PCが重い。そろそろ買い替えが近づいてきたかなと思う。先ずは清掃などをして誤魔化そう。勘違いしていたようだが、日曜日の夜にザルツブルクの初日があったようだ。ベルリンの新聞も金曜日の批判に対して土曜日の演奏のその自由闊達さを絶賛している。金、土曜日の批評が出そろう前に、ORFが短く報告をしている。気に入ったのは、「指揮者と管弦楽が喜びに満ちているのが感じられた。その熱狂が聴衆に伝わり、ベートーヴェンの第七へと高まって、スタンディングオヴェーションとなった。」という節である。端的なながらも金曜日、土曜日と追ってきた者にはその光景まで目に浮かぶものではなかろうか。そしてしり上がりに完成度は高まっているのだろう。その為か熱心な書き手はロンドンまで帯同しているのだと思う。
そこで来年からのことを空想する。恐らく、開幕はマーラーの第八、もう一つのプロはチャイコフスキーの五番の前にシェーンベルクかベートーヴェンだろうか?それを持って来年はブカレストまでツアーが続く。有り得るのは同じプログラムでの日本旅行だ。訪日情報は日本で何時頃出るのだろう?。
週末にはミュンヘンのバッハラー支配人の去就がオーストリア筋から出て、2021年以降のザルツブルク復活祭支配人として候補に挙がっていると伝えられた。音楽監督ティーレマンが早速拒絶していて、州当局から聴取もあるよう。半公営化しない限りあり得ないが、なにも今更ティーレマンを追い出す価値など微塵も無い。2015年の非人道的な行ないへの懲罰と、ただの嫌がらせにしか思えないぐらいだ。大きな構造として、キリル・ペトレンコのドイツ・オーストリア間での引っ張り合いとなるが、ベルリンの管弦楽団もやはり連邦政府内の経済活動に貢献すべきで、バーデンバーデンの芸術的なコンセプトが新支配人の下でしっかり定まれば全くそこに欠けるものは無い。モーツァルトの代わりはブラームスとブーレーズの2Bで務めて貰おう。
2021年のオペルンフェストでペトレンコ指揮はミュンヘンで最後となるが、既に2020年8月末には音楽監督を辞めているとすれば、2020年新制作が最後となる。ユロウスキーが新任するのは2021年9月1日で同時にドロニー体制になってからである。そこから常識的に考えてペトレンコは2020年夏以降には新制作の時間が無く、以降は再演で客演となる。先にもヴィデオで言及のあった「ディゾルダーテン」や「影の無い女」以外では再演の可能性はなにか?ペトレンコ監督の最後の新制作を2020年夏前の「トリスタン」と仮定すると、2020年復活祭の出し物は?ズバリ大胆予想「フィデリオ」新制作、カウフマンとカムペ、スケデュール空けてます?先ずは楽団も小編成からきっちり行きましょう。
泣きべそ状態になって来た。べ―ト―ヴェンもまだ今一つ調べないといけない。フランツ・シュミットは大体呑み込めたが、車の中でも耳からも復習が必要である。ラぺリの二曲は簡単に見直しておこう。シュトラウス二曲も二回聴いたので復習でよいか。プロコフィエフにご無沙汰していたのでもう一度確認しておかないといけない。その読譜についてペトレンコが最新のヴィデオで答えている。
「残念ながら視覚的暗譜能力が無いので、何回も何回も捲り返すことになります」 ― それもその前後の話しからすると、自筆譜とかも含めて同じ作品をピアノ伴奏から管弦楽まで繰り返しているので、私の受け身とは違うとしても全く同じではないか。そして、スヴァロフスキーシステムの拍節ごとのアナリーゼをみっちりやると一頁一時間も掛かるという ― なるほどこれでは打ち上げなどしている時間は無いわ。
そうすることで初めて、「大きな部屋の整理棚のどこの引き出しに何が入っているか、座っていながら手を伸ばせば届くようにしておかないと、引き出しを探さないといけないストレスに病む」と語る。音楽劇場の事故防止には楽譜が助けになるとして、もしなければより自由になるとしても、そこまで作品が血と肉になれば、本当にムジーツィーレンするのに必ずしも暗譜が必要とは思わないと答えている。まあ、突っ込んで推測すると、細かなところも完璧に演奏できる筈がないから、間違いを視覚的に固定して次の練習に生かしたいというのが本音だと私はいつも思っている。要するに勧進帳なのだ。これぐらいの才人になるとなにをやってもこちらは感心するだけだ。少なくとも暗譜で楽団を黙らす記憶力自慢などは毛頭必要のない人なのである。そしてあの程度の指揮技術になると楽譜が邪魔にならないのだろう。この人に掛かると歴史上の大指揮者が簡単に吹っ飛んでしまう。
"OFFEN GESPROCHEN" – Nikolaus Bachler und Kirill Petrenko über die Spielzeit 2018/19 cf.18m15s‐23m15s
参照:
職人魂に火をつける人 2018-08-27 | 文化一般
「あのようになりたい」 2018-08-26 | 音
そこで来年からのことを空想する。恐らく、開幕はマーラーの第八、もう一つのプロはチャイコフスキーの五番の前にシェーンベルクかベートーヴェンだろうか?それを持って来年はブカレストまでツアーが続く。有り得るのは同じプログラムでの日本旅行だ。訪日情報は日本で何時頃出るのだろう?。
週末にはミュンヘンのバッハラー支配人の去就がオーストリア筋から出て、2021年以降のザルツブルク復活祭支配人として候補に挙がっていると伝えられた。音楽監督ティーレマンが早速拒絶していて、州当局から聴取もあるよう。半公営化しない限りあり得ないが、なにも今更ティーレマンを追い出す価値など微塵も無い。2015年の非人道的な行ないへの懲罰と、ただの嫌がらせにしか思えないぐらいだ。大きな構造として、キリル・ペトレンコのドイツ・オーストリア間での引っ張り合いとなるが、ベルリンの管弦楽団もやはり連邦政府内の経済活動に貢献すべきで、バーデンバーデンの芸術的なコンセプトが新支配人の下でしっかり定まれば全くそこに欠けるものは無い。モーツァルトの代わりはブラームスとブーレーズの2Bで務めて貰おう。
2021年のオペルンフェストでペトレンコ指揮はミュンヘンで最後となるが、既に2020年8月末には音楽監督を辞めているとすれば、2020年新制作が最後となる。ユロウスキーが新任するのは2021年9月1日で同時にドロニー体制になってからである。そこから常識的に考えてペトレンコは2020年夏以降には新制作の時間が無く、以降は再演で客演となる。先にもヴィデオで言及のあった「ディゾルダーテン」や「影の無い女」以外では再演の可能性はなにか?ペトレンコ監督の最後の新制作を2020年夏前の「トリスタン」と仮定すると、2020年復活祭の出し物は?ズバリ大胆予想「フィデリオ」新制作、カウフマンとカムペ、スケデュール空けてます?先ずは楽団も小編成からきっちり行きましょう。
泣きべそ状態になって来た。べ―ト―ヴェンもまだ今一つ調べないといけない。フランツ・シュミットは大体呑み込めたが、車の中でも耳からも復習が必要である。ラぺリの二曲は簡単に見直しておこう。シュトラウス二曲も二回聴いたので復習でよいか。プロコフィエフにご無沙汰していたのでもう一度確認しておかないといけない。その読譜についてペトレンコが最新のヴィデオで答えている。
「残念ながら視覚的暗譜能力が無いので、何回も何回も捲り返すことになります」 ― それもその前後の話しからすると、自筆譜とかも含めて同じ作品をピアノ伴奏から管弦楽まで繰り返しているので、私の受け身とは違うとしても全く同じではないか。そして、スヴァロフスキーシステムの拍節ごとのアナリーゼをみっちりやると一頁一時間も掛かるという ― なるほどこれでは打ち上げなどしている時間は無いわ。
そうすることで初めて、「大きな部屋の整理棚のどこの引き出しに何が入っているか、座っていながら手を伸ばせば届くようにしておかないと、引き出しを探さないといけないストレスに病む」と語る。音楽劇場の事故防止には楽譜が助けになるとして、もしなければより自由になるとしても、そこまで作品が血と肉になれば、本当にムジーツィーレンするのに必ずしも暗譜が必要とは思わないと答えている。まあ、突っ込んで推測すると、細かなところも完璧に演奏できる筈がないから、間違いを視覚的に固定して次の練習に生かしたいというのが本音だと私はいつも思っている。要するに勧進帳なのだ。これぐらいの才人になるとなにをやってもこちらは感心するだけだ。少なくとも暗譜で楽団を黙らす記憶力自慢などは毛頭必要のない人なのである。そしてあの程度の指揮技術になると楽譜が邪魔にならないのだろう。この人に掛かると歴史上の大指揮者が簡単に吹っ飛んでしまう。
"OFFEN GESPROCHEN" – Nikolaus Bachler und Kirill Petrenko über die Spielzeit 2018/19 cf.18m15s‐23m15s
参照:
職人魂に火をつける人 2018-08-27 | 文化一般
「あのようになりたい」 2018-08-26 | 音