カール・ベンツの誕生日であった。誰も事前には知らなかった。偶々この日に、昨年移転されたラーデンブルクの博物館を見学した。
もともとマンハイムにて、ベンツ合弁会社としてやっていたのに嫌気がさして、近郊のラーデンブルクに篭って好きな車の製作に集中したようである。マンハイムでは、後にシュツッツガルトのダイムラー社と合弁するまで1200台の自動車が生産された。其れに対してここでは、同族会社として特別な自動車や部品が製作される。結局生産規模は自動車300台であったが、なかには名車と云われる物がある。
その中でもプリンツ・ハインリッヒと名づけられた1910年産のツーリズモは、四気筒ダブル点火で、100馬力を確保している。ここに遺志を引き継いだ技術屋の魂を見る事が出来る。試作者を走らせたマルセデスの覇気に答える男気があったのだろう。
見学を終えての食事の席で、ゲーテとシラーの比較から、市民革命、フランス革命の話へ、またヘルダリンからビュヒナーへと話は移って行った。日本に詳しい男性は、「こうした我々が勝ち取った封建主義から民主主義へと進んだ文化が日本では、開花していないのではないか。」と疑問を呈する。
先日日本からやって来た音楽学生がヘンデルを知らなかったと驚いていたが、少なくともピアノかヴァイオリンか、はたまた管楽器かを練習していればかならずしや出てくる課題曲の作曲家だと思われるので、不思議なこともあるものだなと思った。
先日来のヴィーンの楽団コンツェルトムジクスのメサイア日本公演が大変好評に迎えられているのを聞いて、なるほど西洋音楽の需要においても、音楽技術が他の科学技術や社会機構などと同じように、合理主義的な成果を期待され続けて要求されていたのに違いないと思った。その結果、永く注目されなかったその文化の真髄を今改めて目の当たりにする現象が決して珍しくは無いと云うことでもあるのだろう。
あまりに高踏的で気高い芸術も、庶民的で懐の広い芸術であっても、そのどちらにも共通するヒューマニティーとは、少なくともルネッサンス時代までは立ち返らないといけない。そうした知識的な教育は、明治以降再三に渡ってなされて来た訳であるが、前述の氏が察するように「身についていない借衣装」としても強ち間違いではない。
衒学的な知識から、現代の生活観へと繋がる智恵へと、芸術分野に限らない天才願望や賞賛から偉大な行いや精神の評価へと、価値観を強化していかない限り、そもそも文化や教養などは無用である。そして、誰も衣装を脱ぎ捨てて裸で歩くことはしないのである。(続く)
もともとマンハイムにて、ベンツ合弁会社としてやっていたのに嫌気がさして、近郊のラーデンブルクに篭って好きな車の製作に集中したようである。マンハイムでは、後にシュツッツガルトのダイムラー社と合弁するまで1200台の自動車が生産された。其れに対してここでは、同族会社として特別な自動車や部品が製作される。結局生産規模は自動車300台であったが、なかには名車と云われる物がある。
その中でもプリンツ・ハインリッヒと名づけられた1910年産のツーリズモは、四気筒ダブル点火で、100馬力を確保している。ここに遺志を引き継いだ技術屋の魂を見る事が出来る。試作者を走らせたマルセデスの覇気に答える男気があったのだろう。
見学を終えての食事の席で、ゲーテとシラーの比較から、市民革命、フランス革命の話へ、またヘルダリンからビュヒナーへと話は移って行った。日本に詳しい男性は、「こうした我々が勝ち取った封建主義から民主主義へと進んだ文化が日本では、開花していないのではないか。」と疑問を呈する。
先日日本からやって来た音楽学生がヘンデルを知らなかったと驚いていたが、少なくともピアノかヴァイオリンか、はたまた管楽器かを練習していればかならずしや出てくる課題曲の作曲家だと思われるので、不思議なこともあるものだなと思った。
先日来のヴィーンの楽団コンツェルトムジクスのメサイア日本公演が大変好評に迎えられているのを聞いて、なるほど西洋音楽の需要においても、音楽技術が他の科学技術や社会機構などと同じように、合理主義的な成果を期待され続けて要求されていたのに違いないと思った。その結果、永く注目されなかったその文化の真髄を今改めて目の当たりにする現象が決して珍しくは無いと云うことでもあるのだろう。
あまりに高踏的で気高い芸術も、庶民的で懐の広い芸術であっても、そのどちらにも共通するヒューマニティーとは、少なくともルネッサンス時代までは立ち返らないといけない。そうした知識的な教育は、明治以降再三に渡ってなされて来た訳であるが、前述の氏が察するように「身についていない借衣装」としても強ち間違いではない。
衒学的な知識から、現代の生活観へと繋がる智恵へと、芸術分野に限らない天才願望や賞賛から偉大な行いや精神の評価へと、価値観を強化していかない限り、そもそも文化や教養などは無用である。そして、誰も衣装を脱ぎ捨てて裸で歩くことはしないのである。(続く)