朝一番で一汗掻こうと思っていた。体調が優れないので断念した。用意をして出かけて走らないことは珍しいが、右の胸に圧迫感があったので止めた。左ではなく、それほどのことではないと思ったが、木曜日にも走っており、日曜日にも走るので無理をしなかった。そもそも早朝走るのは不健康であり、それだけで循環器系への負担は大きく、寝方が悪かったにしても圧迫感があるところで走るほどのバカではない。なるほど走れば一汗掻いて暑い日を容易に乗り越えられるが週末の一日ぐらいどうでもよい。
ラディオでは河川の船輸送が特別料金になると話していた。理由は晴天続きの夏で大きな河川も水位が下がっていて、ラインでも二メートルを切っているとあった。つまり普段は満載にするのを三分の一の貨物量にして、喫水値を下げなければ航行不能となるからだ。すると一度に運べる貨物が三回に別れて、当然のことながら交通量も増えて危険性も増し、コストも嵩む。だから予め特別料金が設定されているらしい。
夕方閉店前の八百屋からの帰り道、車の外気温計が37.5度を指していた。その数字は見たことがある印象だが、摂氏38度を見ることはあるだろうか?暑い時間帯に車を動かさない限り無理かもしれない。兎に角、乾燥しているのが特徴で、なるほど暑いのだが、帰って来ても汗を掻いていなかった。シャワーを浴びる予定にしていたが、結局しぶしぶと浴びただけで、暑い2003年や2015年の夏のように水風呂に入るのは寒くて無理だ。これで木曜日まで耐えて床屋に行って、その次の週は最低気温が15度以下になるので一挙に秋支度となる。葡萄が日焼けしない限る凄いリースリングが出来ると思う。
ネットに昨年バイエルンの国立歌劇場東京公演に同行したフライ記者がノイエズルヒャーに書いた記事があった。興味深いのは、私が扱っているようにキリル・ペトレンコとヤニック・ネゼセガンを比べていることだ。勿論カーネギーホールでの書き込みにあったように、到底比較の対象でないとのことで、ネザセガンを一緒に出すなという声はあがろう。しかし現在活躍中の指揮者を見渡すと、そもそも取り上げる必要のあるのはネゼセガンぐらいしかいないのだ。この記者が私の呟きからヒントを得たかどうかは分からないが、まだ完売していないワンの弾くべルリナーフィルハーモニカーとネゼセガン指揮のロッテルダム管弦楽団の販促効果としてはこれ以上のものは無いであろう。
但し残念なのは私がBLOGで扱っているように、それならばネゼセガンの音楽のどこが良くてどこが悪いかには一切言及していない。コンサートが始まる前から書いても仕方がないのだろう。両者のキャラクターの比較で、ペトレンコをファントムとしてネゼセガンを交流者としていて、前者の表現はどうかとも思うが、そこをメディア人として若干修正して欲しいとしているので、意見としては致し方が無い。ネゼセガンが逆のコースを歩んで、コンサートからオペラへと進んでいて、欧州での活動も縮小する方向で動いていて、ロッテルダムで一緒に育った楽団とのお別れを悲しんでいるとあった。
先週録音した楽劇「トリスタン」一幕をBGMに流している。高みで歌わすのは気の毒だが、こうして歌うとシュテムメの歌詞も明白で、声の質がニルソンの方が子供っぽいだけで、その芸術的な仕上がりは素晴らしい。クリーヴランドの管弦楽がとっぴおしも無い音を出して、驚かせるが、ミュンヘンでのそれを準備する時のいい音素材となりそうだ。カムペのイゾルデもヴィデオがあるので、とても助かる。しかし思い起こすのは先ず「マイスタージンガー」における引用で、そこも9月までに詳しく見ておきたい。何か双子のような作品群にも見えてきた。
それにしてもヴェルサーメストがクリーヴランドをこうも易々と小気味よいノリで振ってしまえることも驚きでしかない。ヴェルサーメストが適当な楽団で素晴らしい仕上げをしてくることは知っているが、ペトレンコやネゼセガンが汗を掻いてとても苦労してリズムを刻ませているところを軽々とこの楽団は為している。上の記事にもあるように双方とも「室内楽的」にが共通しているとなるが、そもそも現在の大オーケストラで室内楽的に鳴らずに、厳格に音楽の合っていない粥のようなそれは美学的に認められない ― 何か日本の呟きを読むとどうも彼の国では鳴らし方が違うようだ。その点からも「細いピンセル」の楽団を手中にしたヴェルサーメストの幸運の程が知れる。
参照:
記録的な高気温になる予感 2015-08-08 | アウトドーア・環境
彼方の高みは? 2006-07-21 | アウトドーア・環境
ラディオでは河川の船輸送が特別料金になると話していた。理由は晴天続きの夏で大きな河川も水位が下がっていて、ラインでも二メートルを切っているとあった。つまり普段は満載にするのを三分の一の貨物量にして、喫水値を下げなければ航行不能となるからだ。すると一度に運べる貨物が三回に別れて、当然のことながら交通量も増えて危険性も増し、コストも嵩む。だから予め特別料金が設定されているらしい。
夕方閉店前の八百屋からの帰り道、車の外気温計が37.5度を指していた。その数字は見たことがある印象だが、摂氏38度を見ることはあるだろうか?暑い時間帯に車を動かさない限り無理かもしれない。兎に角、乾燥しているのが特徴で、なるほど暑いのだが、帰って来ても汗を掻いていなかった。シャワーを浴びる予定にしていたが、結局しぶしぶと浴びただけで、暑い2003年や2015年の夏のように水風呂に入るのは寒くて無理だ。これで木曜日まで耐えて床屋に行って、その次の週は最低気温が15度以下になるので一挙に秋支度となる。葡萄が日焼けしない限る凄いリースリングが出来ると思う。
ネットに昨年バイエルンの国立歌劇場東京公演に同行したフライ記者がノイエズルヒャーに書いた記事があった。興味深いのは、私が扱っているようにキリル・ペトレンコとヤニック・ネゼセガンを比べていることだ。勿論カーネギーホールでの書き込みにあったように、到底比較の対象でないとのことで、ネザセガンを一緒に出すなという声はあがろう。しかし現在活躍中の指揮者を見渡すと、そもそも取り上げる必要のあるのはネゼセガンぐらいしかいないのだ。この記者が私の呟きからヒントを得たかどうかは分からないが、まだ完売していないワンの弾くべルリナーフィルハーモニカーとネゼセガン指揮のロッテルダム管弦楽団の販促効果としてはこれ以上のものは無いであろう。
但し残念なのは私がBLOGで扱っているように、それならばネゼセガンの音楽のどこが良くてどこが悪いかには一切言及していない。コンサートが始まる前から書いても仕方がないのだろう。両者のキャラクターの比較で、ペトレンコをファントムとしてネゼセガンを交流者としていて、前者の表現はどうかとも思うが、そこをメディア人として若干修正して欲しいとしているので、意見としては致し方が無い。ネゼセガンが逆のコースを歩んで、コンサートからオペラへと進んでいて、欧州での活動も縮小する方向で動いていて、ロッテルダムで一緒に育った楽団とのお別れを悲しんでいるとあった。
先週録音した楽劇「トリスタン」一幕をBGMに流している。高みで歌わすのは気の毒だが、こうして歌うとシュテムメの歌詞も明白で、声の質がニルソンの方が子供っぽいだけで、その芸術的な仕上がりは素晴らしい。クリーヴランドの管弦楽がとっぴおしも無い音を出して、驚かせるが、ミュンヘンでのそれを準備する時のいい音素材となりそうだ。カムペのイゾルデもヴィデオがあるので、とても助かる。しかし思い起こすのは先ず「マイスタージンガー」における引用で、そこも9月までに詳しく見ておきたい。何か双子のような作品群にも見えてきた。
それにしてもヴェルサーメストがクリーヴランドをこうも易々と小気味よいノリで振ってしまえることも驚きでしかない。ヴェルサーメストが適当な楽団で素晴らしい仕上げをしてくることは知っているが、ペトレンコやネゼセガンが汗を掻いてとても苦労してリズムを刻ませているところを軽々とこの楽団は為している。上の記事にもあるように双方とも「室内楽的」にが共通しているとなるが、そもそも現在の大オーケストラで室内楽的に鳴らずに、厳格に音楽の合っていない粥のようなそれは美学的に認められない ― 何か日本の呟きを読むとどうも彼の国では鳴らし方が違うようだ。その点からも「細いピンセル」の楽団を手中にしたヴェルサーメストの幸運の程が知れる。
参照:
記録的な高気温になる予感 2015-08-08 | アウトドーア・環境
彼方の高みは? 2006-07-21 | アウトドーア・環境