アルテオパーでショスタコーヴィッチの交響曲11番を聴いた。今迄生で経験した「レディーマクベス」や交響曲4番、8番などに比較して最も意味深かった。理由は幾つかあるのだが、何よりもショスタコーヴィッチの交響曲の存在価値を初めて確認出来たからである。それはユロスキー指揮の演奏解釈ゆえにである。
具体的には、一楽章のマーラーのパロディ風の軍隊ラッパよりも弦の動機をしっかりと正確に描くことで、三連譜の運命の動機的なものと対旋律のフルートで歌われる革命歌から低音弦での歌へと運ばれる楽想が、なぜかムラヴィンスキー指揮の演奏では殆ど無視に近いことに気がつく。今回は、ここで立体的に動機を組み合わせて描き出すことで交響曲としてのその品位が全く変わってしまった。第二楽章アレグロの歌のアーティキュレーションの付け方も明白で的確だった。その動機がしっかり定着していると、クライマックスでのサウンドトラック風音響が全く安物にならない。そこだけでもとても感心した。要するに楽譜をしっかり音化すれば、若い時から頂点にいた五十歳になった作曲家の11番目の交響曲はそんなに酷くはならないという事実だ。如何に皆が楽譜からいい加減な音を出しているか!勿論低音の動機もそこで活きてくて、交響曲としての立体感をとても与える。そこからアダージョへそしてクライマックスへと向かって、そして再びアダージョで歌の変奏となる。一面、とても交響楽的な構成を呈する一方、構造を壊して行く訳だが、それがこの政治的な雪解け時代の1958年当時の西欧的な非構造に連なる。その通り対外政治的にはハンガリー動乱の時の作曲である。
当夜のプログラムにはこの曲と西欧との繋がりが指揮者のシェルヘンを通じて革命歌の翻訳までされたとあり、また当時の状況をゾロモン・ヴォルコフの著に求めている。その内容に関しては今更触れることは無いと思うが、但し一つだけ重要な記載があった。それはショスタコーヴィッチの言葉でなくても誰の言葉であってもその意味合いは変わらない。つまり、若くして認められた天才的な作曲家にとっては交響曲を書くことが仕事であり、唯一の命綱という事であって、なぜ十五曲も交響曲を書いたかの答えは明白だ。そしてその枠組みの中で一体何をしたか?先ずは交響楽的な作曲であり、同時に後世の人がみてもその作曲意思を理解できる作風という意思だろう。
そして最も旋律がなじみ深いアダージョへと、ショスタコーヴィッチピチカートというか馴染みのそれが導入する。要するに旋律から歯が抜けたような表現で、そこがユロスキーの演奏解釈で取り分け素晴らしかった。クールにやや即物的に歌い切るアダージョ旋律へとの恐らく核心的な箇所であった。一番それに近い作曲は、丁度ハンガリーのスターリニズム化でスイスへと逃げたサンドール・ヴェレシュの曲を挙げておけばよいかと思う。そして最後のヴィオラ陣の力のある見事な歌 ― ヴィオラ陣のみが立って喝采を受けた。
そしてトンデモ主題の最終楽章で崩壊、そしてアダージョ回帰してからのクライマックスでの鐘の響き ― 丁度舞台下手奥のその鐘の上に耳があったので特に印象に残ったが、正しくそれは大きな落ちだった。ユロスキーは、ヴィーンやドルトムントでの様にヤンソンス逝去の事どころか一言も舞台で演説しなかった。香港にも言及したというが、それは差し当たってハンガリー動乱へと遡るだろう。しかしショスタコーヴィッチの音楽はどこまで行っても純音楽的に形を整えて、そしてほぼポストモダーン風にぶっ潰すという交響曲である。なぜそのような作風になったかはその状況から余りにも納得しやすい。ヴォルコフ著「ショスタコーヴィッチの証言」で述べられていることは、交響曲をプログラム音楽として理解しようとしない限り、その伝聞は全く音楽の理解の邪魔をしない。それどころか周辺状況の重要な資料となっているかもしれない。要するに、「交響曲をぶっ潰す」を理解するかどうかでその創作への評価が変わるだろう。それならばあの中間世代の指揮者陣が曖昧な表現をした背景はどこにあるのか?
初めてのユロスキーの指揮であるが、決して一流ではないロンドンのフィルハーモニーを上手に指揮していた。否、長い関係の中でそれ以上に技術的な精査も求めずにチームワークをモットーとして音楽表現をしてきたのだろう。楽員も老朽化していて、後継者が若返りを図るのだろう。
一曲目のイタリア人女流ピアニストのラナは放送では聴いていたが、到底ルツェルンで聴いたユジャ・ワンとは比較にならない。技術的にはどこまでキャリアを伸ばせるか微妙なところでもある。そもそも管弦楽団も練習出来ていなかった様でベルリナーフィルハーモニカーを出すまでも無く二流の演奏だった。
ユロスキーの指揮も、キリル・ペトレンコとは比較にならないが、身体をねじったりして上手くテムピの変化を作って決して悪くはなかった。そして何よりも音楽表現が明晰で、なるほど拍手喝采の最後には総譜を持ち挙げるぐらいに楽曲をよく勉強して、表現する実力は間違いない。その口ほどには実践していることが確認できた。ミュンヘンの監督として大きな飛躍が期待される。間違いなくもう一つ上の管弦楽団を振るようになるだろう。将来はシカゴぐらいでも振って欲しいと思った。
参照:
ヴィール背中肉ステーキ 2019-12-16 | 料理
パロディーで落とさない 2019-12-14 | 雑感
具体的には、一楽章のマーラーのパロディ風の軍隊ラッパよりも弦の動機をしっかりと正確に描くことで、三連譜の運命の動機的なものと対旋律のフルートで歌われる革命歌から低音弦での歌へと運ばれる楽想が、なぜかムラヴィンスキー指揮の演奏では殆ど無視に近いことに気がつく。今回は、ここで立体的に動機を組み合わせて描き出すことで交響曲としてのその品位が全く変わってしまった。第二楽章アレグロの歌のアーティキュレーションの付け方も明白で的確だった。その動機がしっかり定着していると、クライマックスでのサウンドトラック風音響が全く安物にならない。そこだけでもとても感心した。要するに楽譜をしっかり音化すれば、若い時から頂点にいた五十歳になった作曲家の11番目の交響曲はそんなに酷くはならないという事実だ。如何に皆が楽譜からいい加減な音を出しているか!勿論低音の動機もそこで活きてくて、交響曲としての立体感をとても与える。そこからアダージョへそしてクライマックスへと向かって、そして再びアダージョで歌の変奏となる。一面、とても交響楽的な構成を呈する一方、構造を壊して行く訳だが、それがこの政治的な雪解け時代の1958年当時の西欧的な非構造に連なる。その通り対外政治的にはハンガリー動乱の時の作曲である。
当夜のプログラムにはこの曲と西欧との繋がりが指揮者のシェルヘンを通じて革命歌の翻訳までされたとあり、また当時の状況をゾロモン・ヴォルコフの著に求めている。その内容に関しては今更触れることは無いと思うが、但し一つだけ重要な記載があった。それはショスタコーヴィッチの言葉でなくても誰の言葉であってもその意味合いは変わらない。つまり、若くして認められた天才的な作曲家にとっては交響曲を書くことが仕事であり、唯一の命綱という事であって、なぜ十五曲も交響曲を書いたかの答えは明白だ。そしてその枠組みの中で一体何をしたか?先ずは交響楽的な作曲であり、同時に後世の人がみてもその作曲意思を理解できる作風という意思だろう。
そして最も旋律がなじみ深いアダージョへと、ショスタコーヴィッチピチカートというか馴染みのそれが導入する。要するに旋律から歯が抜けたような表現で、そこがユロスキーの演奏解釈で取り分け素晴らしかった。クールにやや即物的に歌い切るアダージョ旋律へとの恐らく核心的な箇所であった。一番それに近い作曲は、丁度ハンガリーのスターリニズム化でスイスへと逃げたサンドール・ヴェレシュの曲を挙げておけばよいかと思う。そして最後のヴィオラ陣の力のある見事な歌 ― ヴィオラ陣のみが立って喝采を受けた。
そしてトンデモ主題の最終楽章で崩壊、そしてアダージョ回帰してからのクライマックスでの鐘の響き ― 丁度舞台下手奥のその鐘の上に耳があったので特に印象に残ったが、正しくそれは大きな落ちだった。ユロスキーは、ヴィーンやドルトムントでの様にヤンソンス逝去の事どころか一言も舞台で演説しなかった。香港にも言及したというが、それは差し当たってハンガリー動乱へと遡るだろう。しかしショスタコーヴィッチの音楽はどこまで行っても純音楽的に形を整えて、そしてほぼポストモダーン風にぶっ潰すという交響曲である。なぜそのような作風になったかはその状況から余りにも納得しやすい。ヴォルコフ著「ショスタコーヴィッチの証言」で述べられていることは、交響曲をプログラム音楽として理解しようとしない限り、その伝聞は全く音楽の理解の邪魔をしない。それどころか周辺状況の重要な資料となっているかもしれない。要するに、「交響曲をぶっ潰す」を理解するかどうかでその創作への評価が変わるだろう。それならばあの中間世代の指揮者陣が曖昧な表現をした背景はどこにあるのか?
初めてのユロスキーの指揮であるが、決して一流ではないロンドンのフィルハーモニーを上手に指揮していた。否、長い関係の中でそれ以上に技術的な精査も求めずにチームワークをモットーとして音楽表現をしてきたのだろう。楽員も老朽化していて、後継者が若返りを図るのだろう。
一曲目のイタリア人女流ピアニストのラナは放送では聴いていたが、到底ルツェルンで聴いたユジャ・ワンとは比較にならない。技術的にはどこまでキャリアを伸ばせるか微妙なところでもある。そもそも管弦楽団も練習出来ていなかった様でベルリナーフィルハーモニカーを出すまでも無く二流の演奏だった。
ユロスキーの指揮も、キリル・ペトレンコとは比較にならないが、身体をねじったりして上手くテムピの変化を作って決して悪くはなかった。そして何よりも音楽表現が明晰で、なるほど拍手喝采の最後には総譜を持ち挙げるぐらいに楽曲をよく勉強して、表現する実力は間違いない。その口ほどには実践していることが確認できた。ミュンヘンの監督として大きな飛躍が期待される。間違いなくもう一つ上の管弦楽団を振るようになるだろう。将来はシカゴぐらいでも振って欲しいと思った。
参照:
ヴィール背中肉ステーキ 2019-12-16 | 料理
パロディーで落とさない 2019-12-14 | 雑感