Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

実験的なバレー作曲なのか?

2019-12-20 | 
なんとか元気になった。出遅れたが、まあまあ短く走った。風邪ひきかけで、再び汗を掻いてから着替えるまで時間が掛かったが、暖かかったので何とかなった。更にいつもの牛肉ロール巻きを食して、これで大丈夫だと思う。歯を治療すれば再び活動できると思う。徐々に新春の香りがしてきた。

燃料も35リットル入れておいた。価格は132セントとそれほど安くはなかったが、これで月末まで入れなくてよいならばそれでよい。スーパーへの道のバイパスへの入り口で先日に続き事故を起こしていた。パトカーが停まっていて、通り抜けた。先日から最低四台はお釈迦になっている。霧があって、上り勾配で左折するので左から来た車に当たられたのだろう。時速70㎞制限だが、横から当たられると大破である。

チャイコフスキー作曲「眠りの森の美女」を一通り観聴きした。勿論その童話のアウトラインは分かっているのだが、楽譜と音楽だけでは分からないことが多かったのでバレー公演の全曲に眼を通すことにした。印象としては序幕の洗礼から呪いを掛けるところまでがもう一つ音楽的に冗長な感じがした。

音楽とは関係が無いが、今まで見たノイマイヤーや現代の出し物に比べて、腰廻しの動きが少なく前に対した踊りが多いと思った。クラッシックバレーというのを観たことが無いのである。実際ヴィースバーデンのコンサートでは選曲されて演奏されるが、一幕の編み物の情景、薔薇のヴァルスから四人の求婚者、魔女まで一時間の予定だ。

ここまで映像を観ていたら、ミュンヘンの後任の正雪さんはもしかするとバレーを指揮するのではないかと気が付いた。既に「影の無い女」は今年振っているので、再演を指揮するのは間違いがない。ペトレンコ指揮よりも上手く行くのではないかと思っている。ドルニーがとっておきの演出をさせればとても価値のあるバレー公演も出来ると思うようになった。

後半は二幕の百年後から始まり、狩りの情景である。観ている公演はペテルスブルクのに比べて中々よいのだが、なぜか王子の尻食い込みや腰転が多い。しかし後半は音楽的にもドラマがあって豊富だ。大体どのような情景なのかは分かった。

正雪さんの解説では、チャイコフスキーにとってのワークショップになっていて、交響曲や取り分けオペラの源泉となっていると説明している。「くるみ割り人形」と同じように音楽だけ完全に演奏してみる価値がとても高いだろうと話している。一体どんな演奏になるのだろう。

少なくもプレヴィン指揮の演奏は表層的で全く価値が無かった。要するにあの指揮者はエンタメ以上のことは全く出来なかったことがハッキリした。しかしとても薄い楽譜が書かれているところも少なくない。一体何を聴かせてくれるのか?とても楽しみだ。



参照:
記念劇場見学の日 2018-09-30 | 雑感
絞りのフラクタル感 2018-12-26 | 文化一般
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