オペラについての話題を二つ。
一つ目は、カナダのトロントで杮落としをした文化センターにあるオペラハウスの話題である。北米で屈指の大都会であり、特に中華資本が活況を呈しているようである。今回のオペラハウスのポストモダーン建築の寄付も、ミヒャエル・リー・チャンによって支えられている。しかし支援は、氏の投資銀行の名前でなくてフォーシーズンズホテルの名前で行われている。
素晴らしい劇場で、これを以って同地でのフィルムフェスティヴァルをさし措いてアメリカ大陸西海岸の文化拠点にしようと、トロントの鼻息は荒い。九月には、カナダ・オペラ協会の「ニーベルンゲンの指輪」で杮落としとなった。廉い席でも非常に音饗も視界も良いという。上等の席にはベンチではない通常の上質の椅子が置かれて、昔はそうだったろうなと思わせるという。
The Four Seasons Centre for the Performing Artsの玄関通路には小さくオペラ座の名前が記されている。ハンブルクのフィーヤ・ヤーレス・ツァイテンでなくて、英語によるホテルの名前が大きく掲げられる。「北国の春」歌謡ショーでなくて、せめて高尚なオペラが上演されるというだけでトロント市民は幸せなのだろう。
写真を見ると確かに立派である。劇場内は違うがバーデン・バーデンの建物にも似ている。しかし、カラヤン財団の誘惑に乗ったとしてもあれほどに大きなものを建ててしまっては、あとの-カラヤン聖霊降臨-祭りである。ペテルブルクからのどさ廻り劇場の御蔭で「指輪」などもそこで上演された。トロントもドイツからの出稼ぎ音楽家の御蔭で幸福な船出を祝したが、何時まで順風満帆が続くかと既に疑問が呈されている。
二つ目は、アラブ圏におけるオペラ劇場である。スエズ開通に合わせて杮落としとなったエジプトの劇場は、植民地文化の象徴でもあったのであろう。その他にも富みの集中したアラブ石油富豪が、自らのオペラ劇場でお遊びなさっているだろう。だから、しかし、アラブ圏では、西洋歌劇文化に社会的な意味合いは皆無のようである。
アルジャジーラのベルリン特派員が、先日のイドメネオ事件について語っている。「オペラ問題は何の意味合いもありませんよ。」と抜けぬけと云って、「アラブ世界ではオペラなんてものは、殆ど役に足ってません。関心がない訳ではないので、モーツァルト生誕250年については昨晩レポートしたところですがね。それでも西洋のオペラなどそれに比べればずっと議論になります。まあ、英語放送のアルジャジーラ・インターナショナルのクルーは態々ロンドンから取材に来ましたが。アラブ語放送では殆どイドメネオについては触れていません。西洋と違ってアラブ世界では、オペラの上演禁止など報道価値無しですよ」。
これについてはそれ以上語る必要も無い。近東であろうが、極東であろうが、オペラなどは、出来そこないのミュージカルで、エンターティメントよりは少し高尚なものなのである。当オペラ劇場のスケジュールを見ると、なる程と思わせる。アラブ音楽際のために、日本国の援助により建設省の指導の下鹿島の建設受注によって完成されたセンターが、使われているのがただ幸いである。
ついでに言及すれば、デンマークのカルカルチャー問題は悪意があって危険であったが、教皇の発言は純粋にアカデミックな発言を試みたのが災いして、元来問題が無かった筈だとしている。そうなれば、こうした報道の選択をしているので、ジャーナリストの世論に寄り添った微妙な判断となる。さてこれをどのように信じることが出来るのか?
一つ目は、カナダのトロントで杮落としをした文化センターにあるオペラハウスの話題である。北米で屈指の大都会であり、特に中華資本が活況を呈しているようである。今回のオペラハウスのポストモダーン建築の寄付も、ミヒャエル・リー・チャンによって支えられている。しかし支援は、氏の投資銀行の名前でなくてフォーシーズンズホテルの名前で行われている。
素晴らしい劇場で、これを以って同地でのフィルムフェスティヴァルをさし措いてアメリカ大陸西海岸の文化拠点にしようと、トロントの鼻息は荒い。九月には、カナダ・オペラ協会の「ニーベルンゲンの指輪」で杮落としとなった。廉い席でも非常に音饗も視界も良いという。上等の席にはベンチではない通常の上質の椅子が置かれて、昔はそうだったろうなと思わせるという。
The Four Seasons Centre for the Performing Artsの玄関通路には小さくオペラ座の名前が記されている。ハンブルクのフィーヤ・ヤーレス・ツァイテンでなくて、英語によるホテルの名前が大きく掲げられる。「北国の春」歌謡ショーでなくて、せめて高尚なオペラが上演されるというだけでトロント市民は幸せなのだろう。
写真を見ると確かに立派である。劇場内は違うがバーデン・バーデンの建物にも似ている。しかし、カラヤン財団の誘惑に乗ったとしてもあれほどに大きなものを建ててしまっては、あとの-カラヤン聖霊降臨-祭りである。ペテルブルクからのどさ廻り劇場の御蔭で「指輪」などもそこで上演された。トロントもドイツからの出稼ぎ音楽家の御蔭で幸福な船出を祝したが、何時まで順風満帆が続くかと既に疑問が呈されている。
二つ目は、アラブ圏におけるオペラ劇場である。スエズ開通に合わせて杮落としとなったエジプトの劇場は、植民地文化の象徴でもあったのであろう。その他にも富みの集中したアラブ石油富豪が、自らのオペラ劇場でお遊びなさっているだろう。だから、しかし、アラブ圏では、西洋歌劇文化に社会的な意味合いは皆無のようである。
アルジャジーラのベルリン特派員が、先日のイドメネオ事件について語っている。「オペラ問題は何の意味合いもありませんよ。」と抜けぬけと云って、「アラブ世界ではオペラなんてものは、殆ど役に足ってません。関心がない訳ではないので、モーツァルト生誕250年については昨晩レポートしたところですがね。それでも西洋のオペラなどそれに比べればずっと議論になります。まあ、英語放送のアルジャジーラ・インターナショナルのクルーは態々ロンドンから取材に来ましたが。アラブ語放送では殆どイドメネオについては触れていません。西洋と違ってアラブ世界では、オペラの上演禁止など報道価値無しですよ」。
これについてはそれ以上語る必要も無い。近東であろうが、極東であろうが、オペラなどは、出来そこないのミュージカルで、エンターティメントよりは少し高尚なものなのである。当オペラ劇場のスケジュールを見ると、なる程と思わせる。アラブ音楽際のために、日本国の援助により建設省の指導の下鹿島の建設受注によって完成されたセンターが、使われているのがただ幸いである。
ついでに言及すれば、デンマークのカルカルチャー問題は悪意があって危険であったが、教皇の発言は純粋にアカデミックな発言を試みたのが災いして、元来問題が無かった筈だとしている。そうなれば、こうした報道の選択をしているので、ジャーナリストの世論に寄り添った微妙な判断となる。さてこれをどのように信じることが出来るのか?