Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

フリーセックスのモナーキ

2006-11-15 | マスメディア批評
イアン・ブルマの多文化主義への見解が載っている。氏の見解は、ここでも何度も扱っているがそれはなにも購読紙のゲストコメンテーターと云う理由からではない。寧ろ、氏の説明や視点のあり方は、予てから巧く表現出来ない事象に解析を加えているからであって、極東の社会政治への見識やオランダ出身ながら新大陸からの視点も保持しているから、引用するには大変便利な見解であるのが理由として挙がる。しかし氏が多文化主義を語る際は、その新大陸的な気風と旧大陸から持ち運んだ大気を嗅ぎ別けなければいけないかも知れない。

オランダの実状について語っている。興味深いのは、オランダのフリーセックスや麻薬やロックンロールへの寛容などは1960年代の解放に始まったもので、本来は国民は皆、プロテスタントにせよ、カトリックにせよ、各々の教会や共同体に属して政治的な姿勢をも決定していたと云う。それどころか、援助を受けた宗派別の学校組織やスポーツ愛好組織に別れていていた。しかしそれは、厳格であっても、決して急進的な原理主義ではなかった。戦前までは、現在のモスリム以上に新旧教間の混合はなかったと云う。

つまり世界から渇望される寛容の精神は、1970年代からの世界に冠たるリベラリズムとして、余所者ムスリムを放任していったのである。その結果が先年来の度重なる暗殺劇であり、現在フランス・ドイツ・英国に比べてムスレムへの反感は強くなっている。

しかし、オランダには過激な排他主義は存在した事も、存在する事もないとする。暗殺された同性愛者の右翼政治家フォルテゥン氏でさえ、ただただ女性解放と同性愛の権利を侵すものとして、モスリム移民を非難した。イェルク・ハイダーやジャン・マリー・ルパンとは大きく違うと云う。

そして今、人気政治家「鉄のリタ」ことリタ・ヴェルドンク女史は、「ブルカは公共の場では禁止して、全てのオランダ人は町中ではオランダ語のみを喋る事を義務付け、警官は不法滞在外国人検挙のノルマ達成に報奨金を受け取るようにしたい。」と発表した。

これに対して、筆者は、「オランダは西欧他国と比較すればやはり歴史的に寛容であったのは、デカルトの亡命やスペインやポルトガルのユダヤ人やフランスユグノーの受け入れなどを見れば判る」として、寛容と国際主義との差異を説いている。

しかしこの歴史的背景説明は、些か日向ばかりに焦点を当てたもので、オランダ人の強欲な日陰部分をあざとく避けているように思える。

そして、ロンドンやパリの国際都市と辺境のアムステルダムでは比較が出来ないので、移民達の問題を真剣に考えることなく、寛容をモットーとして余所者に国際主義的同等の主張を認めることもなくやってきた事を批判する。

これは、筆者の云う通り、リベラルとは面倒なものを「放って置く」と云う態度である。それを著者はさらに次のように喩える。

オランダ人は、「ゲゼルへイド」と云う社会のクラブを組織していて、お客様も移民者が占め出されたと感じるときに初めてその温かみを感ずることが出来るのだとする。そしてこれはフランスや米国の共和制と違う、法律では表れない文化的次元での形態としている。

つまり、感傷的なモナヒズムや家族的な絆をもった秘密クラブのようなものである。だからこそ、移民者がこの温かなクラブに入り込む事は大変難しく、たとえ其処で生まれ育ち、多くのガールフレンズがいようが、結局は疎外感からイスラム過激派の殉教死とアイデンティティーへと導かれる若者を理解出来ると云う。

そこで、筆者は提案する。モロッコやアナトリアの村出身の男性達は、彼らの女性達を現代欧州のようには扱え無いなら、または同性愛への考え方が我々の社会のようで無いなら、彼らは批判されるべきであり、他者が彼らの見解を批評したり嘲笑したりする他者の自由を、また自らの言論の自由を習うべきであるとする。

この筆者が語っているのは、つまり、西欧の価値観を議論する素地を準備して、「彼らの文化的後進性や低水準を責めるのではなくて、受け入れの気持ちを伝えるのが良い。」と正直な意見である。

しかし、「ただの寛容よりも国際主義を、― それを以って多文化主義を守る最善策としているのが ― システムよりも法律よりも先ず文化の問題として自覚しろ」と云うのが、この筆者の視点である。イアン・ブルマ氏の多文化主義とは、米国的な水で薄められたワインのような文化なのか、それともオランダ特製の野放図な文化なのか、それとも地政的なローカリズムなのか、一体何なのか良く解らない。

寛容への一定の制限をオランダ国民が受け入れる素地はあるのか、その文化的 先 進 性 を後進させる事が果たして可能なのか、隣人を正すだけで自らを悔悟出来るのかと疑問は吹き上がる。

話し合いの場を持つならばお互いに譲歩する必要がある。誰が、一方的に教示を受け、悔い改めるだけならば、そのような場に喜んで進み出ようか。結局は、植民地時代のオランダの巧い商売のやり方である。一方ではモナヒズムをからかわれて、一方では同性愛を認めさせようとするばかりか堕胎や尊厳死まで合法化するように、なにかあれほどまでに明快な極東分析をする筆者の先が定まら無い矛先の 鈍 さ までが、オランダ人の特異性のような気がするのである。現代のモナヒズムの文化的曖昧さを暗に示しているのだろうか。

テオ・ファン・ゴッホ事件を扱った新著「MURDER IN AMSTERDAM」が好評発売中である。



参照:
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
固いものと柔らかいもの [ 文学・思想 ] / 2005-07-27
苔生した貴腐葡萄の苦汁 [ 試飲百景 ] / 2006-10-21
止揚もない否定的弁証 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-07
歓喜の歌 終楽章 [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-01
コメント (6)
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