Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

麻薬である信仰-2008?

2008-03-18 | マスメディア批評
チベット紛争はどうなるのだろう。19年振りの大掛かりな紛争となっているようだ。その実態は報道管制からなかなか流れて来ないようで、TV放送などは映像が無いと報道機関として全く役に立たない。

暴動が起きて、中共軍が警察隊として制圧にあたっているのは間違い無く、ダライ・ラマがオリンピックを前に最後の勝負に出たのも充分に予想される。しかし米国の態度やダライ・ラマ自身の発言などから、今一つその戦略が見えて来ないのは何故なのだろう。

北京オリンピックのボイコットも囁かれるが、映像を含めた報道によって虐殺行為などの実態が伝わらないと、世界の世論は今一つ盛り上がらない。ベルリン政府なども修復したばかりの対中関係から、慎重な態度と共に本来のオリンピック開催までの山場を見極めているような感じがある。

つまり、ボイコットは世論が盛り上がれば、最後の最後まで待って、無駄な費用が掛からない内に決定すれば良い。先ずは、北京政府の対応を注意深く観測するのだろうか。突発的な衝突による死傷者や見せしめ的な弾圧はあっても、組織的な大量虐殺の危険性は少ないのかもしれない。

現時点では、根本的な解決を促す形で、北京とダライ・ラマ亡命政権との対話を求めて行くのが正しいだろう。その過程にて、陰謀や虐殺に繋がる実態が国際社会に知れるようになれば新たな解決方法が生じてくる可能性がある。

ボイコット問題に関する「オリンピックのボイコットは正しいか?」と問うフランクフルターアルゲマイネ紙のネット投票があったので、一票を投じた。上から、

「ボイコットは、スポーツ家を犠牲にするだけだ」、
「中国は世界の若者の祭典を催すべきではない」、
「過去のボイコットは、何ら効果がなかった」、
「中国を制裁出来るのはこの方法だけだ」、
「スポーツと対話は、隔離以上に役立つ」、
「スポーツも政治的な責任がある」とある。

迷ったのは六番目と二番目だが、二番目に投じた。

1936年のナチのベルリンオリンピック、1980年のソヴィエトによるアフガニスタン侵攻、そして中共によるチベット虐殺となるのか、どうかは判らない。ただ1980年を思い起こせば、まだ当時はアマチュアリズムが一部には信じられていて、上の選択肢でも一番上に投票した人は今よりも多くいたように思う。そして六番目の選択肢の代わりに「スポーツと政治を切り離すべきだ」とする「信仰」があったに違いない。

これに近い発言は、リーフェンシュタールの「純粋な肉体の祭典」を演出したナチス政権のように、オリンピックを政治プロパガンダに利用する北京筋が逆説的にこの「言葉の組み合わせ」を用いて、またオリンピック協会などの事業主である「胴元」が、メディア産業やスポンサー企業を代弁して、今でもこれを主張している。両者が詭弁するこの理屈は非常に似通っていて面白い。

また、冷戦下でのアフガニスタン侵攻には、その事情を察する余地もあったように思い、鉄のカーテンの向こう側との交流を望み、五番目の選択肢も支持を受けていたように思う。

しかし、ナチ政権に対する三番目に含意される効果が無かった様に、何よりもこれ以上の犠牲者を出さないように圧力をかけつつ、それを武器化するならば上手に使わなければいけない。少なくとも北京は、あらゆる分割問題には一党独裁体制をかけて強い覚悟で臨んでくることは必至であり、死を掲げた武力的抑圧には躊躇しない。

四番目の制裁方法は事情によっては幾多あるのでこの場合はあたらないだろう。六番目の選択肢で、「商業的な責任」以上に「政治的な責任」があると期待するのは、そもそもお門違いの信仰ではなかろうか?



参照:
Ist ein Boykott der Olympischen Spiele richtig? 
96%が北京五輪ボイコット支持 伊紙調査 (IZA)
好んで求められる選択 [ 文化一般 ] / 2007-11-20
保守的な社会民主主義 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-13
国益と理想の内政干渉 [ 歴史・時事 ] / 2007-09-26
風が吹けば、気が付く [ 生活 ] / 2007-03-05
コメント (2)
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