新聞にエルドガン首相のインタヴュー記事が掲載されている。非常に興味深い。この政治家をポピュリストと考えているが、一体それは正しいのだろうか?
先ずは身近なルートヴィヒスハーフェンでの火事から追ってみると、ケルンでの大集会で穏やかな対応を呼びかけたことに対して、「地元や連邦の細やかな気遣いの各氏への礼」とともに先ずは沈静化を図りながらも、その後「十件もの放火騒ぎがあり、郵便桶にマッチを入れられた脅迫等があった」ことを問題とする。
そして、トルコでの過激なメディア報道に対しては、「ドイツ政府が、釈然とした対応をしていない」と批判して、「同地でもネオナチの落書きが長く置かれているのを確認」して、「ドイツ在住の親戚も怯えている」ことを指摘、さらに「創造主に創造された者を愛す市民の愛と平和」を強調して、「両国間は緊張した状況に無い」と断言する。
最もこのインタヴューで大きく捉えられて大タイトルとなったのが、2月10日でのケルンの集会へのエルドガン首相のメルケル首相への招待である。一旦は受け入れたようだが、結局ベルリンの首相官邸でのパネルディスカッションを逆提示されたとして、「メルケル首相は、私が集めた注目と同じように、大観衆の前で直接語りかけることが出来たのに残念」として、「在独トルコ人の動機付け」のためにも「彼女が望めばまた開催しますよ」と言う。
ここまで読んでなるほど先月のこの「偉大な政治家」への新聞の扱いの微妙さの理由がよく解る。イラクへ侵攻することになったPKK一掃作戦や同地方へ現地入りしての活動をも説明して全く抜け目が無い。
その関連で、「母国語を習い、使える」クルド人少数民族政策への取り組みを、またアラブ語やペルシャ語での公共放送TRTでのチャンネルなどの先進性を語る。当然のことながら、これは問題となり「思い掛けない批判」を浴びたドイツでのトルコ語での教育へのコメントとなっている。
「ドイツ語をマスターするためには母国語が先ず充分に出来ていないと」と、「母国語が出来ない者は、他の言語も出来ないとするのは、言語学上の鉄則で、これを言っただけで、誤解されたのですよ」と弁舌鮮やかである。
これほどに頭脳も明晰で、その主張に隙が無いのは、現在のEU首脳陣と比較しても引けを取るどころか、完全に上回っているような気がする。ああ言えばこう言う。
そしてその主張の根源には、EU加盟上問題となっている憲法301条の「トルコ条項」があるらしいが、これもスカーフ問題で審議が遅れたが継続して討議されるとして、決してEU加盟に否定的な見解は示さない。
その反面、ライツィストの政教分離観を「どの宗派に対しても距離を置く」と「スカーフ許可」を定義付ける一方、八十万のトルコ系ドイツ人には「双方の国に忠誠を求める」。
それをして、この新聞FAZの社説は、「85%のトルコ系ドイツ人が、78%の在独トルコ人がメルケルを信用していないことから、二万人の観衆の中でメルケル首相を庇えばエルドガン首相に怪物的な印象を与えたのが想像出来る」として、今後ともそのような、フランスやドイツでのドゴールとアデナウワーのような機会はありえないだろうとする。そして、主張される二カ国への忠誠は全く新たな認識を必要とするとしている。
その一方現実にはイスラム団体やその構成員を扱う場合、国籍条項の差異なくモスレムが扱われている事から、ヴァチカンなどの外的な影響力を排したプロテスタンティズムの国ドイツにおけるイスラム信者の扱いはまだ定まっていないとしている。この点に関しては、ここでは政教分離の徹底を述べている通りである。
エルドガン首相の発言は、そのIDの示し方やトルコ国内での支持の受け方で、イェルク・ハイダーや東京都知事などの「出来もせぬ事を言うだけ」のポピュリスト政治家や小泉首相の短いセンテンスのコミュニケーションで背後の動きを隠し単純化した政策やラフォンテーヌのイデオロギーを単純明確化した弁舌で、浸透度と支持を得るポピュリズムとは一線を隠した、遥かに優秀なポピュリズム政治家であることが知れる。
その差異は、もちろんトルコ人の秀逸した国語力やメディア批判力にあるのでもなく、工業先進国には無い教育上の大きな社会格差にあるように見えるがどうなのだろう。しかし、こうした大きな支持を集める政治家が登場する背景には、やはり宗教に代表されるような成文化されない社会規範や封建主義的な世界観が根底にあることも否めない。だからこそ自由民主主義が我々の立ち位置なのであるが、思いのほかそれが定着する素地はなかなか限定されるのも事実なのである。
参照:
Banzai for Democracy 民主主義、万歳! (Rakugo Performer ハリト)
反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13
熱い猜疑心の過熱と着火 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-09
階段の踊り場での懐疑 [ 生活 ] / 2008-03-02
出稼ぎ文化コメディー映画 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-02-14
調査と云う似非文化問題 [ BLOG研究 ] / 2008-03-10
先ずは身近なルートヴィヒスハーフェンでの火事から追ってみると、ケルンでの大集会で穏やかな対応を呼びかけたことに対して、「地元や連邦の細やかな気遣いの各氏への礼」とともに先ずは沈静化を図りながらも、その後「十件もの放火騒ぎがあり、郵便桶にマッチを入れられた脅迫等があった」ことを問題とする。
そして、トルコでの過激なメディア報道に対しては、「ドイツ政府が、釈然とした対応をしていない」と批判して、「同地でもネオナチの落書きが長く置かれているのを確認」して、「ドイツ在住の親戚も怯えている」ことを指摘、さらに「創造主に創造された者を愛す市民の愛と平和」を強調して、「両国間は緊張した状況に無い」と断言する。
最もこのインタヴューで大きく捉えられて大タイトルとなったのが、2月10日でのケルンの集会へのエルドガン首相のメルケル首相への招待である。一旦は受け入れたようだが、結局ベルリンの首相官邸でのパネルディスカッションを逆提示されたとして、「メルケル首相は、私が集めた注目と同じように、大観衆の前で直接語りかけることが出来たのに残念」として、「在独トルコ人の動機付け」のためにも「彼女が望めばまた開催しますよ」と言う。
ここまで読んでなるほど先月のこの「偉大な政治家」への新聞の扱いの微妙さの理由がよく解る。イラクへ侵攻することになったPKK一掃作戦や同地方へ現地入りしての活動をも説明して全く抜け目が無い。
その関連で、「母国語を習い、使える」クルド人少数民族政策への取り組みを、またアラブ語やペルシャ語での公共放送TRTでのチャンネルなどの先進性を語る。当然のことながら、これは問題となり「思い掛けない批判」を浴びたドイツでのトルコ語での教育へのコメントとなっている。
「ドイツ語をマスターするためには母国語が先ず充分に出来ていないと」と、「母国語が出来ない者は、他の言語も出来ないとするのは、言語学上の鉄則で、これを言っただけで、誤解されたのですよ」と弁舌鮮やかである。
これほどに頭脳も明晰で、その主張に隙が無いのは、現在のEU首脳陣と比較しても引けを取るどころか、完全に上回っているような気がする。ああ言えばこう言う。
そしてその主張の根源には、EU加盟上問題となっている憲法301条の「トルコ条項」があるらしいが、これもスカーフ問題で審議が遅れたが継続して討議されるとして、決してEU加盟に否定的な見解は示さない。
その反面、ライツィストの政教分離観を「どの宗派に対しても距離を置く」と「スカーフ許可」を定義付ける一方、八十万のトルコ系ドイツ人には「双方の国に忠誠を求める」。
それをして、この新聞FAZの社説は、「85%のトルコ系ドイツ人が、78%の在独トルコ人がメルケルを信用していないことから、二万人の観衆の中でメルケル首相を庇えばエルドガン首相に怪物的な印象を与えたのが想像出来る」として、今後ともそのような、フランスやドイツでのドゴールとアデナウワーのような機会はありえないだろうとする。そして、主張される二カ国への忠誠は全く新たな認識を必要とするとしている。
その一方現実にはイスラム団体やその構成員を扱う場合、国籍条項の差異なくモスレムが扱われている事から、ヴァチカンなどの外的な影響力を排したプロテスタンティズムの国ドイツにおけるイスラム信者の扱いはまだ定まっていないとしている。この点に関しては、ここでは政教分離の徹底を述べている通りである。
エルドガン首相の発言は、そのIDの示し方やトルコ国内での支持の受け方で、イェルク・ハイダーや東京都知事などの「出来もせぬ事を言うだけ」のポピュリスト政治家や小泉首相の短いセンテンスのコミュニケーションで背後の動きを隠し単純化した政策やラフォンテーヌのイデオロギーを単純明確化した弁舌で、浸透度と支持を得るポピュリズムとは一線を隠した、遥かに優秀なポピュリズム政治家であることが知れる。
その差異は、もちろんトルコ人の秀逸した国語力やメディア批判力にあるのでもなく、工業先進国には無い教育上の大きな社会格差にあるように見えるがどうなのだろう。しかし、こうした大きな支持を集める政治家が登場する背景には、やはり宗教に代表されるような成文化されない社会規範や封建主義的な世界観が根底にあることも否めない。だからこそ自由民主主義が我々の立ち位置なのであるが、思いのほかそれが定着する素地はなかなか限定されるのも事実なのである。
参照:
Banzai for Democracy 民主主義、万歳! (Rakugo Performer ハリト)
反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13
熱い猜疑心の過熱と着火 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-09
階段の踊り場での懐疑 [ 生活 ] / 2008-03-02
出稼ぎ文化コメディー映画 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-02-14
調査と云う似非文化問題 [ BLOG研究 ] / 2008-03-10