ショスタコーヴィッチ交響曲11番、次の演奏と見つけたのはコンドラシン指揮のモスクワでの演奏である。13番は、恐らくユダヤ系という事もあるのか、もはやムラヴィンスキー指揮では無く、この指揮者が初演している。少なくとも録音した時点では作曲家の直接の意向などを分かっていたと思う。そして、ここでも後の世代のヤンソンスなどと同じような曖昧さがその演奏解釈の特徴になっている。明らかに楽譜以上の何かに頼って演奏している。その何かが作曲家直々の指示なのか雰囲気なのかは分からないが、それならばなぜあんな楽譜を出版しているのだろうと疑問になる。
マーラーのパロディーの様にも響かせながらも結局は何も起こらない。対抗声部を強調したかと思うとこれも尻つぼみとなる。二楽章までしか聴いていないが、どこまで行っても何かあるように見せて何も示さない。
ここ二三年、キリル・ペトレンコのお蔭で熱心にロシア音楽にも親しむようになったが、チャイコフスキーだったり、最終的にはとても西欧指向的な土壌での接触なのでこうした不明瞭な曖昧模糊としたものが本当にショスターコーヴィッチが目した感興なのかどうか、少なくとも「マクベス夫人」や四重奏曲など他の曲での印象とも異なる。記譜の問題などではある筈がないのだが、益々分からなくなってきた。父親と作曲家との繋がりなどモスクワ流れの継承としてユロスキー指揮の演奏でその霧が晴れるのかどうか?
肉屋に立ち寄ると、ヴィールの背中肉があった。旨そうなので切って貰った。どうも購入したのは初めてだったようで価格が分からなかった。結局牛フィレと同じだと分かって、キロ49ユーロだった。薄く切って貰ったが7ユーロした。尋ねると一番いいのがステーキなのでそのようにした。ロズマリーとレモンで味を調えた。ワインはラインガウの2015年産テュルムベルクのリースリングを選んだ。熟成しだしていて丁度良かった。
フランクフルトから帰宅した。出かけるときに車のギアーが故障して焦った。なんとはなったが自分で治せるように調べておかないといけない。その遅滞で少し焦っていたが、ゆっくり走っていて再び写真を写された。今回はネズミ捕りの一時的なカメラが陸橋の下に隠してあった。前の車が時速80㎞ほどで走っていたので追い抜いたら赤く光って、直ぐに100㎞の制限速度が見えた。どんなに出していても110㎞ぐらいで、100㎞制限ならば殆ど誤差を超えたぐらいだ。前回の、ミュンヘンの帰りも似たようにゆっくり走っていた。まだ書類が来ていないからわからないが警察には恥を知れといいたい。
参照:
熱すぎないシュニツェルのうまさ 2014-12-22 | 料理
とても腰が低い歌姫 2019-11-19 | 女
マーラーのパロディーの様にも響かせながらも結局は何も起こらない。対抗声部を強調したかと思うとこれも尻つぼみとなる。二楽章までしか聴いていないが、どこまで行っても何かあるように見せて何も示さない。
ここ二三年、キリル・ペトレンコのお蔭で熱心にロシア音楽にも親しむようになったが、チャイコフスキーだったり、最終的にはとても西欧指向的な土壌での接触なのでこうした不明瞭な曖昧模糊としたものが本当にショスターコーヴィッチが目した感興なのかどうか、少なくとも「マクベス夫人」や四重奏曲など他の曲での印象とも異なる。記譜の問題などではある筈がないのだが、益々分からなくなってきた。父親と作曲家との繋がりなどモスクワ流れの継承としてユロスキー指揮の演奏でその霧が晴れるのかどうか?
肉屋に立ち寄ると、ヴィールの背中肉があった。旨そうなので切って貰った。どうも購入したのは初めてだったようで価格が分からなかった。結局牛フィレと同じだと分かって、キロ49ユーロだった。薄く切って貰ったが7ユーロした。尋ねると一番いいのがステーキなのでそのようにした。ロズマリーとレモンで味を調えた。ワインはラインガウの2015年産テュルムベルクのリースリングを選んだ。熟成しだしていて丁度良かった。
フランクフルトから帰宅した。出かけるときに車のギアーが故障して焦った。なんとはなったが自分で治せるように調べておかないといけない。その遅滞で少し焦っていたが、ゆっくり走っていて再び写真を写された。今回はネズミ捕りの一時的なカメラが陸橋の下に隠してあった。前の車が時速80㎞ほどで走っていたので追い抜いたら赤く光って、直ぐに100㎞の制限速度が見えた。どんなに出していても110㎞ぐらいで、100㎞制限ならば殆ど誤差を超えたぐらいだ。前回の、ミュンヘンの帰りも似たようにゆっくり走っていた。まだ書類が来ていないからわからないが警察には恥を知れといいたい。
参照:
熱すぎないシュニツェルのうまさ 2014-12-22 | 料理
とても腰が低い歌姫 2019-11-19 | 女