Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

呪術から抜けられずに

2018-08-12 | 文化一般
歯医者の予約を取った。前回は2015年のようで軟骨を齧って歯がぐらついたのでセメンのブリッジで固めた。そこの炎症が続いていたが、歯の一部が欠けたのが四月だ。その後炎症は好転していったが、漸く歯がしっかりしてきた。この機会を逃せない。レントゲンを掛けて要らないが、これで抜くとは言い出さないだろう。少なくとも好転していることは間違いないから、クリーニングに耐えられるぐらいならば、整形的手当てをして貰えると思う。少なくともそれで暫くは問題が無い筈だ。

スター指揮者をペテン師にしてしまった。関心を持っていても、恨みは無いので、客観的な評価をしている心算だ。だから客観事実次第で直ぐに評価を変えても全く苦にならない。しかしソニーのアーティスツ選択は不愉快だ。昔ビジネスモデルを使いながらエンターティメント領域での方法をそのまま転用することは構わないが、どうも選択するプロデューサがその世界の人であるような趣だ。そもそもビジネスモデルが使い物にならないうえに、能力の無い人間がプロジェクトしているとなると悪でしかない。

同じように客観的に判断するとヴェテラン指揮者ベルナルト・ハイティンクの録音などには苦情するしかなかったが、兎に角、生でその指揮した音楽を体験しないと分からない効果もあるだろう。特に和声の移り変わりのようなところで特別な効果を発揮すると予想している。そもそもコンセルトヘボーの名物は、弦楽器間のその受け渡しなので、上手く行けばと今からぞくぞくする。だから九月が楽しみなのだ。それでもアムステルダムまで行って期待外れとなると恨み節も出ようが、ルツェルンならば他の仕事も組み合わせれる。

MeTooガッティの代役に、二つの出し物から一つを、老マエストロが受け持つことになった。期待通りだったが、もしかするとブルックナーの指揮かとも考えた、結局マーラーの最晩年の第九交響曲となった。五月にコンセルトヘボーで返礼中に倒れたことから最終日はキャンセルされたので、アムステルダムでは雪辱となるのだろう。作曲家の晩年の心臓の鼓動が表現されたような曲想に自分の体験が重なるのだろうか。

幸運にも、もともと七番交響曲が組まれたプログラムのルツェルンでの売れ行きは芳しくなく、下から二ランク目の二列目も余っていた。それで手を打とうかと思ったら金券30フラン分があったので、もう一つ上を狙ってみた。150が120フランになる。サイドバルコンで一度試してみたかったが、あまりにも舞台横だったので止めた。本当にハイティンクが振るかどうかも少し気になった。それならば七番交響曲の方が月末の「マイスタージンガー」の勉強に合わせてよかった。結局80フランを50フランで購入した。これならば捨ててもよく、どんなにハイティンクの指揮が悪くても文句をつけるだけの価値もある。

それどころか月後半にはハイティンク指揮のブルックナーの交響曲を聞くことになっている。調べてはいないが、この老マエストロもブロムシュテットと同じようにルツェルン在住だと思うので。体力気力充分の指揮を披露して貰いたい。その指揮からマーラーよりもブルックナーの方が向いていると推測したが、双方とも聞けば楽団こそ違え最終的な判断が出来よう。マーラーの演奏の前には、ラトル指揮の「グルッペン」も無料でついてくるというおまけがあるので無駄にはならない。ラトルが尊敬する指揮者の演奏会だから間違いなく会場に現れるだろう。

ハイティンクの解釈は知らないが、個人的にはクック版の十番ほどこの交響曲は生で体験していない。理由はバーンスタイン指揮の呪術から逃れられずに来たからである。十番はシャイ―指揮コンセルトヘボーをここで、またラトル指揮バーミンガムでも体験しているが、九番はそれ以外に記憶が無い。

これで、九月末までに勉強する楽曲のリストが完成する。

シュトラウス:「ドンファン」、「死と変容」
ベートーヴェン:第七交響曲イ長調

デュカ:「ラぺリ」、「ファンファーレ」
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲ハ長調
フランツ・シュミット:第四交響曲ハ長調

マーラー:交響曲九番

モーツァルト:ピアノ協奏曲K482
ブルックナー:交響曲七番

ヴァークナー:「マイスタージンガー」

十年以上前からするとこのリストのポピュラーさに驚くばかりだが、少なくとも二十年前よりは月並みでないものが体験できることになっている。涼しくなったので本腰を入れよう。

中継放送予定を一望する。先ず、ペトレンコ指揮のベートーヴェンプロは、初日フィルハーモニー、二日目シュロースは映像共々、三日目は中継録音、五日目はプロムスで、四日目は生で体験するので、追っかけをしないでも全てを聴ける。シュミットのプログラムは、ルツェルンが映像とも、そしてプロムスとなる。さてどれほどの脚光を浴びる演奏会ツアーになるだろうか。ここまで公共の支援があるので商業的なメディアと一線を隔すことが可能となっている。



参照:
「副指揮者」の語学力 2018-05-02 | 暦
既に遅しとならないように 2018-06-27 | 雑感
コメント
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