Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

グァルネリ・デルジェスの音

2018-08-20 | 
土曜日は結局「ポッペア」生放送を途中で切り上げて、3satの「西東詩集」管弦楽団演奏会を観てしまった。「ポッペア」の方の音楽は順調に進んでいて問題になっていた件のバイエルン放送協会の放送障害も無かったのだが、モーツァルトザールの収録がいま一つ冴えなかった。そして映像で観なければいけない気持ちになった。それ以上に「西東詩集」の方の呟きの反響をじわじわと感じていたので、そちらへと移ったのだ。そして、ヴァイオリンのリサ・バテュアシュヴィリの演奏に興奮してしまった。その演奏に熱が入って行くにつれて、途中からどんどんと私の呟きがリツィートされて行く、最終的にはフォローワー数を超えていた。

この女流は、アルフレード・ブレンデルの一押し演奏家という触れ込みだったが、2016年のバーデンバーデンでのドヴォルジャークの演奏ではそれほどの確信は持てなかった。後ほど調べてみると恐らく楽器もグァルネリのデルジェスで同じだと思うが、ラトル指揮の伴奏では十分に弾き切れていなかったようだ。
Dvořák: Violin Concerto / Batiashvili · Rattle · Berliner Philharmoniker

Dvořák: Violin Concerto / Batiashvili · Nézet-Séguin · Berliner Philharmoniker


今回のチャイコフスキーの演奏はこの曲への認識を新たにしてくれるほどの名演奏だった。そのヴァイオンリンの技巧と響きの細やかなコントロールを聴けば、ガダニーニのクレメルもストラデヴァリウスのムターも要らない。若干想像させたのはオイストラフだが、分らない。本人はミュンヘンでツュマチェンコに14歳からついているので、流派としてはどうなのか。正直これだけのヴァイオリンの音を聴いたのは久しぶりで、恐らく女流では今一番本格的ではないかと思う ― 少なくともムターよりも若く彼女の柔軟性が嬉しい。
Lisa Batiashvili & Daniel Barenboim - Tchaikovsky/Sibelius - Violin Concertos (Trailer)

Salzburger Festspiele 2018 - Orquesta West-Eastern Divan y Daniel Barenboim (17.08.2018)


一楽章でもしっかりと管弦楽に耳を傾けていて、バレンボイムの独自のリズムの下でのイスラエル・パレスティナの彼女彼らの音楽への共感のような音色をヴァイオリンで綴っていくのだ。ジャズで言うところの即興のようにそこに流れ込んでいく音楽性と技術の確かさは、恐らくムターを始めとするヴェテラン女流には求められない柔軟性で、こうした大曲でそれをやってのける室内楽奏者的な技量に驚いた。それこそがツュマチェンコ教授の下でティーンエイジャーとして身に着けたものではないかと思う。同じミュンヘンのユリア・フィッシャーとの比較は今は敢えてしないが、ブレンデルが認めたその才能を漸く見極められたことが先ずは嬉しい。私が会場に居たならば皆以上に一楽章から大拍手を送っていたのは間違いない。それほどに素晴らしい。

どのような世界でも変わらないが、柔軟に対応可能というのは、最たる技能であり、経験のなせる業でもある。それを支える天分でしかないと思う。こうした芸術の世界ではそれが舞台の上で芸として示され、その芸をなんだかんだと楽しめることほどの愉楽は他に一寸無いのではなかろうか。クラシック音楽の場合は、ジャズにおけるほど即興的な面白さは無い訳だが、協奏曲の場合はどこまで行っても指揮者とソリストの間の齟齬はあるので、まさしくその呼吸が楽しめる。

今回の指揮者バレンボイムの場合はピアニスト出身としての経歴から、室内楽奏者としてまでは行かなくても少なくとも日常の音楽劇場や協奏曲などの合わせものの方法を完成させている ― バテュアシュヴィリはバレンボイムの音楽が呼吸をしているといった。この協奏曲を聴いていて、その独自のリズム感とそこの関係が良く分かった。管弦楽団の演奏者の方も、特になにもマイスターのヴァイオリンの息子バレンボイムだけでなく弦楽陣は直接にヴァイオリンにも反応していて、とても良かった。

協奏曲が終わってもリツィートの波はあったが、そのほどんどのドイツ語圏の感想などを見ると、やはり素朴なこの故サイードのアイデアの活動への共感以上には、芸術的な感応にまでは至らないのが殆どかもしれない。作業中に誤って元の呟きを消してしまって不愉快な印象を与えたかもしれないが、それはやってしまったので仕方がない。飽く迄も重要なのは芸術的な共感であるというのは、政治家ではなく、自らのイスラエル国籍を恥じるバレンボイムの本心であることも詳しく彼のインタヴューを読まなくとも理解している心算だ。

日本からは3satは観れないのかもしれないが、ヴァイオリン好きには見逃せない。オンデマンドはVPNを挟めば問題なく落とせるだろう。中途半端なヴァイオリニストの演奏を聴くぐらいならばそれだけの価値があるだろう。



参照:
Daniel Barenboim und das West-Eastern Divan Orchestra (3sat)
「ヤルヴィは一つの現象」 2018-05-13 | 文化一般
絶頂の響きの経済性 2015-02-27 | 文化一般
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