輝く [ 生活 ] / 2006-11-13
2005年シラー・イヤーに寄せて [ 文学・思想 ] / 2005-01-17