Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

花園に包まれていたい

2008-03-04 | ワイン
ワインの試飲について書かなければいけないことは数知れない。昨日の試飲者を念頭において、この大変貴重な体験から学べることを書き記しておく。

所謂ワインスノビズムのようなものを嫌悪していることから、鉄則とかいったようなものはここには一切書かない。しかし、試飲や消費の上で少し考えてみると参考になり、積み重ねの経験になるような類のことは、自らの感応体験で示唆しておいても良いだろう。

今回のヘアゴットザッカーは瓶詰め一週間で俗に言う樽試飲に近いものである。さらにポンプアップして瓶詰めしてあるので、現在の状況は重症のワインシック状態である。逆に、これを樽試飲とワインシックの重なった状態として把握すると、この試飲の経験が充分に意味を放つ。

それでも判るピーチの香りと酸の鋭さは、このワインの魅力を語って憚らない。謂わば、ロンドンでの展覧会のポスターでも問題となったようなクラナッハのヴィーナス像の一糸も纏わないあまりにも露な姿なのである。

そうした殆ど色香の無い、蒸留水のようなたおやかな香りこそが、その素性を示して、純粋さに限りなく近いものを感じさせる。新鮮さと些かそれが分裂したこの視差にこそに、主観と客観の緊張を解く秘密がある。化学的には、様々な結合の平衡に戻る方向への分散と言えるのだろうか。

通常の空間移動に置けるワインシックは、それに経過した時間だけをおけば元に戻るとする、一般的原則が存在する。しかし、ポンプアップのストレスは一月以上の時を要すると言われるが、この期間を認識するには大分の経験が必要である。

そして、ワインが落ち着いた時に、最初の飲み頃のピークが表れるのは、白ワインならば、大抵感じられる。新鮮であれば、なにも他には要らない。しかしである、その質の高さや高貴さ、そしてなによりも素性や性格のよさが背後にやられて、偉大なそれどころか、見掛け倒しの性質の悪さも隠されてしまうことを、特に鈍感な男達は肝に銘じなければいけない。

リースリングに関して言えば、一年以内に草臥れてしまうものは、高級とはもはや言えない。しかし、一年後には少し落ち着いた新妻のようになるリースリングも少なくはない。そのときに新たな良さが見え隠れしてきて、惚れなおせるものはやはり素晴らしい。そうして、瓶詰めから二年経過後位には持ち得る素晴らしさが開いて、偉大なものには奥行きと高貴さが底光りしてくるのだ。

ここまでが一般的な高級リースリングに当てはまるもので、そうして、出産と育児を迎えてのやつれのような時期を過ぎると、今度は熟成の時となる。それは同時に、辛口リースリングで愛される新鮮な香りの衰退と消耗を進める。つまり、四年過ぎたリースリングでは、甘口においてはジュースからやっと酒らしく飲める時期であり、辛口においては新たな時を迎えることになるのだ。

甘口のリースリングは、そのコケットな魅力から甘さが消えて一種の清々しさへと飛躍して行くものもある一方、肌艶が失せて厚化粧の甘みが分離して行く場合も少なくない。

そして辛口では、この時点からは本当に選びぬかれたリースリングだけが、高貴な香りをお花畑のように醸し出し始める。それは、蜜に満ちた雌しべの周りを彷徨うような蜜蜂の飛翔の時を我々に約束するのである。様々な鮮やかな、可憐な、得も知れぬ花が辺り一面に咲き乱れ、媚びることもなく、ゆったりと風に吹かれる情景を思い浮かべる愉悦の時なのである。

蒼い空の下で緑の草原に横たわり、ありとあらゆる色香に身も心も委ね、うとうととして、あるがままに一面の花園に包まれていたい。



参照:
埃被ろうとも侮るべからず
ハークもかなり鉱物的 (新・緑家のリースリング日記)
コメント (2)
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