Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

祝日明けの身体の重み

2019-12-28 | 生活
雨雲の間隙を縫って、軽く走った。身体も重く二日ほどで太った感じがした。毒抜きは大切だ。なによりも二三日停めておいた車が問題なく動いたのが良かった。変速機の問題はその後起こっていないが注意しているからである。停車するときの作動や音などに注意している。予想通り、立ち寄った洗濯屋は元旦まで休みに入っていた。二日に出せれば、通常ならば一週間、シカゴ交響楽団演奏会までには間に合うだろう。

車中のラディオは、祝日中に亡くなったドレスデンの歌手シュライヤーについての追悼番組をやっていた。興味深い話しは最初の録音の十字架合唱団の時にはヴォイストレーニングすら受けたことが無かったとのことである。本人の話し声で気が付いたのはその母音の明晰さとドレスデン訛りを感じさせないあまりにも明瞭な発音だ。またシューマン歌曲の歌唱に言及される。

フランクフルターアルゲマイネの追悼記事にはその点も触れられていて、sの発声やその強弱を土台としたシャープな発声に熱帯びたヴィヴラートで、そもそもヴンダーリッヒとは比較にならなかった声を補っていたとある。だから西側に出るようになって60年代中盤には慎重にタミーノ役などは避けられていたとある。知らなかったのだが、そもそもはそのカール・リヒター指揮でのエヴァンギリストが西側デビューだとある。確かに録音はそちらの方が多かった。

しかし個人的にはベルリンなどの宮廷歌手称号での引っ越し公演でのモーツァルトがその印象であって、少なくとも録音よりも生での方に印象が強かった。特に圧倒的に印象となったのはカール・ベーム博士の誕生日記念のザルツブルクでのフェランドの歌唱であって、まさに上に指摘のあるように力みかけてベーム翁に抑えられていたと柴田が書いていた通りだ。あれが売りだったのだ。

そしてそもそもドレスデンからベルリンへのキャリアアップの所でそれほどすんなり行かずに、ベルリンでの壁が出来て競争相手が居なくなったところで初めて頭角を現したと書いてある。なるほど、その声がそもそも金ではなく、銀の燻銀の光であってというのも、その後も英米ではパヴァロッティなどの様にはあまり評価されなかった原因とされている。

そこで評価すれば、なるほどヴンダーリッヒのようなセクシーさは皆無であり、幾らか甲高い声を童貞小僧の様に歌う様は飽きが来たことは事実だが、音程も定まりとても清潔感があったことも事実で、それが逆にそこから深みに至らないとされる批判点でもあったのだろう。

栗ザウマーゲンは文句なかった。敢えて改めて記しておくのは、茹で上がり時に保存袋を破くと小便臭さが漂ってきたことで ― 一キロの小さなものは胃袋の代わりに膀胱を使うので ―、しかしそれは最初だけで、切るときや味としては全く反映しない。恐らく一時間半ほどひたひたと温めておかないといけない理由は、中からそうした臓器の悪気のようなものが全て空気中に出されていく過程であると漸く学んだ。温めるだけならばそんなに時間が掛からないのだが、それが美味しく食するコツだ。

もう一点はヴィルジンクを炒めるときに焦がしてしまう事で、小さく切るか、湯掻くかを研究しないといけないと思った。特に味付けがいつの間にかマッシュポテトと同じようになって仕舞ったので、この点も来年への課題だ。透き通るように火を通した方が美味いかもしれない。少々焦がしても味はとても良かったのだが、味覚的に単調になる。もう一度調理するので、一度そちらを試してみよう。



参照:
胃袋一杯にしなくても 2013-12-27 | ワイン
胃袋がザウマーゲンに 2012-12-27 | 料理
コメント
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