Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

楽聖没後100年の1927年

2020-02-09 | 文化一般
エルフィーの駐車場を予約した。レストランの予約などを見ているときに気になったからだ。前回は30ユーロほど払わされて、酔いが醒めた。そしてホテルレストランでも駐車料金割引が無い。すると公演向きには4時間10ユーロがあった。中では清算できそうになかったので、調べると出て来た。前回は同じページでも見つからなかった。そしてネット予約を進めると19時からしか予約できなかった。20時開演なのでそれほど余裕はないが、初めてではないので余裕はある。つまり23時までで、それを過ぎると時間5ユーロが加算される。15ユーロ払っても、前回との差額は20ユーロ以上あるので一皿とれる。道理で前回行ったときに遮断機の前で待っているような車があった。そして勿論初めてだったからそれを待てずに18時ごろには入ったと思う。今回も早めに着くかもしれないが、少なくとも場所が無くて入れないことは無いので、慌てる必要はない。

土曜日に峠を攻めたが寒かった。折から下りて来たライヴァルの婆さんも寒そうにしていたので、「充分、寒すぎるね」と声を掛けた。すると親仁の方が「いつもの半ズボンにしなきゃ」と返す。「駄目駄目」と答えた。気温からすれば零度前後で水溜りが凍っているぐらいで陽射しもある。しかし放射冷却で零下三度ともあったので、地中に湿り気のあったところは蒸発熱が奪われて気温も大分下がっている筈だ。上昇気流が怖い。体調は上向いているが、まだまだ体力増強フェーズには入っていない。

DHLエクスプレスで金曜日に出した郵便物は土曜日の朝にはツヴィカウの配送センターにまで届いていた。月曜日はポストは仕事をしなくなっているが、この場合DHLはエクスプレス指定なので月曜日中に先方に届く。数が少ない分、三十キロ先のケムニッツからライプチッヒへと向かう街へ営業時間に届けられる筈だ。その前にメールで先方に連絡が入っているので真面目な修理業者ならばある程度は予定が組めるのだが、どうだろうか?兎に角、木曜日までに発送して貰えれば土曜日までには着く。月曜日にハムブルクへと出かけるときに使いたいので、何とか圧力を掛けたい。

そもそも苦情は、「設計ミスだから取り換えろ」ぐらいだったが、売り手がアマゾンでなかったことから修理となったのだろう。状況が分かっていて簡単に出来る修理ならばそれで構わないから早く返して欲しい。輸送中に物理的ショックを受けると故障の原因となるが、プチプチで巻いて袋に包んで、ダンボール封筒だから一メートルぐらいの落下ではそれ程の衝撃は無い筈だが、さてどうだろう。それ以上にとなると可成り嵩張る。先方からはどのように送り返して来るだろうか?

就寝時にタブレットが無いので十秒ほど考えた。なにを読もうか。手の込んだ小説を読む感じでも時間も無かったので、一時日本からと書籍を取り寄せていた時に取り寄せた雑用書から取り出した。日本語はネットでしか読まないので、面倒な内容も読まない。面倒な内容の最たるもので故柴田南雄が我が人生を振り返るとして書いたものがあった。多くは人の人生の事なので細かなところまで目が行かず、更にネットでは扱われないような内容で、あとが続かないので一晩だけでも数分間目を通すには最適だと思った。

全く読んでいない訳ではなかったが、仲人の詮索ではないので特に父親の事とか興味が無い訳だが、ご本人が丁度留学していない世代でありながら、母方の外交官は当然としても父親もその父親もライプチッヒやベルリンやチューリッヒに遊学していることが書いてある。日本の近代化の中での所謂エリート層なのだ。氏が書くように商才があれば理科大学ぐらいに一つは親戚で賄えたというのは当然だ。医学ではなく薬学、化学で娘さんも生物学だとどこかに書いてあった。一高の確か理乙で後の東大理2へと続く系譜である。

そして面白いのが当時の二三年の遊学でドイツ語で独り言を呟いていたなどのスノブな言い方が書かれていて、ああなるほど日本は文化勲章を取るような大馬鹿者ではなくて、父親も都立大の初代総長として文化功労章を貰うような本当のエリート層がその日本の文化程度を表徴しているのだと思わせる。流石に娘さん世代になるとこういうことにはならないだろうが、二三年の遊学で箔を付ける間に、実質的に一つか二つの事でも先進国から盗んで来れれば家元に成れたのだ。因みに日本の戦後には音楽はその国家プロジェクトから外されたと柴田は書いている - 要するに上野も最終的にはエンタメに寄与するか個人的な芸術にのみ寄与することになった。そして今も遊学先が東に変わっただけでその実は変わらないだろうか。しかし殆どのその程度のことは現在はSMSで用を足す程度の技術やトレンドの導入で、丁度我々は中共のエリートに見るのと同じ状況が当時の日本であったことがよく分かる。

その辺りを読んでいて、結構音楽的に面白い記述は諸井三郎の事である。氏の作風がヴェジタブルとされていたのは興味深い。またベルリン留学時代はフルトヴェングラー指揮演奏会に通っていたようだが、カラヤン指揮の1957年に失望を示している事である。なるほど楽器も変わっていただろうが、この間の楽団の変化には興味がある。また母親が芸大の楽団の「ミサソレムニス」を聴きに行ったのがベートーヴェン没後100年の1927年となる。



参照:
エルブフィルハーモニ訪問 2019-01-11 | 文化一般
プリングスハイムバイロイト詣で 2013-02-25 | 文化一般
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