Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

小さなライン大きなワイン

2018-08-13 | 雑感
森の中は清々しかった。ディスプレーが不調なので自信は無いが、摂氏10度であってもおかしくは無い。だからとても走り易かった。陽射しがあっても涼しいという事はやはりその気温だと思う。しかし街道筋に戻ってくると17度に戻っていた。

前夜のザルツブルクからの中継はおぞましかった。今年から「再びザルツブルクへ」と検討した時もこの「サロメ」の上演は気になっていたのだが、このポンコツ座付き管弦楽団には呆れた。つい先日あれほどまでの演奏をコンサートで繰り広げ、ネルソンスよりも大物のヴェリサーメスト指揮でこんなにポンコツな演奏をするなんて想像もつかなかった。いつもの誤魔化し演奏術だけでは事足りず、これならば楽譜に小節線もなにも要らないと思った。指揮者のメストもあれほどまでの演奏をクリーヴランドで披露しておきながら恥ずかしくないのかなと思った。なるほど一部の遅いテムポなどは効果を出していたが、お話しにならなかった。これならば彼が指揮するコンサートもあまり期待できない。ネルソンスとの指揮の技術の差はあったとしてもこれは無いと思うほど、この楽団とのずぶずぶの関係を感じた。

カステルッチの演出もMeTooを意識した演出のようだ。少なくとも自身も気をつけている感じで、あまりこれからの歌手にも誰にも無理はさせられないと考えたのだろうか?露出度はタンホイザーに及ばなかった。兎に角、物足りなかった。演奏と合わせてこれならばもし出掛けていたとしたらブーイングものだった。短い劇であり、休憩も無いのならもう少し集中力の高い公演にして貰いたいものだ。つくづくザルツブルクくんだりまで出かけていないでよかったと思った。

嘗てザルツブルクでのフィルハーモニカーの出番が過密過ぎて、他の楽団と分け合った時代があった。今は再びフィルハーモニカー公演が増えて、その質が変わってきているのは想像出来る。恐らくヴィーンでの上演程度までその上演の質が落ちてきているのだろう ― ベームやホルスト・シュタイン指揮の「アリアドネ」はこんな程度では無く、マゼール指揮程度にも到底及ばない。夏季休暇の間にこれだけ仕事をしているというのが尋常ではない。本年も月末のべルリナーフィルハーモニカー公演待ちという声が強いが、結局ザルツブルクはじり貧になっている印象である。

この乾いた暑い夏の葡萄についての記事が出ている。ことわざ「小さなライン、大きなワイン」がキーワードだ。水量が下がって河幅が狭くなり、ワインが立派に実るという事だ。そして、単純なワインや所謂ノイヤーヴァインなどの本格的なワインではないものの、急いで造って飲み干すものとして需要も高まり、早く摘み取ってしまえるのだ。それに対してリースリングなどは、出来るだけ葡萄を置いておいて一番良いのは十月に入ってから乾いた日が続いて朝晩が冷えるときに摘み取れるものが経験上最も素晴らしいリースリングとなる。

しかし今回は7月30日に糖比重が25度となり記録となった。あの暑い2003年を三日早く記録して、2011年の記録を打ち破ったようだ。つまり、そこから葡萄が熟していくと酸が分解して熟成へと近づく。リースリングは遅いとしても月末には熟成領域に至るであろう。問題はたとえ朝晩の冷えるといっても10月程度まで冷えるかどうかである。それほど冷えないと難しいだろう。もはや2003年は忘れられ、その次に来る2007年、2011年もあまり価値が無くなっていると書かれている。私個人的にはその双方の瓶熟成の可能性を特に前者を期待している。

そして皆が期待するような赤ワインは、来年の試飲で失望するのではないかとしている。つまりシュペートブルグンダーはあまりにも力強くなって、繊細さが無くなるというものだ。これも造り方によるのではないかと思う。



参照:
知らなかったなどとは 2018-08-08 | マスメディア批評
冷や汗を掻いて避暑 2018-08-07 | 生活
コメント
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