Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

大脳辺縁系に伝わる記憶

2009-01-06 | 文化一般
音楽好きの少年で一度もその感情的な高揚の原因について考えた事のない者はなかろう。関心は人それぞれだろうが、そのメカニズムや脳の働きなどに思いを巡らしてその研究生活へと「人生を誤まる人」も多かろう。

新聞に女性ジャーナリストらしくユリア・スピノラが「教会の鐘はなぜ甘く響かない」と題して、音楽の心理的な面の心理学や脳科学での回答を扱っている。特に心理学的な面では、音楽心理学として治療行為をする分野もあり今更とも思い、脳科学的な面も生物学的な見地から見ればなにも特に驚く必要もない事ばかりである。

マリリン・モンロー扮するブロンドの隣人を誘惑するために選んだ曲がラフマニノフのピアノ協奏曲二番で、その冒頭のスラヴ的メランコリーに至極自然に当惑する女性が語られる。幾ら、恥ずかしげも無く情感丸出しの音楽とは言え、なるほど「誰もそこで歌ってはいないから」クラシック音楽に違いない。それは、なにも高度に発達した西洋芸術音楽におけるそうした話題ではなく、ワイルダーの喜劇でモンローが反応した美学的にみた認知の問題である。

そこにおいて大脳辺縁系に血液が集まるのは性的な興奮と同じであるとか、実際にラフマニノフのあの部分が効果があるとかとする話と、寧ろ音楽的な教養とか個人的な差異が、音響の質よりもその効果を左右して、音響がセマンティックな意味を持って脳に働きかけるとなれば、その効果は文字による影響と変わらなくなる。もしくは映像表現やはたまたありとあらゆる五感に訴えるマルチメディア表現となにひとつ変わらない、反面音楽は情緒に訴える力が他のものより顕著である事もなんら新たな概念ではない。

その一つに音響によるモルヒネ効果が挙げられるが、例えば大音響による心臓が飛び出しそうな効果や、または性的なオルガズムスと同等な効果、さらにトランスによる新たな次元で受け入れられるハリウッドの宇宙もの映画に表れる宗教的なもしくはミヒャエル・エンデの「モモ」にも描かれるような効果、さらに今度は逆に沈思黙考して外界から離れ立つ感覚へ至る効果など、様々な音響独特な効果も挙がる。

しかし、最終的にはそうした鳥肌もしくは背中に冷水効果を、音響の効果としてのみ峻別するのは容易ではない。さらに同じ影響を与えて、受ける効果は各人各様なのはなぜなのか?もしくは、当然事ながら考えていかなければいけない複雑な芸術における創作に価する創造の独自性とはなになのかとの考えに至る。

やはりここで挙げておかなければいけないのは、そのような情報のインプットとアウトプットの相違として、個性であり同時にそのブラックボックス状の生物で行なわれる代謝作用に他ならない。

その代謝の集積によって形成されて行くものが文化であり、同質性を持ち得る民族性であったり、お互いに影響される文化の循環とする事が出来るだろうか。その時間的な流れが歴史であり人類の記憶に他ならない。



参照:
Warum klingen die Glocken nie süßer?, von Julia Spinola, FAZ vom 20.12.08
感受性に依存する認知 [ 文化一般 ] / 2009-01-03
人道的公正への感受性 [ マスメディア批評 ] / 2009-01-02
日の出のときだろうか [ 雑感 ] / 2009-01-01
明けぬ思惟のエロス [ 文学・思想 ] / 2007-01-01
記憶にも存在しない未知 [ 文化一般 ] / 2007-05-27
嬉しいこと (南無玄之介の日記)
コメント (6)
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